朝の散歩

午前中が本当に厳しかった。いつもは6時前に起床していたのに,休んでからというもの9時頃に起きられれば良いほうになっていた。しかしこの1週間は毎日7時頃に起きられるようになってきた。治るのは近いかもしれない。

甘えといわれるかもしれない。そういわれるとそうであるが,ところで自分の強い意志があればできることと,意志があってもどうにもできないことの境界がわからなくなってきた。なんでもできると思うときもあれば,その日の食事を考えるので精いっぱいのときもある。自分でできることとできないことは,周りの人や求められることによって決まると改めて考えさせられる。悔しいけれど何をするにも一人ではできない。教えてくれる人が必要だ。

坐禅をするようにしている。学生のころ,坐禅をするゼミに運よく入れた。いわゆる成功した人間や強い人間から遠くなったのはここでの体験があるかもしれない。達成感は麻薬,時には学んだこともすべて捨てる覚悟が必要といわれたことは,師の教えの曲解かもしれないが,そのとき深く響いて,時間が立つほどにその言葉は磨かれ,味が出てくる。強くはなれなかったがしなやかにはなれたと思いたい。自分を自分で安易に認めてしまえるのもしなやかさだ。どこまでも伸びていきたい。結跏趺坐の脚のしびれも,自分が何をおろそかにしてきたか教えてくれる。

それでもどうしても眠かったりスイッチが切れてしまうようなことがある。明日から旅行に行くが,発作が起こらないかが心配だ。感情とはある状態が持続するものではなく,潮の満ち引きのように,昂るときも落ち込むときもある。一瞬として同じ瞬間はない。そして波が大きいときは,高波のように打ち付けては意気込みや価値観のようなものを洗い流してしまう。その瞬間はある意味では何にも縛られないとても貴重な体験だが,人といるうえでは都合が悪い。ところでどれだけ対策をしても波そのものをコントロールすることはできない。できるのは波に打ち付けられたときのリカバリーであり,それならば着実な対応を取れるようになってきた。

スイッチが切れそうになるから,眠れないからと,振り払うように身体を鍛えている。しかしそれはかえって逆効果かもしれない。身体的な疲労は着実に蓄積され,どうしようもなくなる。問題は睡眠をコントロールできなくなることではなく,睡眠をコントロールできないことを恐れることである。

だから朝,軽い散歩に出た。住んでいる町なのに,自分の行動範囲は決まっている。便利になるほど,可能性は制限されてしまう。新しいことにオープンでありたい。そう思いながら目的もなく歩くと,自分の重心がどこにあるのか,どこが痛むのかとかが少しずつ見えてくる。話すべきは他人ではなく自分自身であった,自分との対話をおろそかにしすぎていた。それは住んでいる場所にしてもそうだ。いつものスーパーでいつものどおりの食材を買うのに慣れすぎて,その一本裏の商店街がどうなっているか向き合っていなかった。

商店街の朝は不思議だ。夕方とか仕事終わりに遠目に見たときは,人はおらず,何を売っているかすらわからないような店ばかりなのに,朝は期待に満ちている。ママチャリに乗ったお母さんと子供,日傘で並ぶ母と娘,くたびれたポロシャツのお父さんが行き交う中,シャッターを開ける音や台車が走る音がアーケードに響いている。何度でも言うが,その中に一人取り残されているかのようにまたしても思えてしまう。しかしそれは絶対的に拒絶されているというよりも,むしろ客人として緩やかに招待されているかのようなよそ者感である。そして充満する期待はよそ者だからこそ見えるともわかっている。

部屋に戻ると流し場の食器が見つめてくる。洗わなくてはならないとわかっていてもついめんどくさくて後回しにしてしまうのは,ほかにやるべきことがあるからだ。いや,正確にはあると思っているからだ。自由な時間は,かつてないほどにある。しかし何をするにも自分で勝手に制限をかけている。あれこれをやろうとすると時間がないから,とかこんな状況になっても言っている。修行が足りない。ところでめんどくさいことが終わると,それを無事にやりきれたことへの感謝の念がわいてくるようになった。何に対する感謝なんだろう。発狂の日は近い。

感想:打ち上げ花火,下から見るか?横から見るか? について

映画「打ち上げ花火,下から見るか?横から見るか?」を観てきた。なぜか酷評されまくっているが,非常に好きな映画だった。感想文を書くのは苦手だし本ブログの領域外とも思うのだが,恥ずかしながら記録に残してみる。夏休みの読書感想文も思えばこのくらいから準備していた。

ところで,この作品にそもそもの元ネタがあったことは観た後に知った。ノベライズ本もあることもそのとき同時に知った。いずれも手に取れていないのは恥ずかしい限りだが,そのためあくまで映画としての感想記録になることを了承されたい。以下,詳細設定の説明は割愛,ネタバレは当然のものとしていきます。改行しておきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

0.

