一人焼肉

 先日までの心理的プレッシャーからの解放と、急激に強まる仕事への社会的な風当たりの強さから、帰れるなら早く帰ることを心掛けている。それが実現できることへの感謝から足早に現場を去るとき、ふと頑張りそびれた一日が後ろ髪を引いてくる。

 なぜか最近そんなときほど無性に、焼肉が食べたくなる。得られない達成感を得たときよりも、それを夢見るときほどあの焼けた肉の煙が恋しくなる。

 かつて大きな山場を越えた時は、何かと焼肉をしていた。ただこの先あれほどの大きな山場は来ないのではないかと思うほど、焼肉からかつての高まりを感じられなくなっていた。ここ最近食べた焼肉は、どちらかというとスポーツのそれだった。品質は、部位は、美しさは、うまみは、尽きない議論するほどに焼肉からは遠くなっているような気がした。

 店主がロースターにマッチを投げ入れて点火してくれる。肉を網の上に乗せアプリを起動し日常に戻ろうとするとき、試みに携帯の電源を切ってみた。つまり、ただ焼けるのを待つということに集中してみようと思ったのだ。

 果たしてテッチャンは想像よりも焼けず、なかなかしぶといので何度もひっくり返すのだが、その度、久しぶりの集中力だと気づく。いつだって何かと話そうとしていたし、いつでも何かを聞こうとしていた。自分の意見を述べるのは客観的なものに言及するときに限定し、説明はなるべく客観的でわかりやすいものになるよう心掛けていたから、忠告のすべてを真正面から受け止めてしまっていた。多くの人の話を聞き、多くの人と仲良くやっていこうとするほどに、大事なものを、何を話そうとしているのかわからないけれどそれでも、と。

 

 一瞬でも何か一つのことに集中できる時間が全くもてていなかった、加えて集中するのは体力もいるし年々難しくなっている気がする。

宅建士

 さてまた前回の記事から期間が開いてしまったけれど、その間宅建士の試験に追われていた。今日は簡単ながらそれにまつわる雑感を記録しておきたい。

 宅建の試験はどうやら会社としても絶対に受けてほしいものらしく、この試験に合格できなかった場合は一定の昇給や昇格に障害が出るそうだ。だからといって周りの人々が全員持っているかというとそうでもないが。

 そしてこの試験のことをここで書くのは、非常に思い入れが深い――もちろんそんな思い入れなど早急に捨ててしまいたいのだが――からだ。

 この試験を最初に受けたのは去年だが、何かのせいにするつもりもないけれど、結果は不合格だった。ただ自分は大学で法学部と呼ばれるところに在籍した以上、誰もが簡単に受かるといわれているこの試験くらい2週間未満で余裕で受かるだろうと思っていた。もちろんそうはいかなかった。

 しかしどうも世間一般の評価は自分の経験とは違うみたいで、宅建なんて本当に簡単な試験で、法学部卒ならそもそも勉強しなくてもカンで受かる、そこまでのいわれようだった。果てや立派な大学を出たなら、宅建で苦戦するなんてこと自体があり得ない、とまでの言いようだった。もちろん大学時代の友人には、宅建に落ちたといえば、今まで見たこともないような表情をされるのがとどのつまりだった。

 そう、宅建試験とは、一定の高等教育を受けたなら、絶対に落ちてはいけない試験の一つと、思われていたのだった。もちろん、私もそうだと思っていたから、その言い分は理解できた。

 

 ただどうやら私の場合、現実は違った。今までしてきた類の勉強とはタイプが違う。そして何より、それなりの時間を割いても成績が伸びる気配がない。世間がいうほど簡単な試験ではないように思えた。本当に簡単ではなかった。

 もちろん単純に際限なく机に向かって、時間をさけば問題のない試験だとは思う。だがしかし、どの論点が出るかわからず、ただひたすら不十分な説明しかなく体系的な説明のないテキストと解説を何回も読み込み、何が間違いかを選択するだけの過去問を解き続けるというのは、それなりに骨のいる勉強だった。頭では理解していても、たった一言読みとしただけで正誤が違い、合否が分かれるのだった。毎日精神をすり減らす労働があった後にその作業に取り掛かるのは、なおさらシビアなものに思えたのだった。

