囲いの中へ

日中はもっぱらポエムを書いているから,休んでいる間にやっていることとそんな変わらない。どうすれば働き方を変えることができるのか,どうすれば生産性を向上することができるのか。このことを議論するとき,多くの場合が個人の経験や,さらには仕事をするということへの価値観のようなものに自然と話がシフトしてしまうから,働き方そのものについて客観的に議論することは非常に難しい。そんなことを自分の席の周りの人たちが忙しそうに動き回る様子を見ながら考えて,適当なライターが書いたまとめ記事に毛の生えたようなレポートを調べてみて,そしてポエムを書き連ねる。しかしこういう作業は好きだ,いつまででも続けられる。できることならこうして何も生み出さない机上の空論をいくつも拵えて,それを並べて陶芸作品のように売っていきたい。確かな手触りの中で形を微妙に変えながら焼きあがったものは,その多くは使われていることすら鑑みられず生活の中に溶け込んでいく。

診察室に入るなり旧友に会ったかのような笑顔で私を出迎えてくれる医者は,高級時計をちらつかせながらもう少し様子を見ようかと言ってくれる。顔色がよくあまりにのびのびとしている私に,もう心配する必要はそこまでないでしょうと言ってくるのに,それでも薬を処方してくれるのは,陳腐ながら売人にクスリをねだる中毒者のような気分にさせてくれる。手軽な非日常体験だが,多くの出来事がこうした中毒とも依存ともいえるようなものをうまくごまかしているだけなのではないか。

と真理をついたとでも言いたげな開け広げな一般化と含ませたような言い方をしたのは,かつて工事現場に勤務していたときの上司に挨拶に行くからだった。いつしか工事現場というものは名前だけの実態のない存在になっていた。街の中に現れた箱のような仮囲いに掲げられた許可証の写しを見ることは習慣になったといえるが,その中のものについては,数字と契約書の窓から見えるだけだった。そして私はさらにそこから遠ざかっていた。展覧会で見かけた写真が切り取った,名前も場所も知らない街が突然目の前に現れたような気分になりつつ,仮囲いの扉を開けた。

なにせ私は工事現場では一番の頭脳派を自任していた。調べものや法令とか,そういった知恵的なものが必要になる場面にこそ私の真価はあると,トイレ掃除をしながらその自意識をそれとなく見せびらかしていた。決して現場の臨機応変の対応や責任者の決断といった偶発的なものに靡かない,確固とした体系の世界,いわば論理の世界にいるとでも思っていた。現場にいて,内勤を固持していた。しかし内勤に入ったときに責任者の決断や臨機応変の対応に焦がれるようになったのは,転向の実践だった。振り返るとあまりにおかしい。トイレ掃除をしたことを誇りに思い,現場的な何かを知ったつもりになり,時にはそのことにしがみつこうともしていた。現場で受けた傷や悩みはどこかで勝手に解決されたことになっていた。いつしか過去の経験を都合よく解釈することを当然のように思うようになった。説明さえしてしまえば別にその真偽は個人的な問題なのだからと言いながらも,扉から事務所に向かう階段は,かつて私がいつ怒鳴られるかわからない状況におびえつつ,サイズの合わない箒で毎朝掃いていたのと同じモデルだった。土埃にかすむ銀色の階段と,木目調の手すりは,その両者のミスマッチと同じように,実家に帰る時のような,私と私自身との微妙な距離感を思い出させた。

いつもより調子の良い表現が飛び出してくるのは,事務所の扉を開けたときに多くの人に暖かく迎えてもらえた感動が残っているからだ。天気がよかったというのもあるため,自分の単純さに改めて気づく。かつての上司は席を用意してくれて,ただ何ともない世間話をした。事務所のレイアウトがどうだ,私が導入を検討したウォーターサーバーは今も使っている,残業制度や時短はこんな感じでやっているというような話をして,私がろくろを回している間にはいろんなことが進んでいるということを実感する。そのとき,自分の経験を人に伝え,その人を変えようと試みることはあまりに傲慢で難しいという話は,文脈から切り離されてやけに輝いて思えた。

あまりに遊びが無くなっているという話になった。現実を想定の通りに実現しないといけないような潮流において,見えない何かと闘って現実と抗おうとすることを続けるのなら,倒れても仕方がないよなあというような話をして,弁論や理論の強さについて思いを馳せた。これらはいつか復権されるのだろうか。しかして復権はそのもののためにあるのか,それを用いるもののためにあるのか。力を抜けといわれて,ではどうやってと尋ね返す時点で,力を抜くことからは遥かに遠い地点にいる。もしすべてのことが体系化できるのなら,およそ考えうるものには答えが出ているだろう。それでもそれに満足できないと感じてしまうのなら,そこにはまだ遊びがあるのかもしれない。その遊びが無くなったとき,では私はどこに立っているのだろう。