一般に花火大会というと,場所取りのブルーシート,夏の縁日の薫り,そして待ち望んだ花火が上がった時の喧騒が思い浮かぶ。中学一年生の夏休み,今までそこまで意識していなかった異性の影が大きくなり,思わぬ浴衣姿や名前も知らない髪型に戸惑ったりしたことがあったか忘れてしまったが(!),そんなことがあったらとふと想像を膨らませてしまう。

本作はそうしたあるはずもない「ある夏の一日」を求める大人たちの情緒に応えるべく,青春の一場面を切り取って「アニメならではの映像美」を駆使してきれいな花火を見せてくれるものかと期待していた。ところがその期待は裏切られる。誰もが思い浮かべるような,夏の余韻に満ちた花火は本作においては描かれないのである。

 

1.

主人公・典道はその友人たちの「打ち上げ花火は横から見たら丸いのか?平たいのか?」という議論に巻き込まれる。火薬が爆発するからどこから見ても丸いという意見と,偉い人が平たいといっていたからという意見がぶつかるが,本当のところは誰も知らない。それを確かめに行こうというところから物語は動き出す。

この「丸いのか?平たいのか?」という疑問は作中再三繰り返される。確かに,空に咲く花火を見るとき,見る者の視点はある点に固定されている。しかし,もし見ている「その」視点とは別の「ある」視点から花火をみることができたならば,それはどのように見えるのだろうか?

 

2.

花火は,別の視点では別の姿を見せるのだろうか。一般化して,ある対象がどのように見えるかは,視点の選択に左右されてしまうのか。例えば円柱は真横から見れば四角形だが,真上から見れば円である。別の視点を想定することは容易いが,それぞれの視点から見えるものをすり合わせて一つの実像を作り上げるのは,それほどに簡単ではない。

典道が玉を最初に投げる前の世界には,若干のぎこちなさがある。頻繁に繰り返される「そんなこといったっけ?」というセリフ。典道が競争に負けた理由をなずなに伝えたとき,「全部私のせい?」と明らかに大げさな反応をするなずな。なずなが母親に連れ戻された場面に現れた祐介を理由なく殴る典道。ぎこちなさの理由はおそらく,「どうしてそうなるのか」,といった因果関係が作中で一切説明されていない点にあるだろう。場面間,登場人物間が切断されている。ある結末に向けて,因果をつなげてストーリーを進めていくという推進力がない。観客は登場人物の行動理由を想像するしかないにもかかわらず裏を取られるため,わからなくなる。

この世界では,物事を明確に説明してくれる語り手や既定路線は不在で,本人の意図に反して受け取られてしまう言葉,思いがけない裏切り,どうしようもない不条理にあふれている。この世界での出来事は,視点によって全く異なる出来事として存在するのである。誰もが納得するものは存在せず,根本的に分かり合うことができない。そんな他人から作られる世界で打ちあがる花火は,平たいのではないか?

 

3.

この作品では,なずなが海で拾ったという玉が重要な役割を果たしている。典道いわく,「もしもあの時」を想定してそれを投げるとき,「ぐにゃ~~」となったのち,「あの時」の場面が広がっているそうだ。このことをどのようにとらえるべきか。

玉を投げた後の世界で描かれるものは,投げる前に描かれるものと微妙に異なる。スプリンクラーが動く向き,なずなの教室への入り方といった点で違いがある一方,祐介が言っていたセリフを典道が言っていたりと,共通するところもある。このことから,玉を投げる前の世界と投げた後の世界に一切の関係がないとは言えない。

この考察にあたって重要と思えるのは,競争で祐介ではなく典道が勝利し,なずなと花火大会に行くことになったシーンである。玉を投げる前において,なずなが祐介を誘うとき,「好きだから」とその誘う理由を伝えていたが,典道のときには理由は伝えられていない。典道を誘うときになずなが伝えたことは,玉を投げる前に典道が祐介から聞いたこと以上のことは何一つ語られていない。このことから,玉を投げた後の出来事は,典道の持つ情報量に限定されているといえる。