 このとき、どれほど諸兄の無責任な言葉に押しつぶされそうになったかわからない。受ければ誰でも受かる簡単な試験、落ちること自体があり得ない、そもそも勉強が必要なのか、そういった無責任な言葉に、どれほど自分がみじめに思えたかわからない。そういう人のほとんどがこの試験を受けていたわけではないので真剣にとらえる必要はないのだけれど、戯言ほど、時間が過ぎてから胸に刺さることが多い。なおさら、そのいわんとしていることが納得できることほど。

 

 今回の宅建試験の結果は正直わからないが、わかったのは、これまで自分が放った無責任な言葉がきっと、どこかでどれほど多くの人を苦しめていたかということに思いをはせる必要があるということだった。何気ない一言が、挑戦しようとする人の心のどこかに鉛筆の芯のように刺さっていることがあり得るかもしれない。その苦しみに対して、今まで無責任でありすぎた。その場限りの面白くもない面白さを追求しすぎていた。

 そして、できないのには、誰にでも事情はあるのということも痛感した。努力さえすればなんとかなると思っていたことも、多くはそれを妨げる原因があり、できない。今までの自分は、それを見逃してくれる環境に恵まれていた。できないといったら誰かがやってくれた。やりたくないといったら、逃げることもできた。ただそれができなくなった今、それでもできないというなら、それなりの理由があるのだろう。できないことをできないというだけで責めるのはあまりに自分勝手だということがわかった。

 

 そう、この試験は困難に対して向き合う人との接し方を教えてくれたような気がする。私も絶対に落ちたくないというプレッシャーのあまり醜いふるまいをどれほどしたか。すべてが終わった今、ものすごく反省している。そして他人に対して、いままでどれほど、「簡単だから絶対受かる」と同類のことをどれほど無責任に言っていたかと、反省している。

 こうした数々のことに宅建試験を通じて思いをはせる事ができた。少なくとも僕には、ものすごく大変でしんどい試験準備期間だった。そんなことはない、何を言っているんだという人に対しては、その言い分も理解できるから反論しない。ただ今は、結果のいかんにかかわらず、すり減らした精神を恢復させたい、ただそれだけを願うばかりだ。

経理士試験

 さて気づくともう1か月以上は放置していたのだが、その間は何をしていたのかというと、友人と旅行に行ったりした(これはまたの機会に)のもあるが、更新をとどめていた主な理由は、建設業経理士の試験勉強をしていたからだ。

 今は工事現場の事務を担当しているだけなので、経理の仕事を担当しているわけではない。簿記にきちんと触れたのは新入社員時代の研修でひたすら仕訳の仕方を教えられた、というか覚えるまで帰らせてもらえなかったときだった。初学者と経験者の間には越えられない壁があって悔しかったというのが、興味を持ったきっかけだった。今まで生きてきて一度も興味を持ったこともやってみようと思ったこともなかったものに突然惹かれた理由を考える。

 仕訳の仕方をいくら覚えたところでどうしてその仕訳になるのか、みたいなのはわかるはずもなく、知りたいことのまわりをずっとグルグルと回ってる感じがした。仕訳の規則だとかその根底にある原理みたいに興味を持ってしまったのが運の尽きだった。

 加えて研修時代、経理関係にいた人たちは多くが音楽経験者だった。ただの偶然でしかないのに、なぜかそういう偶然にこそ本質があるのだと勘違いしてしまった。どこか楽器の練習だとかそういったものに近いものを勝手に拾い上げては、理解したつもりになっていた。

 というわけで今回はじめて企業会計原則や企業会計公準だとかその建設業独自の処理だとかについてきちんと勉強してみたわけだが、思いは常に前にあるのだけど、当然理解しきれるわけがなかった。

 こと今回の試験は、試験で点数を取るための勉強と気になることについての調べ事は違うという当たり前のことを思い出させてくれた。正しく記憶し、正しく記述するというのはやはりそれなりの訓練量が必要で、今回の試験ではそれがどうしても足りなかったように思える。

 

 試験に向けてきちんと勉強をする、というのをしたのは、大学卒業をかけた民法の試験以来で、気合を入れて全くわからないものに挑むということを2年ほどやっていなかったことに気づく。だからこそ、今回不合格に終わっても、久々に頑張った、ということだけで収穫があったと答え合わせもそこそこに思っている。

 同時に、何か一つの目標に向けて頑張る、ということを長らくしていなかったことに気づく。何らかの言い訳だとか、別の機会にリベンジする方法だとか、そういったものを機会のたびに用意していた。これは卒業をかけた民法の勉強とかよりもはるか前からの問題だった。

