身体の重み

大騒ぎしているが胃腸炎で3日ほど地獄を見ている。ただの胃腸風邪,食あたりといわれればそのとおりだが,正直ここまでつらいとは思わなかった。

バンドの練習の最中に突然体が重くなり,演奏の最中にも関わらずトイレに駆け込まなければならない状態に陥った。全身がしびれてどうするにもなく,とりあえず家に帰ったら最後だった。もうそこからベッドとトイレの往復だった。確かに死ぬかもしれないと意識した。死ぬかも,とは言い過ぎかもしれない。腹の中に常に緊張が漂い,39度近い熱にうなされると,ただベッドの上にうつむせに寝転がり,長く当たるには冷たいエアコンを避けるようにブランケットを被るが,熱で同じ姿勢をしばらく保っていられなかった。思い出すだけで苦痛が蘇る。

どうしてこんな苦しい目に合わなくてはならないのだろうかと思ったが,今に始まったことでもないかとも思った。それは嘘で,とてもそんなことを考える余裕はなく横たわるだけだった。しかし周りではワールドカップや結婚式やいろいろなイベントで盛り上がっているがどこかこのベッドの上だけ取り残されたような感じがした。無人島に何をもっていくのだろうか。

 

感想:リズと青い鳥

リズと青い鳥」を観終わって駅ビルの空中庭園に出ると,晴れ渡った空の色が瞬きのうちに変わっていくような夕方の時間だった。彗星の尾のような飛行機雲が2本の高層ビルの間の空にカッターで切り付けるように描かれ,この劇的な光景を眺める買い物帰りの老夫婦や若いカップル,ほろ酔いの集団がひしめいていた。そして誰もが携帯やカメラなりを取り出してその一瞬を撮影しようとしていた。私も機内モードにしていた携帯を取り出して撮影しようとしたが,上手に撮れないので止めた。見ているものをそのままに残すことができなさそうだからだった。カメラはあまりに解像度がよくて気を使ってくれるから,何もかもを写し出してしまうからだろう。しかし何もかもを写すことができたからといって,それを理解して支配して所有することにはならないだろう。そのような意味では写真を撮ったところで私はこの印象をいつまでも残すことはできず,写真を見たところでもどかしくなるだけだろうと思った。自分が見ているものや理解しているもののリアリティが無くなっていた。周りにいる人たちの会話や動作のすべてが嘘のように思えた。

この衝撃を消化し,立ち直ろうとして1週間が経った。そしてこれを書き始めてから再度観に行った。だがまだ考えが全くまとまらない。しかしその中から少しでも浮かび上がる言葉を練り上げて,感じたものを伝えることができるなら,それをしなくてはならないように思う。何よりそれもこの作品が訴えていることのように思う。以下,適宜作品を参照するため未鑑賞の方にはネタバレに思われるところもあるかと思う。ただネタバレしたからって作品の鑑賞に支障が出るとも思わない。

 

 

 

本作の最初の音楽室での練習のシーンから明らかなように,登場人物間の会話は恐ろしいほどかみ合わない。ここでのかみ合わなさとは,あるセリフAの構成要素aに対して反論をするだとか,そのaを見落として議論を広げるとか,そもそもそのaを理解してないだとかではない。それぞれがそれぞれのモノローグを積み重ねているような意味でのかみ合わなさである。そのシーンでは,確かに傘木と鎧塚の間で交わされる言葉だけを聞いていれば何気ない日常の一場面を切り取ったものである。しかしどうしてかそれらの言葉の意味するところは互いに全く異なった受け取られかたをしていて,全く異なるものを意味している。冒頭から展開される,互いの分かり合えなさ,コミュニケーションの不成立には,顔を引きつらせるしかなかった。

どうしてコミュニケーションが成立していないことがわかるのだろうか。本作においてそれは言葉では示唆されない。それはむしろ登場人物の些細な視線の動きであったり,しぐさであったり,光の当たり具合といったものによってそれとなく示唆されるだけである。本作ではそれが極めて上手で,描かれているものの全てに登場人物の真意がちりばめられているように思えて,つい読み込んでしまう。紋切型の決まりきった表現というものは極力排され,研ぎに研がれた描写が連続する。観る前は,たった90分の短い映画に思えたが,そのあまりの表現の密度に信じられないほどの集中力を要する。張り詰めた緊張感がある。言葉数は少なくとも,信じられないくらい雄弁で,常に語りかけてくる作品だった。

こうした緊張感をもたらす描写の技法は後に譲るとして,コミュニケーションの不成立に話を戻したい。ところで言葉は,どのような前提に立つかによって受け取られ方や意味が全く異なってしまう。そのため交わされる少ない言葉の中で相手の発言の真意を理解するには推測するしかない。そして推測は想像力を動員して行われるが,想像力は個人的な経験に左右されるところが多いように思える。この推測は作品とそれを観ている私との間でも行われるが,ここでは登場人物間で行われているものにフォーカスしたい。

傘木や鎧塚は対極の人物であるかのように描かれている。一人は後輩にも慕われ多くの人とも良好な関係を築く陽気な少女。もう一人は言葉少なく,人との間にはまず壁を設けてしまう内気な少女。彼女たちの在り方の違いは過去の出来事に対する態度に如実に現れるだろう。退部したことを過去のこととして気にかけたくない一人と,その退部が自分に黙って為されてしまったことを今もトラウマとして抱えている一人である。そんな二人は互いに互いを特別な関係だと思っている。一人は幼馴染である彼女のことを深く理解しているのは私だとして,もう一人は彼女こそ私の中心にある人だとして。本作は全編を通してこの特別な関係,すなわち「理解しあっている」とでもいうような関係が築かれていることが誤解でしかないことを描いていて,その極地は全体練習で鎧塚がソロを演奏する場面であると思っているため,そこに焦点を当てたい。鎧塚がソロを吹くのは随所にあるが,「ソロを吹く」といったら「そこしかないだろ!」という感じなのでそこに至るまでの過程は省略させていただきたい。