囲いの中の世界は,やはりどこか現実離れしていた。今立っている場所と続いているはずの地面は座標軸で表現され,クレーンのアームはオペでもしているかのようにその地面に向かって伸びている。では医者は誰なのだろう。ふと高級時計をした主治医を思い出した。気づくのは私は問ばかり投げかけ,その答えや答えに至るまでの厳密さを一顧だにしていないということだ。だからポエムしか書けない。自分と違うものに対してその違いを正当化することはいくらでもできるだろうけれど,それに身をゆだねることはとても難しい。論述問題においては,必ず筆者の意見に反論しろといわれたことと,そのことはつながっている。反対は説明によっていくらでもできるが,それを受け入れることは説明とは何か違う原理が働いているような気がした。気がしただけだ。仮囲いを出るとき上司に「頑張れよ」といわれ,「それはうつ病者には禁句ですよ」と返したとき,たばこに火をつけながら返された笑顔の意味を考えるが,その時点でふりだしに戻りそうになったことに気づいて,音楽も聴かずに急ぎ足で市街地に向かった。

月曜日が祝日であるということのありがたさを味わっている。先週の平日は会社で働くことがどんなことか改めて思い出させてくれた。各地で話す同僚たちの声が何層にも重なって聞こえたり,自分の座っている様子を自分が客観的に見ていたりするような状態を感じたりと,時折危ない場面もあったが,乗り切ることができた。チームの一員である以上,チームが機能しなくならないようにする義務は果たさなくてはならない。義務の観点からしか構成員はいないのに,何故私はチームにそれ以上を求めていたのだろう。ドライに捉えてしまえば何も委縮する必要はない。あれほど乗るのが怖かったエレベーターに乗りながらそんなことを思ったりもした。かつて毎日一緒にランチを食べていた先輩たちとの間に見過ごしてしまうほどの距離を感じた瞬間があったが,それは私がチームに対して負う義務の種類が変わってしまったからだろう。きっとそうだろう。

指の震えは禅寺を出たときにある程度コントロールできるようになった。まだベースを弾いていいと言われているような気がしたから,この週末はライブに次ぐライブをしてきた。不思議なことに二日酔いの朝や大騒ぎした帰りの電車とかは,異常なくらい感覚が研ぎ澄まされているときがある。音,色や情景がスローモーションで通り過ぎていき,曲を聴けばどのパートも鮮明に聴こえ,次のフレーズまで見えてしまって仕方がないような状態がある。連日の音楽漬けのおかげで,かつてないほどにその状態にある。その副作用か,言葉が出てこなくなる。この記事を書こうとしていても,言葉が痞えて仕方がない。

この原因はこれまでにないほどの曲数を演奏したからだろう。打ち合わせもほとんどないままにステージに立ち,時には初見の曲をそれっぽく弾かなくてはならないセッションの舞台は,恐ろしいほどに神経をすり減らす。たった数曲でも集中力が持たないのに,諸事情によって何時間もステージに立ちっぱなしになってしまった。全てが終わった昨夜は高熱にうなされるときのように深く眠っては覚醒し,悶えてはまた眠るというような状態になっていた。きっと緊張の糸をずっと張っていたからだろう。もっと場数をこなせばそんなに緊張しなくて良いのに,とも思ったが,おそらくこれは緊張というよりも集中といったほうがよいかもしれない。そもそも責任があるのか不明だが,責任の所在が明らかでないとき,それを黙って見過ごすか,何とか切り分けて軟着陸させようとするかどちらかを取らなければならないのなら,私は後者を選んでしまうのだろう。そしてその試みは本当に集中力を要する。ところでそれはただ強迫観念のようなものに駆られて行ってしまうもので,賞賛を得るためではないと自分では思っている。結果としての賞賛よりも,楽なほうにきちんと流れるしなやかさで納得したいと思うのはないものねだりだろうか。

何はともあれ場数を踏んだことで,演奏に対して悩んでいたようなことや,もどかしさを抱えていた部分は少しずつほぐれて,新しい壁が見えてきたような達成感はある。このことは音楽の良さでもあり悪さでもあるのだが,言葉で伝えられず,ただ演奏をすることでしか伝えられない。文字通りふらふらになりながら客席に降りたところ,たまたま観に来てくれていたお客さんに一本のビール瓶を振る舞ってもらった。無意識に感謝の言葉が出て,疲れのあまりそのまま座り込んでしまったけれど,振り返ればこれこそが待ちわびていた瞬間だったのではないかと思える。その反動で今何も手につかないけれど,こうなった経緯だけは少しでも美化される前にここに残しておきたい。

おめでとうございます

全ての面談を終えて職場に戻るスケジュールが決定した。休みもこれで終わる。心残りはあるけれど,やり残したことはきっと永遠に未決の箱に入っていたほうが幸せなものだろう。手の届かない夢であればいつまでも夢のままだ。できることと夢と食べていくことは同じようで微妙に違う。その微妙なズレの中に人生の妙味があるのだと言えば聞こえはいいが,苦味を美味いと感じるにはそれなりの時間がいる。私はグレープフルーツが苦手だった。

病から回復し復帰が決まったとき,どれほどの人におめでとうと言ってもらえただろう。心から感謝している。ここまで気にかけてくれたことは日常であるだろうか。ところで完全に治るとはどういうことだろう,自分が正常だった状態を指し示せるならばどこを指すだろう。果たしてそんな自分はいるのか,いたのか?