さらに,祐介はなずなが「本当に好きだった」のだろうか。玉を投げる前,祐介は典道になずなへの好意を語っている。しかしそれは少々演技じみていて,むしろ祐介は典道となずなが二人でいられるように尽力し,親友を応援しているような印象すら受ける。中途半端な祐介の態度を,祐介の好意は本気だったと観客が決定できるのは,嫉妬に燃え,典道へ一切の配慮を見せない恋敵として現れる様子を見てからである。ところでこれは玉を投げた後に現れる祐介である。そして玉を投げる前の典道は,花火大会のために家を出る場面に見られるように,祐介のなずなへの好意を本気のものとしてとらえていた。このとき典道が祐介に対して抱いた像は,玉を投げた後の恋敵として現れる祐介に酷似していたのではないだろうか。ここでも玉を投げた後のことは,典道の持つ情報に限定されていると言える。

こうした点から,(のちに「典道君の作った世界」と作中において語られるとおり)玉を投げた後の場面は,典道が持っている情報をもとに典道が再構成した「もしもif」の世界であると私は考えている。さらにそれは,典道が玉を最初に投げる前の世界には一切影響を及ぼさない(いわゆる「ループもの」のように同一時間軸上の過去に戻って未来に影響を与えるというような効力の一切ない)世界だと考えている。言ってしまえばあの玉は,典道の空想の世界に観客を引き込むスイッチのようなものだと考えている。この作品は,典道の空想の世界を旅するものであり,ある結末を回避するために同じ一日を繰り返すようなものではない。以後,最初に典道が玉を投げる前の世界を基底現実とし,以後の世界を仮想世界と呼ぶことにしたい。

 

4.

家出を試みたなずなが母親に連れ戻される場面を目の当たりにした典道は,彼女が母親に連れ戻されない世界をまず想定する。恋敵と母親から逃げるのに失敗するたび,その失敗のない世界を想定する。こうして典道が作りだす仮想世界は,次々に重ねられていく。

ところで,ある和音――たとえばドミソの音を同時に鳴らせばCの和音――にその非構成音を加えていくことによって,その和音のもつ響きは広がり,描く世界を広げることができる。しかし非構成音がいくら加わろうと,その基調となる音はドであるように,空想をいくら重ねてもその礎になる現実は変えることができない。

たとえ基調となる音が変わらないにしても,和音に非構成音を規則なく幾重にも重ねていくと,それは不協和音となってしまう。確かに仮想世界を重ね,なずなが連れ戻されない結末までたどりつくことはできた。しかしどこにいくのかは「わからない」。終着点がわからず規則なく重ねられた典道の仮想世界は矛盾にあふれ,不協和音が響きだす。仮想世界は重ねども,空虚さしかもたらさなかった。

 

5.

ある試みが空虚だとわかっても,それでもそれに意味があったというには,試み自体を正当化しなければならない。楽しみにしていた旅行が大雨で台無しになったならば,その旅行に向けて準備したこと自体が楽しかったと納得することでしか,その準備に費やした時間は供養できない。

仮想世界を重ねていく試みが空虚だったとしたなら,その試みの中で過ごした時間,試みの中で得られた体験こそに意味があったと言わなければならない。何の解決にもならない逃避行を終わらせるにはどうするのか。電車が海の上を走るまでにいびつな仮想世界の海辺で典道が確信した,なずなへの,そしてなずなと過ごした時間への思いは,変えることのできない基底現実への自分の無力を露わにする。この事実を前にしてなお,試み自体に意味があると言わねばならない。物語が結末を迎えるためには,一つの転回が必要になる。

 

 6.

先に述べた疑問に戻る。花火は丸いのか?平たいのか?

もし花火がどの視点を選んでも丸く見えるのであれば,それはどんな人がどこで見ても丸いというだろう。一方で基底現実として描かれるこの現実世界は,言葉は一人歩きし,不条理は必然のように現れ,それらを説明してくれる誰かもいないような,いわば完全に分かり合うことのできない世界でもある。そんな現実において,一切の異論を認めないものは,ある意味では完全で,絶対的なものであるともいえるだろう。ではそれは?

すべてが思い通りに構成された仮想世界は,なずなが「次いつ会えるか」を典道に尋ねたのを最後に崩れていく。この崩壊は典道の試みの放棄を意味する。しかしそれは消極的な文脈ではなく,むしろ積極的な文脈において行われる。仮想世界においてともに過ごした時間それ自体に意味があったものとして意味が与えられるのであれば,むしろそのままにそれを保存することである。そして世界が崩れる最後の瞬間,二人は抱擁を交わし,花火が祝福するかのように二人の上に降り注ぎ,物語は幕を閉じる。二学期が始まるころにはなずなは転校してしまっている。