ところで表現したいものを表現するには表現する技術が必要である。イメージを実現させるにはそれぞれに実現させる方法があり,その方法の習得はそれなりに汗をかかないといけない。頭の中では名曲として在るものも,それが万人に伝わるようになるには,歌なり楽器なりを練習して演奏できるようにして,それが自分の頭の中に在るものと寸分たがわぬものにならないといけない。(得てしてその過程で当初あった輝きは失われてしまうのであるが。このことはまた改めたい。)しかし表現できるようになったとして,何よりも皮肉なのは,表現したいものを表現しても,それが必ずしも正しく理解されるとは限らないことである。

この皮肉は本作においても展開される。全体練習での鎧塚のソロは,表現するべきものが見えたからかその場にいた人たちを圧倒することができた。傘木は鎧塚のソロを前にして涙を流す。掛け合いのパートではとぎれとぎれの,やり過ごすような無表情なフルートの演奏が続く。しかしこの涙は鎧塚が伝えたかったことに反応しての涙であっただろうか。むしろそれは,傘木が当たり前のように思っていた鎧塚の像が一瞬で崩れたことへの反応だろう。ここで肝心なことは,彼女は鎧塚が表現しようとしていたことそのものは理解していないということである。それはその後に続く理科室(フグのいる部屋)でのシーンにおいて傘木が,鎧塚が表現したことそのものではなく,表現できるということを攻撃していることからも読み取れるだろう。その理科室において鎧塚は,傘木にこれまで口にしてこなかった思いの丈をぶつける。しかしここでも傘木は,鎧塚に対してかける言葉を持ちえなかった。

そもそもなぜ傘木の鎧塚の像は崩れたのか。傘木は,鎧塚が音大の先生から進路について声をかけられたことを知ったことに加えて,認めたくなかった鎧塚との演奏技術の差や選ばれなかったという事実を前に,選ばれた鎧塚との距離感を失ってしまう。この距離の喪失によって生じた緊張は,自分こそが鎧塚のことを本当に理解していて,自分こそが彼女にとって特別な存在であるということを自任していたことの裏返しであったことを明らかにする。だから鎧塚のソロは,彼女の真の理解者であるという自任があったからといって彼女との技術の差を埋めるものではなかったことを明らかにした。しかしこれは断じて鎧塚の表現したもの,鎧塚が伝えたかったことによって傘木が得た結論ではなくて,きわめて私的に導き出した結論である。だからその差を認めることこそが彼女にとっては一番の問題で,そのことがわかったときには明るく笑うことができたように思える。

 

このシーンをコミュニケーションの不成立の代表格として取り上げた。しかしこのシーンは本作のもう一つのテーマが一つの結論を得る場面でもある。鎧塚がソロで表現しようとしたものはなんだったのか。彼女が表現すべきものとして見出した結論はここまで述べてきたコミュニケーションの不成立に対する一つの答えであるように思える。

鎧塚にとっての傘木とは,彼女の中心にあるような人だった。自分が行いえない一切を彼女は実現し,あらゆるものをもたらしてくれるが,ある日突然姿を消してしまうような人でもあった。何より鎧塚とオーボエの出会いは傘木によるものであった。このようなかけがえのないものを大事にするにはどうするのか。鎧塚は徹底して傘木と共に居るようにする。鎧塚は傘木の希望こそが自分の希望で,傘木の失敗は自分の失敗であると信じている。

本作に登場する童話「リズと青い鳥」は独りぼっちで暮らす少女リズのもとに青い鳥が訪れ,彼女は鳥と楽しく暮らしたがある日その鳥を逃がす決心をするというものである。この童話に想を得た課題曲のうち,リズと青い鳥の別れを表現したとされる楽章が本作では取り上げられる。そこではフルートとオーボエはそれぞれリズと鳥を表しているとされ,傘木と鎧塚は二人の関係をそこに重ね合わせる。(大事なのはここでも傘木と鎧塚が決して同じ意味で二人を重ねているわけではないということである。)

鎧塚には,すべてをもたらしてくれたが去ってしまうような傘木が青い鳥に見えた。だからこそ,青い鳥を手放したリズの気持ちが理解できない。「本番なんて一生こなくていい。」しかし練習に練習を重ねても揃わない傘木との演奏や,すれ違いが重なる中で高坂の言葉が突き刺さる。「先輩の今の音,すごく窮屈そうに聞こえるんです。」青い鳥を籠に閉じ込めておくことが,自分の大事な青い鳥を青い鳥のままにするのだろうか?こうした彼女の疑問は課題曲の解釈を通じて解けていく。青い鳥は,自分が逃がされることをどう考えただろうか?なぜ青い鳥は逃がされることを受け入れたのだろうか?先生との対話は彼女の思考を言葉にのせていく。

青い鳥がリズのもとを去ったのは,リズのことが大切だったからだ。大切だから,その決断に従ったのだ。しかしリズは,青い鳥が去った理由は推測によってしか知ることができない。リズが青い鳥に託した願いがそのままに届いたかどうかを知る手段はない。それは言葉にしても伝えきることのできないものだからである。それでもリズは届いたと信じることができる。それは届いていようといまいと,自分がそう思うのだからよいという決断であり,それ以上は立ち入らないという諦め,あるいは「私の愛の形」ともいえるだろう。このとき,他者とは,すべてを決して理解しえないものとして現れる。しかし,このことを認めることではじめて,他者が存在できるスペースが作られる。他者が存在できるのは,その存在をすべて理解しなくてよいと思えるときだけである。このときはじめて自分と他者をつなぐ可能性のある回路が立ち上がる。