先日旅行に行くと言ったが,山寺にこもっていた。

中途半端なサラリーマンをやっているほうがよっぽど楽だった。集中を欠くことができない緊張感,対象を欠いた動作,意味を求めないという状況下で,自分がひとつの独楽のように思えた。ただ一点を軸にして同じ方向に動いているけど動いていない,しかし止まると動かなくなる,また誰かに動かしてもらう,そんなことをしている中で,いろいろなことがどうでもよくなった。どこにいても地獄だ。幸い助けてくれる人は周りにいる,いないと思っていたのはそれは自分から遠ざけていたからだ。その中で自分を主張して流れに逆らうことを存在の証明と考えていたが,どうにもしんどくなってきた。流れに逆らっているとけしかける多く人は流れを読み切っている。本当に逆らおうとして,そこで何かを探している人はそもそも現れてこない,流れに飲まれてしまっているからだろう。どれほど壮大なヴィジョンがあれど,そのヴィジョンを量るのは得てしてその換金度合いだったりする。

山寺で得たことも夢のように現れては消えてしまい,残っているのは経験をこの程度の言葉に変えたものと,精進料理と腹八分目の精神で減った胃袋の要領である。修めたと思ったものもすぐ失われる末法の世に生きている。しかし戦争映画に一人はいる敬虔なクリスチャンのように禅は善い,仏の教えは尊いと言っている。全然わかっていないがそんなもんでいいのかもしれない。音痴な歌を聴いても「おっ,ソウルフルだねえ!」と余裕でかませるくらいでちょうどいいかもしれない。What happens in Vegas, stays in Vegas.

今から何ができるだろうか。昨日明日,1カ月で比べると確かに成長だとか変化は見えるかもしれないけれど,では1年3年,10年と長期的に見たとき,何かが変わっているのだろうか,言い切ることができるのだろうか。ではそのとき,何かを得たりしようとすることはどういうことなのか。悩んでいる人は悩んでいる状態をそもそも楽しんでいたりする。そこに大きな力を加えれば変わるとか,救い出すことができると考えても,結局そうじゃなかったりする。的確なアドバイスや合理的で正しいことを言えば言うほどやったつもりになって足が前に出ないことのほうが多い。何をやろうと考えていたところで本当にやろうと思っているなら,足は前に出てるはずだろう。そう思ったとき,やり残してた,やりたいけどできないと思っていたことはきっとやらないことだろうと思った。そんなことを無理にでもやったところで大きく何かが変わってくれるわけでもなさそうなので,買ってきたワインを開けて2カ月近くグラッパに漬け込んだレーズンをあてに飲みながら,「おめでとう」と言ってくれた人のことや過ごした時間を思い浮かべながら「ありがとう」と返していくキザなことを延々とやっていくしかないのかもしれない。そのことを地獄と呼ぶかは議論に委ねたい。いつでもお待ちしております。ありがとう。

The Goodbye Lookを巡って

今更ながらDonald Fagenの名盤The Nightflyをゆっくり聴く機会を持てて,ここ数週間このアルバムばかり聴いている。解説やうんちくはいくらでもあるだろうけれど,何より聴くほどに新しい発見がある。飽きないのだ。

ここ最近熱心になっていることがあって,コンガの演奏である。平日の午前中,生活リズムを整える意味も込めて音楽スタジオに通い,ただひたすらコンガを叩いている。今までパーカッション類にはほとんど触れてこなかったが,まずそのシンプルさゆえに広がる奥深さにはただ驚くばかりである。ただ叩くという誰でも跨ぐことのできる敷居なのに,どうしてこれほどまで多彩な音色が表現できるのか,アクセントを置く位置によってそのフレーズの印象がここまで大きく変わるのはどうしてか,疑問は尽きることはなく,そのすべてを試してみたくなる。打楽器を前にして,こんな無邪気さがまだ自分に残っていたのかという喜びがこみ上げる。何のためにもならない,人前で人を感動させられることができるような演奏になるには程遠いのに,それでも毎日あれやこれやと試すことそれ自体の面白さを思い出させてくれる。

その面白さは昔知っていたものだった,とか言えると良いのだが,残念ながら自分はそうではなかった。何者かになろうと最短ルートで,最高の成果を挙げることばかり考えてきていて,そのことも疑わなかった。そして自分で自分をほめても良いのではと慢心した瞬間あまりに虚しくなり,癒そうとあがくほどに余計苦しくなる中で,初めて見えてきた感覚だった。ただこの面白さも,生きるのに精いっぱいだと忘れられてしまう。試すことを強いられても,試すことばかりしていても,その感覚はやってこない。一度囚われたらそれ以外のことなどどうでもよくなってしまう上にこのように気まぐれなのだから,あまりにたちが悪い。それでも,思い出せるのだ。

これまでずっとエレキベースを弾いてきた。モテるともてはやされる前から弾き始め,未だに弾いてるのかよと言われるこの頃になっても続けている。長い間やっているからかその魅力を改めて伝えるのは難しいけれど,これも同じく飽きがなかなか来ない楽器だと思っている。同じセッティングで,同じフレーズを同じリズムで弾くように言われても,弾く人の数だけその音楽があるから,その終わりのない厳しさにどこか意固地になっているのかもしれない。あるいはもっと光の当たるなにかに持ち替えた人たちを見て,さらにはその人たちが放つ光に憧れて一度は捨てたからこその諦めか。楽器を弾いてサマになってたやつらはみんな,もう楽器を弾いてない。そしてその光をもう一度信じることはできない。