この典道が描いた美しい「もしも」の世界は,あまりに都合よく出来すぎている。しかしその都合のよさを指摘して彼を非難することは誰にもできない。たとえその仮想世界が基底現実と矛盾していると非難したとしても,それは描かれた世界を,そしてその世界における経験を揺さぶることには必ずしもならない。この意味で,典道の描いた仮想世界とそこでの経験は,それを放棄し保存することによって,どこから見てもそう見える,完全で,絶対的なものとなったといえるだろう。それらは典道にとっての「ひと夏の思い出」として確固たる地位を占めるのである。

分かり合うことができない世界において,唯一絶対的なものとして存在するのは,ある現実に「もしも」を重ねて作り上げた想像の世界と,その想像の世界の中で生きていた人たちなのではないだろうか。いつのことかわからない「ひと夏の思い出」は,どれだけ時間の作用を受けて美化されていようとも,それはこの先も折につけ蘇り,私を見つめ,問いただすのだろう。

 

 

00.

 

ところで実際のところ,花火は丸いのか,平たいのか?

盆に祖父の家に行って花火大会を見るのは,我が家の恒例行事だ。各地に住む親戚が集合し,マンションの一室からではあるが,まさに花火を目線の高さでみる。まさに「横から見る」というやつである。そして今ではビールと枝豆をベランダに用意して,花火よりも親戚が集まることを肴にしているようなところもあるのだが,花火自体は,私が子供用椅子に座ってみていたころから劇的に変わっているはずはない。

崩れゆく世界で,典道がなずなと別れる前に見た花火は,(理解が間違ってなければ)海の中から,下から見上げている。ところがそこで描かれる花火は光の屈折を受けてかにじんでしまい,とらえられるのは解像度の低いものである。しかしたとえその輪郭がぼやけていようとも,明らかにそれが正しい花火,その夏のクライマックスだということがわかる。

しかし花火を正しく描こうとしてみると,それがあまりに難しいことに気づく。花火らしい花火はどんな形だろうか,光が見えたと思ったら消えて,そして驚きから解放された後に,間の悪い発言のように腹に響く音がやってくる。そこにあったことは確かなのに,どんな形だったかは一瞬のうちに忘れてしまっている。瞬きの間に消えてしまった花火の形を思い出そうとするとき,それは「もしも」の世界で作り上げている像なのかもしれない。

 

避難訓練

長めの夏休みだというのに夏らしさを微塵たりとも感じないのは,能動的に夏を探してないからだろう。しかし夏らしさを探しに行こうとしたところで,いわゆる「夏らしさ」にはどこか満足できず,何気ない場面,例えばいつも使う駅の一場面,を自分の拵えた「夏らしさ」の額縁の中に入れて初めて心の平穏を得られるように思える。しかしそれには,私が絞り出した「夏らしさ」を受け取ってくれる人,評価してくれる人が必要だという問題が含まれる。

自分の作ったものに自分で満足するという能力があればそもそも長めの夏休みなどもらう必要もなかった。どうしても自分の作ったものが誰かに届くということ,それによって誰かを動かした,自分を認めさせたという実績が欲しかった。そう,欲しかったのはその実績であり,「何がしたい?」と問われれば,実績を集めるスタンプラリーこそがその答えだった。旅行先に行って名所を写真に収めることを使命として楽しむ観光客と何も変わらず,しかしそうした振る舞いにどこか冷笑的だったのはつまるところそこに自分を見ていたからだろう。

誰かの振る舞いに対して冷笑的な立場をとるということはそれ自体が一種の自分の立場の表明なのだろう。子供のころからよくマッサージの腕を褒められた。専門家ではないにせよ身体の緊張があるところはそれなりにわかる。緊張した場所をその緊張の度合いに応じた力で押してやると,徐々にこわばりが取り除けるのだ。いつからか人が話すとき,その論のこわばり,緊張しているところをみつけたら,そこを押し返してやると,論調は緊張はほぐれるものの,得てして真面目な相手からは揚げ足取り,不真面目そして皮肉屋として常識を疑われる。雨の昼下がりに,アイスクリーム屋の店主を怒らせることをゲームと呼んで興じる恋人のことを歌った曲があったが,どこかそれに憧れていたのかもしれない。冷笑的な自分,人が頑張るようなところでは頑張らず,人が頑張るものを見てはそれは小馬鹿にするような自分に自分を見出していた。もちろんそれも,別の人との関係の中で得たものではあったが。

先月東京に戻り,家族,友人,同僚といった,お世話になった人たちに会う中で,この会社に残ることを決めた。

日曜日が去り月曜日がやってくるのは恐ろしいが,それよりも恐ろしいのはこの恐怖と解決の反復が少なくともあと千回は続くことだった。一過性の不安は対策を講じることで乗り越えられるものになるが,持続を原因とする不安は,対策を講じたところでそれを煽り立てるものにしかならない。およそ40年,満杯のバケツを頭にのせて村中を歩き回るような労働に時間を捧げることが続くと思われたとき,約束された安定的な将来を形作る時間は,栄光に向かって走る線路を切り開いていく過程としては理解できなかった。