そして鎧塚の世界は転回をはじめる。かけがえのない傘木は,どこまでも自分の思考が描き出した傘木ではなかったか。どこまでも一緒に居るとして,推測を積み重ね続けて傘木のことを理解しきろうとしても,本当の傘木をその末につかみ取ることはではないのではないか?彼女のことをすべて理解し,手元に置き続けることはできない。推測に推測を重ねて描いた相手の像は,どれだけ精緻に描いても推測をした自分が描いたものである。像と実際の相手との間に齟齬があったとしても,その像こそが好きなのであれば齟齬は問題にならないのではないか。ならばその像とは,未完成であってもよいのではないだろうか。

転回はさらに進む。このようにして自分以外の他者を認めたとき,自分は自由になれたと言えないだろうか?相手も自分と同じように自分を他者として認めてくれるのであれば,相手は他者である自分のことを理解しきることはできない。このとき自分を縛りつける者はいなくなり,何もかも自分で決定できるようになる。他者が自分とは関係なく存在するように,自分も他者と関係なく存在することができるからだ。そしてはじめて鳥として籠から飛び立っていくことができるのである。自分が進む進路が決定できるのである。このとき,籠の鳥を逃がすという行為は,自分の描いた像から本人を逃がすということだけでなく,推測を続け理解しきろうという執念に駆られたこれまでの自分をも解き放つことであるかもしれない。このことをおぼろげに悟ったとき,鎧塚のソロは卓越したものになったのではないだろうか。

だとすると最後の理科室のシーンにおいて吐き出された鎧塚の言葉は,別れの言葉だったといえるように思う。溢れた言葉には,完成させるために推測を続けることを求め続けてきた未完成の傘木の像に対する別れ,そしてその求めに忠実にあり続けようと自分への別れが含まれていたように思えた。(悲しいことに,このような結論を鎧塚が得たとしてもそれは傘木には正しく伝わっていない。)

では本作の着地点がこうした別れの末の悲惨な孤独を描くのかというと,結論はむしろその対極にあるように思える。どれだけ自分にとってかけがえのない人であっても,決して理解できないのが他者であり,その事実を受け入れるということは確かに過酷である。しかし一方で,自分がどれだけ推測を重ねて相手の像を描いたとしても,相手はそんなものとは無関係に居てくれる。このことは,何もかもが疑わしくなるような孤独の中においては,唯一感じ取ることのできるリアリティであり,暖かさであるかもしれない。傘木が鎧塚に対して繰り返した「ありがとう」はそうしたことに向けられたもののように思えた。そして全く分かりえない他者と偶然の一致を見る瞬間――ハッピーアイスクリーム!――は分かり合えない人間同士の手さぐりのゲームにおいて唯一リアリティを感じられるものであり,これ以上に嬉しくて暖かいものはないのではないだろうか。最後のシーンでは,鎧塚と傘木は何を食べようかと話しながら歩き,そして偶然本番に向けた思いの一致を見る。このとき共有された二人の喜びを見たとき,はじめて本作において描かれていたコミュニケーションが成立していないぎこちなさがなくなったように思えた。コミュニケーションは推測の末に手にする「理解した」という確信によって成立するのではなく,理解できないことを受け入れ,些末なことに喜びを見出したときにこそ成立するというのが,そこで私が得た理解だった。

 

という理解を言葉にするのは本当に苦しくて,立ち直れなくなった大きな理由であるように思う。ある作品を見てそれを理解し,気づいたことを語る作法を身に着けなかったこと,身に着ける努力を怠ってきたこと,そして技術を磨いてこなかったことには大きな後悔しかない。説明が悪くこじつけの暴論になるのは許してほしい。これでも努力した。しかしどうかもう少しだけ続けさせてほしい。上で触れなかった技法的なことや,印象に残ったことをとりとめもなく話す。

 

・メタ的な偶然の一致について

本作においてキーとなる上記のような転回(正しい理解かはわからないが)は各人において,傘木は失った鎧塚との距離感と向き合うこと,鎧塚はかけがえのない傘木という像と向き合うことによって,実現される。これは両者が示し合わせて,対話によって得た結論ではなく,事件とも言えない出来事からそれぞれが導き出した結果が偶然一致したものであるように描かれる。偶然の一致こそが共有できる喜びであるという点が上述ののような場面においてだけでなく,こうしたストーリー全体を構成する点においても成立しているのを見て(メタ的とでもいうんか?),声にならない声が出てしまった。特に楽譜に「はばたけ!」と鳥のイラストと共に書かれていたシーンとかはもうはああああとなるしかなかった。だって二人,あんだけ話してなかったのに至った結論が一緒だなんて。

 

・鎧塚を取り巻く人間関係について

本作において登場するオーボエの剣崎について,このような形で触れることしかできないのが残念である。しかし剣崎はこれから述べるように本作では決定的な役割を果たしているように思う。

まず何より,口数の少ない鎧塚の代弁者,時には写し鏡としての役割である。傘木を取り巻くフルートパートの後輩たちは,その後輩たちの間で成立し,完結していた。その輪の中では話されることは誰がそのことについて話をしていてもさして問題にならない。発信者が不在の言葉がただ積み重ねられていく。取り立てたオリジナリティはそこでは一切求められていない。剣崎が彼女たちに抱く印象はその輪の外にいる人のそれであるが,しかしそれは鎧塚が他人に対して感じていたことを代弁しているように思える。そして鎧塚と剣崎の間で交わされるやり取りは,鎧塚の変化をそのままに映しているようにも思えた。