手の震えは一層厳しくなり,ベースで音を出すということすらこの先難しくなるのではないかという嫌な予感がしている。指摘されるたびに言っているが,人の手はもともと震えている。試しに腕を伸ばして指先に薄い紙でもなんでも乗せてみてほしい,少しは震えているだろう。その震えの幅がどうしてか私は人より大きく,さらには神経の昂りと非常に連動しやすい。だからライブや人前で弾くとき,その震えは大きくなる。演奏の最中で緊張がほぐれると普通になることが多かったのだが,最近はそうはいかない。大きな震えが常にやってきていて,さらにはその影響か,筋肉がこわばって思うように動かなくなってきてしまった。何か大きな病気の前兆でないと良いのだが。

このしがないサラリーマン人生でも音楽ができる,時間とともに演奏が成熟できればその幸せで十分だろうなんて思っていた時期には,こんな予感は微塵もなかった。「ルールが変わってしまったのだ。」不老不死になったとしても,その記憶は一般的な老年に差し掛かる前で止まっているとしたおとぎ話の一説を思い出す。きっと難しい本も読めなくなるのだろう,好奇心もかつてより衰え,迷ったら動かないようになっている。「そして何が起こるかは知っている。」

旅行についてもそうだ,ある時から旅行から得られた感動を得られなくなっていた。どこに行っても物足りなさをどこか感じてしまい,それを追い求めるばかり帰路についてふと後悔するようなことがある。その後悔が次の目的地への切符になっていることは多いのだが,初めて一人で旅をしたときの,自由だとか冒険だとか恐れだとかそういうのが塊になってぶつかってきた時の衝撃は,もう得られないのだろうと懐かしんだりもする。

 そしてそれは旅行がすっかり思索的な意味合いを帯びてしまった今,この最後のあがきとして今から旅行に出ようと思うことにつながる。難しい顔をしてなんか考えて書いてみて喜ぶのなら自室でもできるが,どうしてそれをわざわざ別のところでするのだろう。観光地を観光地として回り切れない幼さと,それでも行ったなら無駄にしたくないという貧乏根性の間に挟まっているのに,手が届かない。

およそ一年前,学生時代の友人と温泉街に行って深夜にも関わらずビール瓶を片手に河川敷を徘徊した時のことを思い出す。全ての時間を一緒に過ごしたというよりは適切な距離を保っていた仲ではあったが,冷たい川に足を浸しながらビールでも飲んで昔話をしていると,昔の馬鹿話や仕事の愚痴や叶わなかった夢だとか,そういったものが自然と言葉に結びついて,かたくなになっていたものがほぐれていったのを覚えている。それは社会人になりたての,あの規則のがんじがらめの中から一瞬だけでも脱獄してやるとでもいうような強い意志のなせる業だったのかもしれない。しかしその土地と,場面と,そのとき流れていた風だとか川のせせらぎだとか,そういうのがまとまってやってくれたことなのかもしれない。それ以来,ある場所でのみ出てくる言葉のようなものを探しているような気がする。

今まで自分に当たり前のようにあったものが,ある日なくなってしまうのは,あまりに恐ろしい。だからコンガを始めた。今まで当たり前にあったものは自分以上に思い入れがあって,たとえ形を変えてでも,それにしがみつくことしか自分を保てない。みじめかもしれない。だから時代を超えて人々に愛されるもの,それが場所であれ音楽であれなんであれ,その力に憧れる。そしてそれらは得てしてシンプルなのかもしれない。これらはどこか包容力があって,こちらの下手なまとまらない話も楽しく耳を傾けてくれる。そしてそこから去るとき少し満たされないのは,去り際にそんな表情を見せてくれるからであろう。

雷鳴で目覚める

朝方ものすごい雷鳴で目が覚めた。目覚ましがなる前に起きれたのは久々だ。朝早くに起きて規則正しい生活を送るという,あれほど困難だったことは少しずつできるようになってきた。生活が送れているというこれほど嬉しいことはない。朝起きて部屋を片づけ坐禅を組み,コーヒー豆をミルで挽き,ストレッチをしてトースターで温めたクリームパンを食べるという優雅な生活を,どこまででも続けていきたい。方向はわからなくても,どこかに進んでいるという感覚を拾い集められる気がするからだ。

しかしこうしたことができるようになったときには,その終わりが近づいてきたということでもある。あれだけ長かった休みはもう終わろうとしている。カウントダウンが始まってしまうのだ。終わりが見えたとき,これまで過ごしてきた時間に無駄があったのではないかと,また少し不安になる。

無限に時間が与えられると,無限に何もしなくなる。怠惰な大学生活を悔やみきって学んだはずなのに,またそれを確かめることになった。終わりが見えたときに感じる後悔と焦りは,自分の余命宣告の瞬間にもう一度確かめることになるのだろうか。いや,御免だ。あまりにむなしい。焦ってやったって何もいいことなんてない。終わりがいつ来ようが後悔しないようにしたい。今日が最後の日と思え,みたいなことを言っていた大学生を鼻で笑った自分のことを思い出す。

この休みの間,ほぼ欠かすことなく身体を鍛えてきた。ジムに通い,ウエイトリフティングや水泳と,これまでの人生で一番といってもいいほど身体に気を配ってきた。おかげで何の影響かガチガチに固まっていた身体は柔軟性を取り戻し(不要なところまで柔軟になった,このことは飲み会ででも話そう),開脚しておなかを床に着けられるくらいまでにはなった。「学生時代運動何やってたの?」「お,土建屋っぽいねえ!」といわれてきたが,おかげで趣味が運動なもんでして,ということができるようになった。しかし土建屋っぽいねえって何だ,社会通念よりはるかにスマート,少なくともそんな偏見を振りかざすような奴らよりはスマートだと思うんだが。