そこに一歩ずつ踏み込んでいくことは,前日から続いている避難訓練を明日も継続することを決定することのように思えた。訓練は,目的とシナリオとそれに沿ったロジがある限り終わらない,いや,目的が達成されない限り終わらない。終わりを決定しない限り改善を求められ,都度行われる改善に着目すれば前進しているかのように思える。ただ対策を講じる限り,翌日も翌々日も続いていく。では終わりはどこか?日常はいつ取り戻せるのか?

そもそもの避難訓練を何らかの大きな力で終わらせることはできる。本当に非常事態が発生した,誰かが王様は裸といった,このように終結を外に求めることもできるが,主体的に今すぐ取りうる選択肢として,そもそもその場から立ち去るというものがある。そして先月の自分にとって勤務する職場を去るとは,倒れたことによる条件反射としてよりも,こうした救済の手段のように思えた。

果たしてそれは救済になりうるのか。ところで人と話す機会が減ったからか詩的な気分は平均して高いのだが,平日の散歩の後にカフェに入ると,その一層の高揚を感じる。携帯を確認してもニュースの通知しかなく,顔を知っている人たちはどこにもいない。ガラケースマホを交互に見るスーツの人がいて,母親と同い年くらいの女性が何人かで話していたりする。そして稀に見かける若い人は学生らしい目の輝きをもった人たちで,残念ながら自分のような人は,どこにもいない。人々の集まりから完全に切り離されたような感じがするからだろう,自分がいなくても世界が回っている場面はこんな身近に広がっている。

ニュースには勤めている会社に関するものもあった。休んでいるときに多くの人が,その人が倒れたら回らないような組織は,きちんと機能していないという趣旨のことを言ってくれた。私が倒れた翌日,休職する旨を伝えるためいつもの時間に出勤すると,私の机の上には一つも未決の書類がなかった。すべて「フォロー」してくれていたのだった。「君のところはチームとしてよく働く」といっていた営業課長の言葉の意味をこのとき理解する。自分を持った個人の集まりと,組織によって役割を与えられた個人は,同じものを見ているようでいて鮮やかに食い違う。

そして喫茶店を出たところのエスカレーターの下にあるベンチには,歳も結構なおばあちゃんが浅く腰かけている。頻繁に彼女を見かけるので,何か用があってそこに居るというわけでもないだろう。居るのだ。ただこのとき,自分が逃れようとしていた不安はどこまででも,自分が自分を見出す限り影のように追ってくるのではないかと閃いた。閃きは得てして誤るけれど,靄が晴れるその一瞬だけにでも感謝したい。「私は?」

身体を鍛えたほうがよいという医者のすすめもあって,水泳をはじめた。すぐ疲れてしまうので水泳部だった同期にアドバイスをもらうと,どうやら体幹を使えていないらしい。出た,体幹。何をやっていても,結局ここに行きついてしまう。あらゆる運動において,体幹こそが競技者の本質を担っているのではないか。

夏季は市民プールの屋外50mプールが開放される。平日の夕方,西日が水の底まで届く中で,日に焼けた小学生の集団や筋肉質な高校生がそれぞれの夏休みを楽しむ中に,何日も髭をそっていない,腹もだらしなくたるんだおじさんとして交じるのはさすがに心に悪い。テレビが映した甲子園の高校球児の表情を思い出す。しかし水の中に入って距離やタイムのことを一度すべて忘れて,体幹を意識すると――幸いなことにコツが自分なりにつかめてきて,へその下とおしりに力を入れると,肩や股関節が胴体から切り離されたように自由になって,残された胴体こそが体幹と呼ぶべきものなのかもしれない――見落としていた身体との回路を回復しているような気になれる。これこそが夏らしさなのかもしれない。

 

同僚

休んでいる生活が日常になってきた。休む前,そして休んだ当初がどれだけおかしい状態だったかということがよくわかるようになった。

ひとつ大きな勘違いをしていた。うつはそもそもの心が弱い人が現状を受け入れられず拒否してなるような病気で,肉体的にも元気でノリが良ければ大丈夫だと思っていたが,それは一面的だった。何かを拒否するということ自体ができなくなる。拒否とは何かに対する働きかけであり,その働きかけ自体ができなくなるのだ。働きかけるものも,しようとする起点も見つからない,つまり自分が,ものがどこにあるのか全く見つからない。そしてそれは元気やノリだとかとは全く無関係になってしまう。確かに現状を受け入れられなかったり何かがおかしいと思うことはこうした宙づりの引き金になるが。

