どうしようもない疲れ

久々に更新する。この時間にこうして家にいて、自分の時間が持てるということに感謝したい。

かつてどのようなことを思って記事を更新していたのだろう。記事を書くとき、確かに誰かを想定していた。それは自分と同じような境遇の人だったり、育ちや価値観が近い人だったり、要するに今いる場所に満足がいっていないような人たちだ。彼らを勝手に同志と思い込んで、その人たちに見てもらえるようなことを書こうとしていたところはある。彼らの目は、確かにあった。

ところがここ最近、自分の居場所に満足しないということがめっぽう少なくなってきた。労働先や労働内容やそのほかの対人関係は比較的恵まれていて、安定している。自分ができなかったことが少しずつできるようになっているし、新しい世界が見えているような気がするし、自分は自分だけのものではないというように思うようになっている。間違っている、直さなくてはならないのは世界ではなく、自分であることの方が多いことに気が付いたのだ。

けれど、時折どうしようもなく疲れてしまうことがある。まるでかつていろいろなものに不満をぶつけ、それらを変えようと努力しようとしていた自分の思考の残渣が毒のように体内をめぐる瞬間があるからだろうか。これでよいのか、とも思わず、しかし、これでいいんだとも思えないような中で、深い溜息しか出てこないような瞬間がやってくる。

先日、労働先の後輩と話をした。後輩は、幹部に自分のプロジェクトをこっぴどくダメ出しされ怒られたとき、ものすごく怒ったし、ダメだったということに落ち込んだといっていた。ところがである。昔はそこから何としてでも立ち上がって頑張ると思えたそうだが、今は、その勢いのあまり眠れなかったり、自分の時間を削ろうとは一切思えなくなったということだった。そしてそのことに気が付いたときどうしようもなく無気力になり、それからもどうしようもなく疲れてしまって何もしたくなくなる瞬間があると言っていた。いやあ俺もそうだよ、と言いながら、こんな話ができる人が近くにいたことに感謝しあった。多くの人たちは、そんな悩みを抱えたことがないように振る舞う。いや、悩んでいるのかもしれないが、私たちよりよっぽどうまい気晴らしの方法を知っているのだろう。少なくとも、同僚とは愚痴を、信頼しあえる仲間や恋人と話し、酒を飲み美味いものを食べ、ゆっくり休めばそんな悩みは得てしてなくなってしまうということを実践しているのだろう。確かに私もこうして後輩と美味いものを食べながら話をしたら、そんな後輩の悩みも、それに少し動かされた私のことも、どうでもよくなってしまった。

後輩はあまりの疲労に直面したとき、思わず転職のエントリーシートを記入したと言っていた。けれど文字を書くほどに世話になった人たちの顔や、挨拶をどうするかということばかりが浮かんだという。転職活動は転職サイトに登録した瞬間とエントリーシートに入社前の経歴や資格の欄を書いた瞬間が一番楽しい。そこから先はその期待のツケを払うことばかりだろう。私も、この労働先を離れようとするほどに、離れることができなくなるのだろう。自分のことよりも先に今いる場所の人の顔が浮かんでしまう、これはもう企業戦士市場で価値がないことの証左だろう。ここから深い溜息が出始めるのかもしれない。自分を構成するものが、あまりに広がっている気がする。そしてそれでよいと思うようになった。自分が自分であると信じられる奴は俺を置いていってほしい、できればそっとそのまま私をそこに置いておいてほしい。願わくば歩道の外の雑草の繁みにでも置いておいてほしい。

どうしようもなく年を取りつつあるように思う。自分を認めてもらおうと努力し邁進できる人たちがまぶしい。そして素直にそのまぶしさを見れるようになってしまった。後味が悪いだろうか、確かにね。

現場にいたときに連れていってもらったとんかつ屋に久々に顔を出した話

1か月半ぶりに髪を切った。だいぶ伸びて整わなくなっていたので一刻も早く切りたかったので、非常に満足している。この髪型は想像よりも高くついている。この短さが実は厄介で、この長さ、この刈り込み具合をきちんと保とうとすると少なくとも1か月には1回切りに行きたいと思いっている。毛先だけを切ってふわふわさせてる適当なやつらにはこの気持ちはわからないだろう。一生そうやって遊ばせていればよい。