第二に,鎧塚からすれば,剣崎との交流こそが傘木以外との交流であった。傘木が鎧塚との間に距離を見出すきっかけの一つとなったのは,鎧塚が築いていた他者との壁が割られつつあることに気づいたことである。独占しているはずの鎧塚がどこか遠いところへ行ってしまうのではないか,自分以外に見せる顔があるのではないかという不安を傘木にもたらしたのは剣崎であり,それはひとえに剣崎の不屈の働きかけによって行われた。(そう考えると剣崎が傘木に渡したゆでたまごは多義的である。しかしここらへんの論点は取っておきたい。)

最後に,本作においてここまで感情を直球に表明することのできる人がいただろうか。彼女がここまでコミカルに描かれてしまうのは,裏を返せば彼女ほど率直に感情を表明し,個性を持っている人が他にいないからかもしれない。そしてこのような率直で一方的な力がもたらす変化というのは,本作が描いているであろうコミュニケーションとはまた違ったものではあるが,見過ごすことのできないものであるようにも思う。

 

・音楽の喜びについて

上述のように剣崎が本作において果たした役割は圧倒的だと思っている。そして剣崎がもたらしたのは上述のような鎧塚の写し鏡としての役割だけでなく,音楽の喜びを伝えるという重大な役割があり,それを果たした。はじめて描かれる鎧塚と剣崎の合奏のシーンはあまりに幸せに満ちている。それは技術やら目標やら競技性といった難しいもの,さらにはそれが生み出すおぞましい人間関係を一切排した,未分化で,ただ音が重なる喜びに溢れているようだった。そしてそれは人の傷を癒す力がある(オーディションに落ちた剣崎を慰めたのはなんだったか)。周りにいる人と思わず歌いたくなるようなシーンで,本当に好きだった。

蛇足ながら高坂と黄前の合奏では決してそのような喜びは描けないように思えた。彼女たちの演奏には目標や意図があるだろう。「強気のリズだね」という発言にあるように,それは明らかに聞く人が感じることのできるものとして描かれている。そのようなとき上述のような喜びは背景に退いてしまうだろう。ところで本当に音楽を聞いて「おっ,怒ってるねえ」なんてわかるのだろうか?

 

・アンサンブルについて

というわけで音楽に絡む話を少ししたい。

モノローグを積み重ね,そこに何らかの調和を読み取らなくてはならないというのが本作の特徴だとすれば,暴論ながら,それは吹奏楽の合奏シーンにおいて極地を迎えているように思えた。音楽を奏でることは,指示されたものを再現するということと,指示されていないものを表現することから成る。前者は楽譜で示された音階等であろうが,一方で後者は,例えば楽譜では指示できないもの,例えば「強く!」というのはどのように身体や楽器を操作するのか,というようなもので,得てしてそれは再現と比べても演奏者の経験に委ねられている点が多い。このことは滝先生が指摘するとおりである。

だからこそ,「ブレーキをかけた」演奏や,「本気の」演奏という考え方がまかり通る。演奏では,個人の経験や「思い」をぶつけるようなことができると思われているのである。そしてそれが本当にできるか否かについてはきっと膨大な研究があると思うので,それらを参照いただきたい。一演奏者としては,感情を表現するにはそれらを表現する技法の集積があり,それらをその都度引き出しから選んで組み合わせているだけなのではないかと思っているので,もし本当に「憂鬱なように!」といわれたら何も弾かないし,「強く!」といわれたらゴリラのように手を叩くのが感情のままに楽器と向き合うということではないかと思うが,これ以上はここではやめておきたい。

一方で,複数の演奏者間で思いや経験を一つの方向に向かせるということはできるように思う。例えば「春の陽気のように楽しく」といえば,演奏者間で大体はおんなじようなイメージが出来上がるだろう。しかしイメージがある程度共有できたからといって,それを表現する方法というのが一致するとは限らない。だからリズと鳥の別れを表現するシーンにおいて,オーボエとフルートが全くかみ合わないということもままあるように思う。そして一演奏者の経験からして,そのかみ合わなさは,イメージと表現する方法のすり合わせによってしか解消できないように思う。だからこそ,「互いの音を聴くように」「問いかけるように」「応えるように」(という表現にしておく)と滝先生が言ったのは,本作で描写されている以上にコミュニケーションが全く機能していないだろうこと示すリアルな表現だったように思う。

しかしどれだけ打ち合わせとかですり合わせたところで,決してすべての技法やイメージを共有し統一させることなんてできるはずはない。だからこそ,そのような意味ではアンサンブルは,どれだけ突き詰めたとしてもモノローグの積み重ねでしかない。ところで本作においても明らかなように,アンサンブルには良い/悪いという評価基準がなんとなくながらも,当然のようにある。そして得てして良いと言われることが多いのは,そうしたモノローグが一致を見るときのように思える。(ところで,練習はこうした偶然を起こす確率を高めるものなのではないか?)何十人がいるのにまるでたった一つの音を奏でているように聴こえるときとかは,誰の耳にも「良い!」と聴こえることが多いのではないだろうか。このことは,本作で描いていたコミュニケーションのあり方と一致しているようにも思える。

合奏はそれぞれがそれぞれに解釈して発信しているモノローグがあるだけなのに,偶然の一致によって生まれる良いアンサンブルを見出したり,それぞれの心情というものを投影して読み取ってしまう。このような不思議な力とでもいうような働きとコミュニケーションという領域は,相性がいいように思えた。だから全体練習のシーンとかは唸り号泣し,終わった後はただ笑っていたように思う。

 

・コミュニケーションの土俵

本作を振り返ったとき,人は当然のように自分と同じ前提や土俵に立って話をしているだろうという前提を私が無意識のうちにしていたことが明らかになった。私が何かについて誰かと話をするとき,当然のように何か対象を選択し,そのことについて話している。その対象が明示されなかったとしても,その対象を前提として論を展開してしまっている。けれど,そういった共通のものを共有できる人というのはどれだけいるのだろうか。むしろ,どういったものなら人と了解なく共有することができるのだろうか。説明不足や多くを語らないという言葉でやり過ごしてきたが,もっと本質的なところを私は捉えていなかったのではと反省するところが多い。