休みの間,何かあるたびに部長に連絡することが義務付けられている。何かあるといっても診察の経過だったり,薬の量が変わっただとかそんなことでそれ以上は特に報告していなかったが,そんないつもの報告をしたら昼食に誘われた。出張ついでに家の近くまで行くから,なんでも好きなもの食べていいから,下に降りてきなさいと言われた。もちろん職場の人に会うのは気が引ける。

その前の日の夜,同じ課の同僚たちが訪ねてきてくれた。もちろんこれも気が引けたが,ホルモン鍋ということもあって勇気を奮って外にでる。仕事が残っているにも関わらず飲みに連れ出されたいつもの夜という感じがした。しかしかつて感じた緊張がなかったのは,彼らといることに私が緊張を感じなくなったからかもしれない。いつごろ子供が欲しいか,いつ結婚するか,どんな車が欲しいか,いつまでにゴルフで120切れるようにするか,そんないつもどおりの話があった。それすらもありがたく,むしろそれ以前にどんな話なら楽しかったかふと考えようとするも情けない空振りをして,その瞬間が幸せに思えた。ひたすらずる休みだ,休みを楽しんでやがる旅行にでもどこでも行きやがれと言われながら食べる鍋は悪くなかった。ただその日の昼,産業医面談のため出社した時に新入社員時代の教育責任者に会ったことがどこかで引っかかった。

この時を振り返りながら玉露を淹れて改めてその風味に驚くけどある夜学生時代の友人と会社の後輩とカラオケにいったときに皆で歌った曲が流れ,そのときのことを思い出す。そのときの何気ない場面が突然蘇るとそれがさも意味があった瞬間のように思えるが別にただひたすら飲んだあとにくるりを歌っただけではないかとも思う。得てして自分を振り返るとき,起点にするのはこうした場面だったりするからたちが悪い。

そして部長を最寄りの駅まで迎えにいって,この殺人的な暑さが殺人的だということ,会社のみなさんは変わりないかということだったが,前者に対して返事が適当になるのはさておき,「部のみんなは頑張ってるんじゃないかなあ,でもよく働くねえ」と後者に答えられたとき力の入れどころがわからなくなった。オタクの早口のように地元の割烹居酒屋を案内し,上から2番目のランチを頼んだ。

この病気は説明が難しいこと,今こうして話したりしているけどダメな時は本当にダメだ,回復と復職は違う,だとかそんな話を一方的にしてしまうが部長はその話を聞くことで安心させようとしてくれた。かつて飲み会で,社会の,つまり相手がある物事のすべてはいかに相手を立てるかにその成否がかかっているのに自分ばかりを押し通すから何も物事が進まないと叱られたことには理があった。そして私の話の残弾が尽きたときに出された替えの弾倉は,人生において様々な機会があるけれど,普段は自分が自分について振り返る暇がないからその機会に気づかないけれど,その暇があるときに見つけた機会というのは転機だから大事にしたほうがよいと言われた。不思議とその言葉は腑に落ちて,いや実は自分は本当は作家とかライターとか,そういうのになりたかった,この会社でこんなことをやっている理由がわからなくなったときに方向がわからなくなったとなぜか話していた。それなら部をあげて応援する,完全回復して戻ってきてくれると信じていると言われ,食後のコーヒーがなくなったので水を飲みおしぼりで3度ほど指先を拭いてから部長を改札まで送った。

宙づりの状態は波がすさまじい。普通に歩けるときでも突然,何しようとしているのかわからなくなることがある。けれどこれだけ休み,そして薬を飲む中で回数が減ってきた。心が強い人なんて誰もいないが,ではどうして自分はこうなったかと探求心が自分に向くがそれが一番危ない。ここ数日でアニメ版エヴァをすべて観返し,返し刃で観返した「桐島,部活やめるってよ」にも同じような何かを見つけてしまった。このことは改めたいが,何より考えを筋道立てて説明できる気がしない。ただ不思議に思うのは,同僚だって部長だって私と同じように,くるりを歌った夜があるはずで,ではそこから今いるところに一本の線を引けないとき,今いるところをどのように説明しているのかということで,逆にそこにこそ今の出口みたいなものを見出さなければならないのだろうけど,残念ながら玉露も4煎目となるとただの渋さを感じるだけになってしまい,1時間近く集中力が持続したという記録をもって筆をおかざるを得ない。