身体を動かすほどに思うのは,背筋を伸ばした状態というのは不自然な状態なんじゃないかということである。常にどこかに力を入れていないといけない(もちろん修行すれば身体の緊張など不要であろうが)状態を最適状態とするのは,誰が言い出したともわからないことが自然と強制力を持つようになったという点で,とても神秘的だ。同僚は,立ち方が悪いと上司に言われて飲み会が丸々説教に費やされたという。くだらないなあと思いつつも,こんなところにまで見えない力が及んでいるのかと思うと偉大だなあと思う。自分の考えていることなんてほとんど伝わらないし,それが何かの道を示すことなんて到底無理だと痛感したからだ。

この休みの間に,できることは何でも試した。幅広く創作活動をしてみたり,読みたかった本を読み漁ったり,本当に手当たり次第なんでも試した。しかし残るのはあの慣れ親しんだ,時間が足りないという感覚と,何をやっても満足できないという枯渇である。つまるところ,時間や充足の枯渇は,時間にあふれていても,さらには誰からの承認も必要としない状況においてでさえも,感じられてしまうものだったのだ。もし無限に休みたい,南国に行ってずーーっとぼーっしたいと思うのであれば,行ってみるといいかもしれない。永遠にぼーっとしていられるほど鈍感ならば,今いるところでも十分ぼーっとできるはずだ。ではしないのは?

試しにはじめてみた水彩画。完全な自己満足としてスタートさせたが,何をやってもこれではないという感覚に襲われる。そして求めているのは自分のやっていることが正しいという承認であり,もっと時間があればもっとうまく描けるのにという言い訳がその内訳だ。しかして他人の承認を求めるならそれは自己満足というわけではなくなり,今ここに当時の状況を思い出しながら書いている本人ですらよくわからないような状態に陥っていく。

本当に,厄介なものだった。

私の家系はどうやら先々代のその前くらいまでは父方も母方もそれなりに裕福というか名士的だったらしく,どことなく名門としての価値を重んじていたのは今でもよくわかるし,その感覚は私にも受け継がれているようにも思う。しかしてその先々代くらいからいずれの家にも翳りが見え始め,今となっては名もない,しがない労働者としてみんなやっている。こうした没落というか,どことなく時代の流れに逆らえなかったのはどうしてかとふと考えるが,ある時から,学校の先生をしていた祖母はしきりに一つのことを繰り返すようになったことが思い浮かぶ。いわくマラソンは序盤から中盤のうちに先頭集団と第二集団に分かれるが,先頭集団についていれば実力以上の結果を残せることがある,だから先頭集団に何としても食らいつけ,死んでも食らいつけ,と。かつてそれはある程度成功した祖母の言葉だと思っていたのだが,もしかすると,それは離れていった背中を見ていくうちに痛感するようになった言葉かもしれない。

しかして先頭集団とはどこにいるのか。どこに居るのかもわからないほどに離されてしまったということかもしれないが。ただその先頭集団とやらには数多くの友人やお世話になった人がいるような気がして,友が皆我より偉くなんとやらという気持ちになっている。そして先頭集団は後ろを振り返ることがないから先頭たりえるのであって,きっとそのとき後ろに居る人たちが何を考え何に悩むかなんてことは気にしないのだろう。先々代の先代が将軍家と云々みたいなことを先々代が言い出したのは農地とかそういうのが無くなってその兄弟が地元を出ていったときからだった。走り続けていると,走らない人のことはわからない。3年後,5年後に会いたいと思われなくても,20年後,30年後にまた会いたいと思われるような人になっていれればと思う。誰を念頭に置いているわけでも,具体的な出来事があったわけでもない。ただ,社会復帰をするにあたって,何となく「もうこの人たちとはしばらく会わないだろう」と思うことが多くなるだろうなと思ってのことである。

しかして緊張しきった状態と真逆にある脱力しきった状態こそが本来の姿ではないのか。力を使わないために力をつけるウエイトリフティングをしている,矛盾だ。爆音でオールドスクールヒップホップを流しながら,バスケをやりたい。バスケが結局伸び悩んだのは,力んでいたからであり,些細なことで驚きすぎるからであり,そしてあまりにもまじめすぎたからかもしれない。つまりセンスがなかった。時間が無限にあるからラップだって始められる。歌の練習だってできる。そこでも感じたのは一切力が入っていない状態のほうが圧倒的にパフォーマンスが高い。追わなくなった時に初めて手に入るから,追うなとデートした女の子にフラれたときに母親に言われたことを思い出す。あの時飲んだのはバランタインファイネストだったが,めっきり飲まなくなってしまった。

ところで時間が無限にあるから何もしなかった,といったがあれは嘘だった。書いているうちに考えが変わった。いろいろしたけれどただ何もしなかったように思えるだけで,それは時間を言い訳にして得られなかった充足を望んていたからであり,その原因にあるのはつまるところ忍耐の不足だった。耐えなければならないということを学んだ,それだけでなんかしたと言える,言ってもよいではないか。わがままを通すには腕力が必要だが,腕力を使うと寄ってたかって袋叩きにあう。強いやつが多いが,自分はそれほどまでに強くない。だから力を抜かないといけない,追ってはいけない。