 悲しいことは、こうした機会を試験勉強のようなものでしか作れなかったということではあるが。結局この体質から抜け出さないと、いつまでも同じ地点で同じような悩みを抱えているようなことになる気がする。もうおんなじような悩みでおんなじようなことを続けるのは正直飽きた、新しいものが見たい、新しいところに行きたい。

蓄熱

京都の夏は暑い、と夏が近づくたびにいろいろな人に言われたが、そういいたくなる理由がものすごくよくわかる。本当に、本当に暑い。どうしてこんなに暑いのかわからない。

エアコンの効いた部屋で快適に過ごす、このことがどれほどの贅沢かがよくわかった。本設電気設置前の鉄とコンクリートの箱の中を少し歩くだけで、口の中が干上がる。仮設の巨大扇風機にも限界はあり、電池駆動のファンを搭載した空調服も時間とともに効果がなくなっていってしまう。

どうも熱がすぐに体から取り除かれない。十分な水分を摂り涼しいところで休んでも、翌日、翌々日と、熱で感じた疲労はなかなか抜けず、ずっとほてっている。

最近、肉体労働が増えてきた。型枠の中に生コンクリートがきちんと行き届くように木槌でベニヤ板をたたき続けたり、廃材をひたすら集めたりしている。段ボール箱も合計何箱運んだかわからない。身体を動かしているとお金をもらうこと、時間があることがどれだけ尊いかわかる。必要か必要でないかを勝手に身体が判断してくれる気がする。(もちろんそういってするべきことから逃げているというのはあるのだが)

だからだろうか、肉体労働をしていると余計なことを考えなくなってくる。運んだ荷物が組みあがっている場面、ゴミや無駄なものがなくなった場面に出くわすと、連帯感や高揚感を生々しく感じる。自分がいかに身体や一定の動作に従わせることから得られるものを軽視していたか。

それにしても何とかこの熱を取り除かなくては。

ドライエリア

 日記のような、といっても何か気持ちが高まった時に書いたりするメモ帳のようなものは以前から続けていた。もちろん人さまに見せられるようなものではなく、自分ですら見返したくないようなものばかりがたまっている。

 どうも文章を書くことが好きみたいだ。やりたいことは、好きなことは、といろいろ聞かれ、いろいろ考えてみたが、こうやって文章をこねくりまわしていると心が落ち着く。ここ10年くらいだろうか、書くことにものすごく臆病になっていた。それは間違ってはならない、誰に対しても伝わらなくてはならないということを意識しすぎていたからだろう。何もない場所に文字であれ考えであれ、何らかの跡を残せる、そうした楽しみ方もあっていいのかもしれないと思い始めた。

 

 建設関係の仕事をしていると、日々新しいことに出会う。設計されたものと現実のものが一致していなければならない以上、多くのことは実物を見るうちにそれを取り巻く理由のようなものを理解したつもりになれる。しかし何度説明を受けても、どうもわからなかったものがあった。

 地下階のある建築物において、建築物と、地下の土を押さえる壁(=擁壁)との間にできる空間のことをドライエリアというらしい。地下階環境の採光、通風面での改善に加え、地下への物資搬入を容易にするために設けられるそうだ。ドライエリアを広くとる場合、机や椅子を並べたり、園芸スペースにも使えるらしい。

 旧式のトースターの中に閉じ込められると、その外の世界の遠近感は全く失われるだろうことを、工事現場のドライエリアに入った時に知った。擁壁と建築物躯体の隙間に閉じ込められ、そこから組みあがっていく仮設足場から空を見上げると、この隙間が建築物上必要な機能だけで説明できるとはどうも思えなかった。

 コストを投下し造成した地下は、人が往来する地上よりは、持ち主がその空間を支配している力を示しやすいように思える。その地下を、どうして空間の自明な建築物で覆わず、あえて外か内かあいまいな、外部に開かれた空間を設けようとするのか。上述のような機能上の要請が先行していたとしたなら、そこに機能外のものを持ち込む/持ち込もうとするのはどうしてなのか。

 

 あえて外に開かれた場所を持ちたくなるのだろうか。外に開くことで、自分がコントロールしきれない場所を作りたいのだろうか。もし地下階にドライエリアを設けることをそう説明できるとすれば、このブログを開設し自分の書いたものを発信しようとする試みも、その延長線上にあるのかもしれない。