バカンス

先日このブログを開設してから1年が経ったと通知が来て,当初あれだけ高らかに宣言したものを何一つ実現していなくて思わずほくそ笑んでしまった。そんなことより,ある一定の周期性にも気づいてしまった。どうやら6月に入ると精神衛生を明らかに悪化させてしまうということだ。

このブログも,思えば理不尽すぎる現状を何とか言葉で描くことで納得のいくものにしようと試みたことだ。あえてネットの海にボトルメールのように自分語りの駄文を流したのも,ただただ共感を求めてのことでしかなかったと思うと,どこかに自分と同じ境遇の人がいて,同じ悩みを抱えていて,自分がその人とつながり,自分の言葉でその人を助けることができると思っている時点で,とんだ思い上がりでしかなく,今すぐにでもそのときの自分にドロップキックしたくなるくらいである。

まあそんな思い上がりも細々と続け今に至るが,今月ついに体を壊してしまった。そして少々休むことを命じられた。

気分の浮き沈みが激しく,この文章を書いていても10分くらいただ座っているだけになっていたり,体に力が入らなくなったり,考えなんて全くまとまらなかったりする。今の職場のストレスは明らかに異常に思えてしまい(どこでもそうだろうけれど),そしてそろそろやばいかなと思っていたら案の定ある日華麗なるワンパンKOを食らってしまった。私の友人にボクシングをやっているやつがいるが,そいつに今度KO食らったときの感覚でも聞いてみたい。動かなくなった。

むしろ原因はストレスを引き金にして生じた考えに完全にとらわれてしまったことかもしれない。どうしてここに居るのか,ということが全くわからなくなっていた。

知らず知らずのうちに善悪の判断や生きる目的みたいなのを持っていて,意識するしないにかかわらずどこかでそれを支えにしているように思える。しかしそれらが少し疑わしいものに思えるような状況に置かれると,もしくは疑いのまなざしでそれらを観察してしまうと,その瞬間見えているのは風に舞う灰で,戦隊モノの最終回近くでよく見るように,かつてそこにあったものを思ってその灰をすくい握りしめることしかできなくなってしまう。しかしその場面は語り手視点の情景描写で,そこに居る当の本人からすれば何が起こってるかわかるはずもなく,なぜ灰がそこにあるのかすらわからないのではないか。

とにかく,そんなこんなで少しばかりではあるが休みが始まった。

現場時間 2

 ここにしばらく記事を書こうと思っても書けていなかったのは振り返れば適度に日常に追われていたからだとわかる。毎朝与えられた仕事をこなし,新しいことを知り,そして何かに貢献している感じを味わえて,仕事しているという満足感をもてていたからだろう。現場から離れて早くも2カ月が経ち,何に悩み,どんなことに傷つき,そして何を面白いと感じていたかは少しずつ忘れていっている。それらは今の日常のなかになかったものとしてたまに湧き上がるに過ぎない。

 昼食は雑居ビルの2階にある海鮮居酒屋の寿司セットや,大通りにあるゴルフ用品を扱うビルの地下に入る垢ぬけた割烹の日替わり定食が定番になった。それなりのオフィス街なので,帰り際に一杯ひっかけたくなるような立ち飲み居酒屋や窓にメニューを書いているような南欧バルとかがやってるランチとかも気になるのだが,それらには目もくれない。いつもの店に行きいつものを頼む,という諸先輩たちが一緒である以上,それを乱すことは許されない。選択肢として残り続ける限りそれらの店は魅力を失わないのではないか。

 暖かい食事に最初は感動したものだった。食事をしているときに,熱い,冷たいという感覚を意識するように自然となっている。お味噌汁が唇に触れたときに味噌の香りを感じられるか,一気に流し込んでしまえるか,温度という視点からその日の食事を見るようになった。冷えた味噌汁や味噌汁の煮つけを作るたびに現場ではよく怒られたが,もう怒られなくなっても習慣は残っている。

 かつて海外の小学校にいたとき,食事の時間は憂鬱だった。周りはビリビリのアルミホイルに包まれたハムの薄いサンドイッチを食べているのに,私は母がにぎってくれたおにぎりを食べていた。もちろんおにぎりなんて得体のしれないものを現地の小学校低学年の同級生たちが見過ごすことはなく,合うことのない目線を感じないことはなかった。

 食堂では50円程度で日替わりポタージュが飲めた。思えばきちんと野菜から調理していたので,しっかりした食堂だったと思う。ありつくには傷やくぼみに欠かないアルミの器をもって列に並ばないといけない。そして一つ上の学年の担任をしている大柄の先生が寸胴からその器にポタージュを注ぎ,必ず「ありがとう先生」といわないといけないルールがあった。