朝の散歩

午前中が本当に厳しかった。いつもは6時前に起床していたのに,休んでからというもの9時頃に起きられれば良いほうになっていた。しかしこの1週間は毎日7時頃に起きられるようになってきた。治るのは近いかもしれない。

甘えといわれるかもしれない。そういわれるとそうであるが,ところで自分の強い意志があればできることと,意志があってもどうにもできないことの境界がわからなくなってきた。なんでもできると思うときもあれば,その日の食事を考えるので精いっぱいのときもある。自分でできることとできないことは,周りの人や求められることによって決まると改めて考えさせられる。悔しいけれど何をするにも一人ではできない。教えてくれる人が必要だ。

坐禅をするようにしている。学生のころ,坐禅をするゼミに運よく入れた。いわゆる成功した人間や強い人間から遠くなったのはここでの体験があるかもしれない。達成感は麻薬,時には学んだこともすべて捨てる覚悟が必要といわれたことは,師の教えの曲解かもしれないが,そのとき深く響いて,時間が立つほどにその言葉は磨かれ,味が出てくる。強くはなれなかったがしなやかにはなれたと思いたい。自分を自分で安易に認めてしまえるのもしなやかさだ。どこまでも伸びていきたい。結跏趺坐の脚のしびれも,自分が何をおろそかにしてきたか教えてくれる。

それでもどうしても眠かったりスイッチが切れてしまうようなことがある。明日から旅行に行くが,発作が起こらないかが心配だ。感情とはある状態が持続するものではなく,潮の満ち引きのように,昂るときも落ち込むときもある。一瞬として同じ瞬間はない。そして波が大きいときは,高波のように打ち付けては意気込みや価値観のようなものを洗い流してしまう。その瞬間はある意味では何にも縛られないとても貴重な体験だが,人といるうえでは都合が悪い。ところでどれだけ対策をしても波そのものをコントロールすることはできない。できるのは波に打ち付けられたときのリカバリーであり,それならば着実な対応を取れるようになってきた。

スイッチが切れそうになるから,眠れないからと,振り払うように身体を鍛えている。しかしそれはかえって逆効果かもしれない。身体的な疲労は着実に蓄積され,どうしようもなくなる。問題は睡眠をコントロールできなくなることではなく,睡眠をコントロールできないことを恐れることである。

だから朝,軽い散歩に出た。住んでいる町なのに,自分の行動範囲は決まっている。便利になるほど,可能性は制限されてしまう。新しいことにオープンでありたい。そう思いながら目的もなく歩くと,自分の重心がどこにあるのか,どこが痛むのかとかが少しずつ見えてくる。話すべきは他人ではなく自分自身であった,自分との対話をおろそかにしすぎていた。それは住んでいる場所にしてもそうだ。いつものスーパーでいつものどおりの食材を買うのに慣れすぎて,その一本裏の商店街がどうなっているか向き合っていなかった。

商店街の朝は不思議だ。夕方とか仕事終わりに遠目に見たときは,人はおらず,何を売っているかすらわからないような店ばかりなのに,朝は期待に満ちている。ママチャリに乗ったお母さんと子供,日傘で並ぶ母と娘,くたびれたポロシャツのお父さんが行き交う中,シャッターを開ける音や台車が走る音がアーケードに響いている。何度でも言うが,その中に一人取り残されているかのようにまたしても思えてしまう。しかしそれは絶対的に拒絶されているというよりも,むしろ客人として緩やかに招待されているかのようなよそ者感である。そして充満する期待はよそ者だからこそ見えるともわかっている。

部屋に戻ると流し場の食器が見つめてくる。洗わなくてはならないとわかっていてもついめんどくさくて後回しにしてしまうのは,ほかにやるべきことがあるからだ。いや,正確にはあると思っているからだ。自由な時間は,かつてないほどにある。しかし何をするにも自分で勝手に制限をかけている。あれこれをやろうとすると時間がないから,とかこんな状況になっても言っている。修行が足りない。ところでめんどくさいことが終わると,それを無事にやりきれたことへの感謝の念がわいてくるようになった。何に対する感謝なんだろう。発狂の日は近い。

感想:打ち上げ花火,下から見るか?横から見るか? について

映画「打ち上げ花火,下から見るか?横から見るか?」を観てきた。なぜか酷評されまくっているが,非常に好きな映画だった。感想文を書くのは苦手だし本ブログの領域外とも思うのだが,恥ずかしながら記録に残してみる。夏休みの読書感想文も思えばこのくらいから準備していた。

ところで,この作品にそもそもの元ネタがあったことは観た後に知った。ノベライズ本もあることもそのとき同時に知った。いずれも手に取れていないのは恥ずかしい限りだが,そのためあくまで映画としての感想記録になることを了承されたい。以下,詳細設定の説明は割愛,ネタバレは当然のものとしていきます。改行しておきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

0.

一般に花火大会というと,場所取りのブルーシート,夏の縁日の薫り,そして待ち望んだ花火が上がった時の喧騒が思い浮かぶ。中学一年生の夏休み,今までそこまで意識していなかった異性の影が大きくなり,思わぬ浴衣姿や名前も知らない髪型に戸惑ったりしたことがあったか忘れてしまったが(!),そんなことがあったらとふと想像を膨らませてしまう。

本作はそうしたあるはずもない「ある夏の一日」を求める大人たちの情緒に応えるべく,青春の一場面を切り取って「アニメならではの映像美」を駆使してきれいな花火を見せてくれるものかと期待していた。ところがその期待は裏切られる。誰もが思い浮かべるような,夏の余韻に満ちた花火は本作においては描かれないのである。

 

1.