しかし恐ろしいのはこうしたコミュニケーションの不成立に充ちている日常こそが本来的な生活であり,ある言葉に対して適切な返答があり,そうした対話による会話を成立させれば何かにたどり着くことができるということは,空想の,自分の描いた像でしかないのではないかということへの確信を強めざるを得なかった。賃金労働者として多様な人と関わるようになりしばらくが経つが,これまで思っていたような対話は数える程度しかなかった。共通の前提に立って何かについて議論をすることが至上であるという様式のコミュニケーションを周囲の人に強いていたのではないかということについて顧みざるを得なかった。

 

 

もうここまで述べたので無駄だと思うが,本作はあまりに奥が深い。というのは,私が理解したように思えることは膨大な中の一部でしかないように思うし,さらにはある事を表現する技法のあまりの豊かさとその洗練具合には,ただただ感動しかなくて,どのワンシーンを取っても一晩を明かせて語ることができるような気がする。無限の読み方ができると思うし,書くほどに力が及ばないとしか思わなかった。そして今私がしたいのはこの作品についてただ多くの人の話を聞いて,小さな一致を見て,ハッピーアイスクリームといいたいというだけである。むしろそれ以外のことに為すべきことがあるのか。

以上,本当にお付き合いいただき感謝している。

何度目かの

数えうる限り30回程度転職を検討して,そのうち本当に転職を決意したのは今回を含めて3回,しかしまたしても失敗を迎えようとしている。入社の時から一度も変わることなくここまで来てしまった。

経歴は価値を量る指標でしかなく,価値そのものは実際の働きから生まれる。どのようなことをしてきたかということは,目の前で成されたことを評価するための指標でしかなくて,成果がない限りその指標が持ち出されることはない。人を経歴で判断し,こうしたルートなら私も目指せるだろうと思ったこともあった。しかしそれはその経歴の中に生きる人の血のにじむような努力を全く無視することでもある。私の経歴をもってすればこのような可能性があったと想像することはどこまでも容易く,ではそれを実現しようとすることはどこまでも恐ろしい。何かになろうとすることは何かになりえた可能性を放棄することでもあるが,ではそれらの可能性をすべて残した結果というのは,見るも無残な不完全燃焼の汚物である。私はいつでも,弁護士になって月に云億の報酬をもらい,作家になって世界中の教科書に取り上げられ,書いた曲で世界のヒットチャートを席巻してカバーされ続けるようなアーティストになれるのだ。自分の可能性を確信した日にする決断といえば,晩酌をビール一本で済ませるべきかサラリーマンには高級とされるワインを開けるかの決断である。日々は過行く。

今は有名な起業家として活躍している学校の先輩に,社会をメンテナンスする仕事と社会を進める仕事があると言われた。それは事実で,成立したものにぶら下がっているだけの存在になることは,切り開く存在とは全く別物である。今の会社に入ることは何かを実現することと思っていた。しかしそれは今あるものがつつがなく回るよう維持することでしかなかった。当然ながらぶらさがり続けたからといってある日,突然切り開くことができるというわけではない。仕事をするとは,ある事象に対して取りうる解決策の集積を用いることでしかなく,その解決策そのものには価値判断は含まれない。価値判断は仕事をする人が行うものである。この仕事観も様々な領域を任すという言葉でごまかした,既存のものをメンテナンスするだけの事業における日々の仕事というところからしか考えられていないことかもしれない。人生や存在をかけてでも取り組むべき大問題も,解決して救うべき世界も,どこにもないのであり,あるのは当たり前のことを当たり前にやることでしかないのだ。

だとしたら最初に入る会社を誤ったように思う。誤りは,どのようなことをしてもその誤りに費やされた時間そのものを消すことはできない。その誤りがなかったと言えるのは,その経験によって何かを為しえたと言い切ることができる強い者だけの特権である。ある戦争におけるある戦場で戦うことになった二人の兵士がいる。その戦場は劣悪で,二人の兵士のうちどちらかは必ず死ぬと言われている。一方で戦争といっても,誰も死なない戦場だってあり,運悪く二人はたまたまそこに配属になった。いざ戦闘がおこると,やはり二人のうちの一人は運悪く敵の集中砲火を浴びて倒れた。一方でもう一人は,もう一人が集中砲火を浴びたおかげで,その戦闘を生き延びることができ,さらには一定の成果を挙げた。ところで倒れた兵士は一命をとりとめ,祖国の病院に運ばれてその戦場での体験を語ることができた。その兵士の語るところによると,その戦場では勝つための戦略がなく,戦う目的もなく,ただ兵士の気力と運によってのみ戦局が打破できると信じられていて,指示がないから倒れる兵士が相次いだのだと語った。そしてそれはその戦場だけでなく,全ての戦争を通して敗色が濃厚になりつつあるどの戦場においても蔓延している病だと語った。このとき,賞を与えるべきはどちらの兵士だろうか。自分が誤りだったと感じるのは,こうした問題が絡んだ場面に直面した時であった。はじめて正義とはどのような意味なのかを実感した。しかしてこの正義体系が全く異なる世界に飛び出すということは,その体系において活躍することよりも勇気のいることである。失敗が成功に代わるのは,同じ失敗に出くわしてそれを成功させたときである。

ロンドンに語学留学に行ったときのことだった。パブでしこたま酒を飲んだ後,語学学校の友人たちとヨーロッパ有数のクラブに行った。腹に刺さるような低音とおしゃれな人たちに感動しつつ酒を飲み,騒いでいたのを覚えている。