 慣れてしまえばどうということのない儀式なのだが,当時の私は,並ぶときに私に注がれる今にも本性を暴いてやろうとたくらむ視線や,当然のように列を抜かそうとしてくる上級生がいたこともあって,憂鬱だった。さらに私の食べるおにぎりも相まって,毎日決まった時間に行われる,同じ筋書きの出し物の出演者にさせられているような気がした。

 ただそのポタージュは,すべての子供は猫舌だという配慮のおかげなのか,いつ飲んでも適温だった。口に入るとどんなときでも暖かさを感じることができて,このことはこれら汁物の満たすべき本来の役割をきちんと心得ているように思えた。

 ここに昔のことを懐かしみ脚色しながら書いているのは,今の日常がどんどんと速度を上げて,日常を楽しもうとする自分を振り落とそうとするその本性を明かしてきたからだ。知らないことは際限なく湧いてきて,目印だった締め切りは引きすぎた蛍光ペンのようにその役割を果たさなくなってきた。目的は忘れ去られ,習慣によって体を動かすことを強いられる。アドバイスは口調を強め,まだ来たばかりなのにはもうこれだけいるのにに変わる。そのとき日常に息継ぎの場所がなくなっていることを感じ,息継ぎを試みるほどにどんどんと沈んでいくように感じられる。

 感動した昼の食事もいつしか定番として感動を欠いていき,ランチの話題も仕事の話の多さに気づくようになってきた。そして味噌汁を飲んだところで感じるのは塩分を多くとりすぎているとか野菜が足りないとかで,遅れないように,でも待たせないように食べないといけないという駆け引きの中にいることは忘れてはならなかったはずだと反省させられる。

 どこにいてもこうして,今いるところから一歩引いて,それを自分が楽しいと感じる話に還元することしか楽しみを感じない以上,「ここではないどこか」を探そうとしてしまう以上,環境を変えたところで仕方がないのではないかとも思う。人の集まりをどうするかよりも,人の集まりがどうあるかにしか興味が持てなかった。そんなことを思いながら執務室に売りに来た弁当を買うと,何を揚げたのかわからない揚げ物と,ひなびたキャベツを強引にマヨネーズで生き返らせた付け合わせがあって,現場の弁当を食べながらサラメシを見て号泣していた先輩がいた話を思い出した。その先輩と同じ場所に立っているのに忘れていたことを思うと,日常はあまりにそのスピードを上げてきていることに気づく。

現場時間 1

工事現場という特殊な環境から抜け出して、すでに1カ月近くが経とうとしている。その間旅に出てみたり、新しい職場の雰囲気や業務になれるように努力していた。

昨日、好天に襲われたので吉野に向かってみた。高校の修学旅行で行った以来の思い出の場所だが、また訪れることになるとは思わなかった。吉野中千本の大きな観光ホテルの小さな部屋にいて、一緒に修学旅行らしいことをしていた誰もが、また吉野という地名を聞くことになるとは思わなかっただろう。

山登り、というかそれはただ坂道を上るというほうが近かったのだが、歩みを進めるにつれて普段の生活では言葉にならなかったような考えがふつふつと湧いて出てきて、結果として1年半近くいた工事現場での生活に戻ってきた。

悲しいかな工事現場では筋立てというようなものはなく、ただ無限にあるかに思える時間がただ意識されるものになり、その中では何度も述べているように、過去の過ちや、努力の足りなさを何度も突きつけられるだけだったように思える。

今日はそんな現場にいる同じ事務系研修をしている後輩を訪ねてきた。やはり同じように、むしろそれ以上に悩んでいて、しかし自分には彼らを慰められるような言葉を持ち合わせていなかった。ありきたりな訓示を垂れることも、自分の受難と克服の物語を展開するのも何か違ったので、悔しいけれど相槌から一歩進んだようなところで自分やかつての上司の非道について大げさに語っていた。それでも少し話しすぎたように思うが、ではその場にいて語らないことを選択するほど自分の美学は人の痛みよりも勝っているようにも思えない。

しかし吉野山を上っていて、自分が過ごした現場での時間を思うとき、それはすでに何ら将来を予感させるものでもなく、また過去の後悔を呼び起こすものでもなく、その中で完結し、自律的に動く人たちがいた。そしてもちろんその中には毎日そこに通っていた自分もいるような気がして、二度と繰り返したいとも思わないが、ふと立ち入っても拒まれないような距離のところにそれらは現れているような気がした。だから安心してそのことを話すことができるようになったと思ったとき、もう工事現場での時間は終わり、自分には別の時間が流れ始めたことに気づいた。