主人公・典道はその友人たちの「打ち上げ花火は横から見たら丸いのか?平たいのか?」という議論に巻き込まれる。火薬が爆発するからどこから見ても丸いという意見と,偉い人が平たいといっていたからという意見がぶつかるが,本当のところは誰も知らない。それを確かめに行こうというところから物語は動き出す。

この「丸いのか?平たいのか?」という疑問は作中再三繰り返される。確かに,空に咲く花火を見るとき,見る者の視点はある点に固定されている。しかし,もし見ている「その」視点とは別の「ある」視点から花火をみることができたならば,それはどのように見えるのだろうか?

 

2.

花火は,別の視点では別の姿を見せるのだろうか。一般化して,ある対象がどのように見えるかは,視点の選択に左右されてしまうのか。例えば円柱は真横から見れば四角形だが,真上から見れば円である。別の視点を想定することは容易いが,それぞれの視点から見えるものをすり合わせて一つの実像を作り上げるのは,それほどに簡単ではない。

典道が玉を最初に投げる前の世界には,若干のぎこちなさがある。頻繁に繰り返される「そんなこといったっけ?」というセリフ。典道が競争に負けた理由をなずなに伝えたとき,「全部私のせい?」と明らかに大げさな反応をするなずな。なずなが母親に連れ戻された場面に現れた祐介を理由なく殴る典道。ぎこちなさの理由はおそらく,「どうしてそうなるのか」,といった因果関係が作中で一切説明されていない点にあるだろう。場面間,登場人物間が切断されている。ある結末に向けて,因果をつなげてストーリーを進めていくという推進力がない。観客は登場人物の行動理由を想像するしかないにもかかわらず裏を取られるため,わからなくなる。

この世界では,物事を明確に説明してくれる語り手や既定路線は不在で,本人の意図に反して受け取られてしまう言葉,思いがけない裏切り,どうしようもない不条理にあふれている。この世界での出来事は,視点によって全く異なる出来事として存在するのである。誰もが納得するものは存在せず,根本的に分かり合うことができない。そんな他人から作られる世界で打ちあがる花火は,平たいのではないか?

 

3.

この作品では,なずなが海で拾ったという玉が重要な役割を果たしている。典道いわく,「もしもあの時」を想定してそれを投げるとき,「ぐにゃ~~」となったのち,「あの時」の場面が広がっているそうだ。このことをどのようにとらえるべきか。

玉を投げた後の世界で描かれるものは,投げる前に描かれるものと微妙に異なる。スプリンクラーが動く向き,なずなの教室への入り方といった点で違いがある一方,祐介が言っていたセリフを典道が言っていたりと,共通するところもある。このことから,玉を投げる前の世界と投げた後の世界に一切の関係がないとは言えない。

この考察にあたって重要と思えるのは,競争で祐介ではなく典道が勝利し,なずなと花火大会に行くことになったシーンである。玉を投げる前において,なずなが祐介を誘うとき,「好きだから」とその誘う理由を伝えていたが,典道のときには理由は伝えられていない。典道を誘うときになずなが伝えたことは,玉を投げる前に典道が祐介から聞いたこと以上のことは何一つ語られていない。このことから,玉を投げた後の出来事は,典道の持つ情報量に限定されているといえる。

さらに,祐介はなずなが「本当に好きだった」のだろうか。玉を投げる前,祐介は典道になずなへの好意を語っている。しかしそれは少々演技じみていて,むしろ祐介は典道となずなが二人でいられるように尽力し,親友を応援しているような印象すら受ける。中途半端な祐介の態度を,祐介の好意は本気だったと観客が決定できるのは,嫉妬に燃え,典道へ一切の配慮を見せない恋敵として現れる様子を見てからである。ところでこれは玉を投げた後に現れる祐介である。そして玉を投げる前の典道は,花火大会のために家を出る場面に見られるように,祐介のなずなへの好意を本気のものとしてとらえていた。このとき典道が祐介に対して抱いた像は,玉を投げた後の恋敵として現れる祐介に酷似していたのではないだろうか。ここでも玉を投げた後のことは,典道の持つ情報に限定されていると言える。

こうした点から,(のちに「典道君の作った世界」と作中において語られるとおり)玉を投げた後の場面は,典道が持っている情報をもとに典道が再構成した「もしもif」の世界であると私は考えている。さらにそれは,典道が玉を最初に投げる前の世界には一切影響を及ぼさない(いわゆる「ループもの」のように同一時間軸上の過去に戻って未来に影響を与えるというような効力の一切ない)世界だと考えている。言ってしまえばあの玉は,典道の空想の世界に観客を引き込むスイッチのようなものだと考えている。この作品は,典道の空想の世界を旅するものであり,ある結末を回避するために同じ一日を繰り返すようなものではない。以後,最初に典道が玉を投げる前の世界を基底現実とし,以後の世界を仮想世界と呼ぶことにしたい。

 

4.