しかし酒の酔いと,衝動と情熱の渦のなかで自分だけ取り残されて選ばれないものの憂鬱はつのるばかりで,耐えられないほどに膨らんだ寂しさをかみしめていた午前三時過ぎに割れるように痛む頭をいなしてトイレに入った。トイレで用を足していると,入り口に座っていた黒人の男性に声をかけられた。その男性がいたことには全く気付かなかったが,恰幅の良さと,スリムなシルエットのジャケットで,気づかないほうが不思議だったかもしれない。曰く,こんな爆音にずっとさらされて何が入ってるかわからない酒を飲んで,自分たちのことで手一杯な人たちに囲まれて(彼はことにいそしんでいるようなトイレの個室を親指でさして笑った)いてはどうにもやってられないよなあ,と私が無意識に発していたであろう鬱屈した存在への欲求を感じ取っているかのように声をかけてきた。私は堰を切ったように話した。一緒に来た学校の仲間がそのままことを始めたということや,泥酔して吐しゃ物を垂れ流しているドイツ人が許せないだとか,そんなことを延々と話したように思う。その男性はにこにこと笑い,ときおりそうだよなあと相槌を打ちながら聞いてくれた。私は洗面所で手を洗いながら,トイレに入った時には全く気付かなかった,本当にずっといたのかと尋ねた。目的のない質問だったと思う。男性は愛想よくその理由は君が飲みすぎているからだと答えてくれた。いやあそうかもしれない,と笑いながら手を拭こうとすると男性は私に真っ白なタオルを渡してくれた。私は感謝を伝え,扉の向こうを指しつつ,こんなうるさいところに戻るのは御免だと伝えた。世界最高峰の低音システムも,そこに集まる最先端のおしゃれなロンドナーたちも心底どうでもよくなっていて,ただホームステイ先の家に帰って眠りたかった。男性はそんなこともあるさと私を励ましてくれた。そしてあの,日本では絶対にない,「会えてよかったよ」という文句とともに出された右手と固い握手を交わした後,男性は私に小銭の入った紙コップを見せた。「――チップは?」

今でこそこの経験は金を稼ぐことの意味を教えてくれたが,全人格を捧げてでも実現すべき大問題がこの世界にはあると思っていた時には,このとき払った1ポンドは,無駄な金にしか思えなかった。

書くこともなければ

何かを成し遂げようとしなければ一日はあまりに長い一方で,その何かが見え始めたときには一日は終わらんとしている。やる気があってもやりたいことがないこともあれば,やりたいことがあってもやる気がないこともある。この両者は大縄跳びのようにぐるぐると回っていて,ちょうどよいタイミングでその中に飛び込まないといけない。しかし実を得ようとする人は最初には飛び込まないから,最初に飛び込む正直者は大体馬鹿を見る。しかし本当の馬鹿であれば実を取ることは関係ないのかもしれない。誰もが同じ土俵で戦っているわけではない。しかし土俵に飛び込んだ以上は,得手不得手やストーリーがあろうと土俵の場で評価されなくてはならない。もしそれが,例えば1分間のタイピングの文字数だったとしても,誰かにとっては本当に大事で,また誰かにとっては本当にどうでもよいことなのに,では何ならばその人の一生がかかった時間の末に勝ち得た切符と呼ぶことができるのだろうか,人として生きてきたことを評価することができる圧倒的な尺度をどこかで求めてしまっているのではないか,そんなものがあるのだろうか。

時間には余裕のある生活をしている。時間に余裕のある生活があれば自分に好きなだけ時間を費やせるからよいではないかと思っていたが,そうはならない。時間の余裕はせわしなさの合間に見つかるもので,大河のように流れる時間の中に浮かんでいるのでは,その切れ目も見ることができない。流れを急にするものは何か。どんな急激な流れの中にいても顔色一つ変えないその強靭さは何か。激流を上る魚たちのうろこが光っている。抗うことを辞めれば一切は自由で,こだわりを捨てればどこにいても流れなんてない。

こんな達観したようなふりをしているほどに実社会から遠ざかっていく。見えざる手やらなんとやらは確実にいて,周りはどんどんと持ち場でそれらしいことをして,それらしくなっていく。時折自分とはただの友人関係にしかない異性が,自分の知らないところでそうしたことをしていたことを知った時の悲しさにも似たものが通り過ぎていく。自分が守っているものそのものをも飲み込んでいくようなエネルギーは,その人がその人たらんとしようと力んだ瞬間に発せられる。それは今まで無意識に行われるようなものだった気がする。ところがそこには先人たちが受け継いできた伝統や思いというものが紛れ込んでいた。読解力が上がるということは幸せな空想の中で眠らせておけばよかったものもたたき起こしてしまうことで,それはある日後ろから鋭い刃物をもって襲い掛かってくる。そして大事業や大成功と思っていたものはサークル的な駆け引きの産物でしかなく,実現されることのない歴史絵巻の中の自分を夢見ることすらも疑わしくなる中年時代がやってくる。誰もが気持ち悪いメッセージを後輩の女子に送ってしまう。傷つくことに慣れるほどに本当に傷つくことはしたくなくなるのだろう。そしてそのとき真にオリジナルなものはなく,自分がなりたくないと思った上司や,親や,先祖や,その敵が書いたであろうことをそのまま惜しげもなく繰り返すのかもしれない。そしてどうにもそれが気持ち悪いか否かと判定されるのは,その言葉の字義通りの意味ではなく,その言葉が発せられるに至ったストーリーこそが読み取れるかどうかなのではないかということで,つまり,こんな感じで適当に書いていたとしても,もし私がそこに至るまでのストーリーをきちんと読み手に伝えることができていたなら,読み解いたと大きく叫ばせることができたならそれは何をやっても気持ち悪くはないのだろうか。