この床屋に出会ったのは現場に勤務していた時で、そのときは仕事帰りに5分ほど歩くだけだった。長く看板を構えているのだろうけれど少しも古さを感じさせない、焦げ茶色を基調とした床屋は細かいところまで手が行き届いた場所だけに許される清潔感に溢れていて、いつ前を通っても人が入っている。はじめてそこで髭を剃ってもらったとき、ここまで自分の顎はすべすべになるのかと驚いたものだった。

今はオフィス街に勤務している。と言っても何をやっているのかわからない会社が入る高層ビルとガラス貼りっぽい駅舎のあのどこででも見るようなオフィス街ではなく、そこから少し離れた、伝統系の企業が立ち並ぶオフィス街に勤務している。現場から職場までは電車で1時間以上はかかる。家からも1時間近くかかるけれど、あの床屋は本当に腕がいい上に、また時折は昔の現場の頃の苦難を思い出すことも人生には必要である、という理由をつけて勤務先や家の周りの新しい床屋を探さずにそこに通ってしまう。通うからには現場の頃の思い出と対話しようと最初の頃は意気込んでいたものの、そこの床屋のマスターと何となく音楽の話や筋トレの話をするために仕方がなく行っているんだ、社会性を保つための1時間だと割り切るようになっている。

深酒をした翌日は、なぜか感性が極めて研ぎ澄まされている。聴き取れなかったパーカッションのパートや、歩道橋から見る街の風景に刺すような鮮やかさを見つけることができる。そして例によって昨夜は深酒をしてしまい、床屋で横になっている間も回復しなかったので、なぜか現場にいた頃のことがそのままに思い出された。そして現場にいたときに連れて行ってもらったとんかつ屋のキャベツがとてつもなく食べたくなった。

なぜとんかつではなくキャベツなのか。現場の昼食は出入りの仕出し屋の弁当だが、食は士気の要とはよく言ったもので、冷えた冷凍野菜のおひたしばかり食べていると心が本当にひもじくなる。このひもじさについては改めたい。ひもじさに耐えかねると人は寛大になるのか、連日のおひたしに耐えかねた上司は時折、とんかつを買って差し入れてくれた。タッパーに入った大量のとんかつに特製ソースをかけて弁当の白米と一緒に口に運ぶと、まだ熱いとんかつから染み出す脂と冷えた米が最高に贅沢な気分にさせてくれる。そして何よりこの差し入れの付け合わせのキャベツは、みずみずしさに溢れていて、この脂の溶けだしたソースとの相性が格別なのである。そして不思議なことに、そうした楽しい思い出はメインよりもサイドディッシュと結びついていたのだった。

そこのとんかつ屋で一度現場の懇親会をしたことがある。説明が遅れたが、このとんかつ屋は街のとんかつ屋というような気さくな感じではなく、どちらかというと割烹然としている。いつも食べていた差し入れはこんなところで作られていたのかと驚いたが、それ以上に懇親会のコースは恐ろしかった。こんな美味しいものをこんな短時間で、味わうこともそこそこに食べて飲んでいては罰が当たるだろうと思うほどでもあった。

現場の最高責任者(統責と呼ぼう)、は、思えば破格な人だった。現場で何か市場価値のあるスキルが身に着いたかと言われれば皆無だと断言できるが、この人と同じ職場にいて、その仕事ぶりを間近で見るということは、他のところではあまり経験できないことではないかとは思う。この業界の人間は粗野で、無骨で、品がないと言われることが多いし、最近の私のふるまいの変化を思ってもそのことを否定するつもりはない。しかしこの人は、少なくとも人前では、そうした低俗さ、下品さと無縁だったと思う。それは何か理想に燃えていたとか、極めて高い徳と艱難辛苦で磨かれた人格を持っていたからとかではない。人を自分の意図通りに動かすことに長けていて、しかもそのやり方が徹底していたからだと今では思う。