家出を試みたなずなが母親に連れ戻される場面を目の当たりにした典道は,彼女が母親に連れ戻されない世界をまず想定する。恋敵と母親から逃げるのに失敗するたび,その失敗のない世界を想定する。こうして典道が作りだす仮想世界は,次々に重ねられていく。

ところで,ある和音――たとえばドミソの音を同時に鳴らせばCの和音――にその非構成音を加えていくことによって,その和音のもつ響きは広がり,描く世界を広げることができる。しかし非構成音がいくら加わろうと,その基調となる音はドであるように,空想をいくら重ねてもその礎になる現実は変えることができない。

たとえ基調となる音が変わらないにしても,和音に非構成音を規則なく幾重にも重ねていくと,それは不協和音となってしまう。確かに仮想世界を重ね,なずなが連れ戻されない結末までたどりつくことはできた。しかしどこにいくのかは「わからない」。終着点がわからず規則なく重ねられた典道の仮想世界は矛盾にあふれ,不協和音が響きだす。仮想世界は重ねども,空虚さしかもたらさなかった。

 

5.

ある試みが空虚だとわかっても,それでもそれに意味があったというには,試み自体を正当化しなければならない。楽しみにしていた旅行が大雨で台無しになったならば,その旅行に向けて準備したこと自体が楽しかったと納得することでしか,その準備に費やした時間は供養できない。

仮想世界を重ねていく試みが空虚だったとしたなら,その試みの中で過ごした時間,試みの中で得られた体験こそに意味があったと言わなければならない。何の解決にもならない逃避行を終わらせるにはどうするのか。電車が海の上を走るまでにいびつな仮想世界の海辺で典道が確信した,なずなへの,そしてなずなと過ごした時間への思いは,変えることのできない基底現実への自分の無力を露わにする。この事実を前にしてなお,試み自体に意味があると言わねばならない。物語が結末を迎えるためには,一つの転回が必要になる。

 

 6.

先に述べた疑問に戻る。花火は丸いのか?平たいのか?

もし花火がどの視点を選んでも丸く見えるのであれば,それはどんな人がどこで見ても丸いというだろう。一方で基底現実として描かれるこの現実世界は,言葉は一人歩きし,不条理は必然のように現れ,それらを説明してくれる誰かもいないような,いわば完全に分かり合うことのできない世界でもある。そんな現実において,一切の異論を認めないものは,ある意味では完全で,絶対的なものであるともいえるだろう。ではそれは?

すべてが思い通りに構成された仮想世界は,なずなが「次いつ会えるか」を典道に尋ねたのを最後に崩れていく。この崩壊は典道の試みの放棄を意味する。しかしそれは消極的な文脈ではなく,むしろ積極的な文脈において行われる。仮想世界においてともに過ごした時間それ自体に意味があったものとして意味が与えられるのであれば,むしろそのままにそれを保存することである。そして世界が崩れる最後の瞬間,二人は抱擁を交わし,花火が祝福するかのように二人の上に降り注ぎ,物語は幕を閉じる。二学期が始まるころにはなずなは転校してしまっている。

この典道が描いた美しい「もしも」の世界は,あまりに都合よく出来すぎている。しかしその都合のよさを指摘して彼を非難することは誰にもできない。たとえその仮想世界が基底現実と矛盾していると非難したとしても,それは描かれた世界を,そしてその世界における経験を揺さぶることには必ずしもならない。この意味で,典道の描いた仮想世界とそこでの経験は,それを放棄し保存することによって,どこから見てもそう見える,完全で,絶対的なものとなったといえるだろう。それらは典道にとっての「ひと夏の思い出」として確固たる地位を占めるのである。

分かり合うことができない世界において,唯一絶対的なものとして存在するのは,ある現実に「もしも」を重ねて作り上げた想像の世界と,その想像の世界の中で生きていた人たちなのではないだろうか。いつのことかわからない「ひと夏の思い出」は,どれだけ時間の作用を受けて美化されていようとも,それはこの先も折につけ蘇り,私を見つめ,問いただすのだろう。

 

 

00.

 

ところで実際のところ,花火は丸いのか,平たいのか?

盆に祖父の家に行って花火大会を見るのは,我が家の恒例行事だ。各地に住む親戚が集合し,マンションの一室からではあるが,まさに花火を目線の高さでみる。まさに「横から見る」というやつである。そして今ではビールと枝豆をベランダに用意して,花火よりも親戚が集まることを肴にしているようなところもあるのだが,花火自体は,私が子供用椅子に座ってみていたころから劇的に変わっているはずはない。

崩れゆく世界で,典道がなずなと別れる前に見た花火は,(理解が間違ってなければ)海の中から,下から見上げている。ところがそこで描かれる花火は光の屈折を受けてかにじんでしまい,とらえられるのは解像度の低いものである。しかしたとえその輪郭がぼやけていようとも,明らかにそれが正しい花火,その夏のクライマックスだということがわかる。

しかし花火を正しく描こうとしてみると,それがあまりに難しいことに気づく。花火らしい花火はどんな形だろうか,光が見えたと思ったら消えて,そして驚きから解放された後に,間の悪い発言のように腹に響く音がやってくる。そこにあったことは確かなのに,どんな形だったかは一瞬のうちに忘れてしまっている。瞬きの間に消えてしまった花火の形を思い出そうとするとき,それは「もしも」の世界で作り上げている像なのかもしれない。