一方でどうしようもない力でねじ伏せられたいと思うような欲求を否定することはできない。どうしてか気持ち悪いものにどうとでもされたいというような面も,気持ち悪いものを遠ざけたいと思うのと同じだけあるだろう。話している本人にしてみれば全く矛盾のない明快な人生理論も,はたから見ていると明白な矛盾を抱えているというのは死ぬほどあるということで,むしろ矛盾があるということを共有しあえる関係こそができるのであれば,それこそがかけがえのないということではないだろうか。いつまでも矛盾というか解決することのない悩みの周りをまわり続けて,同じ間違えばかりをしていてもそれでもそれだと言えるような力を得ることができればよいなあ。

時折思い出す

時折思い出すのは学生時代の冬に,本州の最北端を目指そうという無謀な思い付きから始まった旅行で出会った女性のことだ。冷え切った空気の中では対岸の北海道は手を伸ばせば届きそうなほどに近く見えて,むしろそれ以上を与えない厳しさがあったのを覚えている。雪の積もる漁船や防波堤に打ち付ける波の砕ける音と,その地を歌った演歌の記念碑から時折流れる豪奢なメロディは,それ以上に広がらない空間の奥行を彷彿とさせる緊張感に充ちていたように思う。

最北端という土地に惹かれてかこの地を訪れた文豪は多く,彼らと土地の小話を紹介する記念館が展望台の近くに建てられていた。そこの展示の内容をあまり覚えていないことから,展示そのものはごくありふれていたのだろう。文豪が愛用した椅子に腰掛けたり,文豪が囲んだ囲炉裏を仲間内で囲んでみて,追体験をしたということ以外何も感じないことを楽しんだのを記憶している。

しばらくするうちにその記念館の管理人とその娘と思しき人が出てきて,暖かいお茶を振る舞ってくれた。管理人は老婆というほどではないが,目の周りや手首には皺が深く刻まれていて,白髪染めでは隠し切れない年齢を感じさせる昔話めいた印象を覚えた。その比較においてか,もう一人は年齢を感じさせず,どこか同じ世代に属するのかもしれないと思わせるような女性だった。もちろん年齢は推定より遥かに上だっただろうが,どこか彼女にあった魅力に惹きつけられるようにしてか,我々はその二人との話を楽しんだ。おそらく緊張に充ちた空間の場違いさを共有できる数少ない共犯者のように思えたからだろう。緊張に充ちていたその土地は,若さや活力といったものと無縁の空間だったからだ。

私たちがどこからきて,どんな目的があって,何歳であるかという話になると,管理人は冗談めかして,彼女を嫁にもらってくれないかと我々に言った。売れ残った,行き遅れた,こんな田舎だから若い人もいない,というようなことを言って,優秀で若いあなたたちに連れて行ってもらったほうがよいというような話になった。優秀かどうかはさておき,みたいなことを言っては笑い,きっといい人がいるはずだ,お姉さんはきれいだし魅力的だから,とお茶を濁すようなことを言って記念館を後にしたような気がする。もちろんそれ以来,その記念館を訪れたことも無ければ,その後の生活においてその経験が話題に上ったことも無い。なんならその管理人と娘の顔すら詳細に思い出すことはできない。ただ不思議と,記念館で受けた印象だけは,思い出のフィルターを通して美化されたとはいえ,かろうじて記憶に残っていた。そして今,何故かその記憶が再構成されては現れる。あれほど閉ざされ,緊張に充ちた世界において,彼女は,何を考えて我々のようなものを迎えたのだろうか,という疑問が頭をよぎる。

劇場に行って,予告編の全く本筋と関係のないフレーズが,目的の映画そのものよりも印象的に思い出されることがある。こうしてまさに横にならんとしているときにも,外から救急車の音が聞こえる。誰かが倒れたのだろう。その誰かを車に載せて,車を運転して,診て,その誰かは生きるなり,死ぬなり,何らかの経験をしているのだろう。自分が自分の意図通りに読み解くことができる対象は少なく,対象は絡み合っている。一つ部品を外してみてもある対象が機能していたとして,ではその部品が当初から不要なものなのかどうかというのは,別の問題のように思えてきて,追究すべきことのように思えてきた。こうしたことに気づくのは,いつだってまとまった時間が無くなるということがわかった時であり,明日からの労働に備えなくてはいけない。

サンテミリオン

年が明けていた。年末も年始も休息にかこつけてひたすら食べて飲んで遊んでとしていて,その疲れが今になって身体の節々を締め付けているように思う。前かがみになると腹がつかえるようになった。腰掛けるときにも足の筋肉を意識するようになっていて,時間の重みを徐々に背負いこみはじめたように思う。

年末年始の話を少ししたい。

ミクシィフェイスブックが全盛だったころ(今でもきっとそうだろうけど),よく一年の総括と来年の抱負を書いていた。今それをやるのが少し気恥ずかしいのはこの先どうなるかが何となく見えているからだろう。崩壊しゆく祖国を一人で立て直すようなことを目標として掲げても,それは目標というよりは価値観の表明であり,それを実現するには小さなことを積み上げていくしかないということが今はわかってしまったと同時に,そうした小さなことを積み上げることに夢中になれる気力が自分にはないことに気づいてしまった。志を高く掲げる人たちをみてどこか遠い存在のように思えてしまうと同時に,まともに取り合わないようにどこかで見ないようにしていることに気づくが,まだ気づいているだけマシだろうと無理に納得させる。そうするほどに開いていった距離だとも言えなくはないけれど。

旧友たちと久々に会う楽しさと,気の知れた同僚と行く気晴らしのゴルフの楽しさの間に差があったとしても,楽しいことに変わりはない。話すことは尽きず,相手にわかってもらおうとしなくても会話が成立するような環境は心地が良い。年末年始はこうした楽しい時間と人たちに恵まれた。気づくのはそれはある程度の背景や考え方が共有されているから成立するということであり,こうした背景にあるものは話し合えばわかるということであったり,agree to disagreeというようなことであったり,知的好奇心の優越というようなものだろうか。

もし十年や二十年と経ったとき,果たしてこれらはそれでも私たちを結びつけてくれるのだろうか。かつて音楽番組があって皆がそれを見て,ロックといえばロックミュージシャンのアイコンがあり,バンドマンというと前が見えないくらい重たい前髪と折れそうなくらい細い身体の奴らがテレキャスをひっさげて歌っていた。そして今,彼らのような人はいなくなってしまった。いるのかもしれないが,私の周りにはいなくなってしまった。それに夢中になる人も,誰もが歌えるあの曲も,私の周りからなくなってしまったのだ。遠ざけたのだろうか。

年末は家族で過ごした。大晦日の夜,家族ですき焼きをしていた。昔は母の実家で一族が集まってやっていたのだが,祖父母の容態の悪化によってとうの昔に廃れてしまった。私がここ最近ワインをよく飲むということもあって,父親が飲みたいと押入れの奥で保管していたワインを開けて家族で飲んだ。

父はボルドーのワインが好きだと知っていたが,この年末の発見は,その好みはサンテミリオン地区のワインに絞られていることだった。そして年末も例外なくサンテミリオンメルロー主体のワインだった。どうしてか私もメルロー主体のワインを好んで手に取るのはこうした影響があるのかもしれない。スムースというかベクトルが内を向いている印象が好きなのだ。酒を交えて久々に家族で話すとやはり将来や来年以降どうするかという話になり,意図せずとも食卓にはどうしても力が入る。こうした力の入り方にどれほど自分が苦しんだかということが今ならある程度わかるが,かつてはそれが自然で,そうした大きな困難と一致団結が食卓を一つに結び付けていたのかもしれない。しかしてそのことは父がサンテミリオンを好む理由を何となく考えさせた。そして両親からは,年齢には抗えない衰えを感じるようになった。もう私も良い年齢になったということかもしれない。衰えは自分にも同じように生じているのだろう。

比較的年齢の近い同僚が,事務担当者の書類の提出の仕方がなっていないということにそこまでするかというほどに怒っていた。仲の良かった先輩との雑談は誰が役員に一番近いかという話ばかりになった。そうしたことに夢中になれない自分がいるが,夢中になるべきものを切り捨てていくうちに,この先の時間はただの消化試合としてしか現れなさそうな気がする。何度このことに言及しただろう。自分以外とは共有できない感情にしがみついても,自分すらにも無関心であろうとしても,さらにはその対立を読み解いたとしても,消化試合であることには変わりないのだとしたら。生きていて何が楽しいのか,という誰が言ったともわからない言葉に仕込まれた精巧な罠の恐ろしさを知る。

ギターを「ジャーン!」と鳴らして,かっこいいコード進行とかっこいい歌詞で歌を進めていくような人たちはどこにいったのか。今,それほどに心を動かすことができるような人たちはどんなことをしているのか。チェケラッチョやマジ感謝に代表されたヒップホッパーたちの姿も見えなくなった。当たり前のように私の中にあるイメージは,本来は常に修正されるべきものなのかもしれない。

惰性

今までは全くの白紙に向かったときに言葉や考えが溢れるように流れていたのに,今何かを書こうとしてみても,その余白ばかりが気になってしまって言葉が進みにくい。どうしてだろうか。

今年も残すところ少なく,せわしなさが目立つようになった。社会人になって,現場以外の職場で迎える初めての年末である。忘年会の季節がはじまり,朝にかすかながら酒臭さを残しながら出勤するような人が目立つようになってきた。二日酔いにもかかわらずそれを悟らせない人たちの芸には感服する。酒ばかり飲んで騒いでいるからダメなのだと断罪することはできるが,ではなになら良いのだろうか。そのことを考えるほどに自分の考えは問の段階から何も進んでいないことに驚く。憂うことと憂いてるようにみせることの簡単さにも驚く。

何も考えないようになっている。なりたくなかったのは思考停止の大人たちだったと常に思っていたが,それは思考というものを一面的にしか捉えていないということでもあった。若さから成しえた業だとも思う。かつて教育責任者の上司が何十年も生きているにも関わらず何もそのとき考える成長を感じさせなかったことに憤ったのを思い出す。何かを話そうとするとき,何かについての自分の意見を述べようとするとき,その思考の浅さに驚く。つまるところ何かを話すだとか,自分のオリジナリティだとかそういったものを述べることはできないということに気づかされる。個性なんてものがあっただろうか。

朝決まった時間に起きて,決まった電車に乗り,ある程度同じような食事を食べて家に帰り,適度に気になることをやって眠る。このような反復をしているうちに,何が本質的に自分に属することなのかと考えると,袋小路に入る。こうした反復から抜け出ることこそ恐ろしいことでもあれば,その中で気づいたら疲弊しきっていることも恐ろしく,すべては今すぐ実現には至らないけれど,蓋然性の高い将来から逆算して怯えることしかできない。そしてそれらから離れるために,そのことについて考えないようにするというのは,妥当な選択のように思えてきた。

何も考えず,目の前のことに集中していると,こうした苦労から解放されるような気がする。そしてそのとき気づくのは,語るべきこと,伝えるべきことなど何一つなかったのではないかという救いのような光は前から降り注いでいたということである。

創造的人生の期限について語っていたある映画について思い返すことがあった。曰く10年も満たないような短い期間しかない。私のそれは,もう終わってしまったのかもしれない。何も作っていないのに,何も産み出していないのに終わってしまったような気がする。もう何かをしようとも,しないことへの罪悪感にもとらわれることも無くなってきた。ではどうして,それでもこの記事を書こうとしているのかわからない。まだ終わっていないということかもしれないし,このときはじめて始まるものかもしれない。しかしそんなことすらも気に留めなくなっている。そんなことをどうして話すのか,考えるのか?