今日もその店に入るために、漢字一文字がかかれた暖簾から玄関まで概ね10mは歩いたし、値段を見たことがない日本酒の空き瓶が所せましと並べられた道中の石畳を見た。店の水槽には悠々と泳ぐ伊勢海老がいて、とんかつを揚げる音と豚ヘレブロックを捌く音だけが店内に充ちていた。私のほかには何人か女性の一人客がいて、忙しそうにスマホをいじっていた。

そして店内を見回すとやはりワインセラーがあって、統責が好きだったワインが所せましと並べられていた。統責はこの店に20年近く通っているらしく、曰くこの店は自分がここまで引き上げた、と。現場懇親会のとき、私は組織の最年少者として席中を回って酒を注いでいた。もちろんその度に礼儀作法やらなんやらをありがたく叩き込まれるのだが、その中でも副責任者は思い入れが強いので、私は意図せずとも避けてしまうふるまいをしていたようだ。もちろん副責任者がそれを見逃すわけもなく、私を捕まえ、さらには私と同年代の小僧を捕まえ、挙句の果てに主任を呼びつけ、教育は連鎖的に広がった。曰く、朝、副責任者よりも早く来てないから私は酒の注ぎ方一つをとっても間違う。それは主任も髭を生やして職場に来ているからだ、と。ちょうどそのとき横ではあわびのバターソテーの中にエリンギが混じっているかもしれないから、そのエリンギをみんなで見つけ出さないといけないよなあというやり取りがされていて、明らかにそこだけ空気が重くなっていたように思う。だからか、統責はそんな教育の現場まで足を運び、ワイングラスを自ら配っていった。そしてワインを注ぐと、ひたすらこの店の料理とワインがどうして合うのかというような話をして、他愛もないエリンギの話を松茸の話にすり替えて、自分の松茸の話をして、それは違うでしょうとこれも20年近く統責と一緒に現場を渡り歩いた事務担当者の言葉に一同が笑うと、副責任者を連れて別の席に移ってしまった。食事が終わると、統責は最後に一人ずつに感謝を述べた。そして暖簾をくぐってお開きになるや、何事もなかったように皆に背を向けて一人で帰っていった。

3年ほど経った記憶のため、美化されているのは仕方がない。それに仕事の話だから多少ぼかして書いている。しかしその3年の間に取り巻く環境も随分変わってしまった。人事の変更や制度の変更によって、急激に統責に風当たりが強くなっているそう。もはやこうした懇親会も開かれなくなったそうだ。そのことは先日、職場に研修で来ていた統責を見かけたとき、かつての落ち着いた印象に変化があったことに気づかざるを得なかった。統責のやり方についていけない人のあったことは当時から言われていたが、それでも無理をしてでもついていけば何かを見せてくれる、少なくとも美味い食事と酒を自腹でごちそうしてくれて、感謝される。それは不確実なことばかりが起こり、誰もが自律した個人では必ずしもない場所において、少なくとも確かなことの一つだった。そして統責はこの因果律が絶対であること、その結果として統責が与える報酬にはなんであれ絶対の価値があるということを人に信じさせることにかけては、これまで私が出会った人の中でも卓越していたと思う。

今のオフィスビルでの生活は、とても落ち着いている。めちゃくちゃなことを言う人もいなくなり、かつての荒んだ心はどこに行ったのだろうかと思うこともある。しかし今週は少しばかり厳しかった。業務量というよりも、精神的なプレッシャーを感じ続けることが多かった。つまり、いつなにが業務として発生し、それがそもそも解決するのかすらわからないような状況にさらされていた。結果としてそうした業務はなかったが、だから達成感も何もないまま、何かを成し遂げたのか、何かが進んだのかすらわからず、心の靄が晴れ切らないまま疲労だけが残されたのであった。

少なくともその食事会の翌日に誰もが疑いたくなるような業務が私に割り当てられたときの方が、気持ちは晴れ晴れとしていた。しかし統責のようなやり方も少しずつ排斥され、きっと今いるオフィス街もいずれガラス張りっぽい駅舎の中に取り込まれ、私だけでなく部署や部門や会社全体が何をやっているのかわからない会社になるのだろう。そんなすべてを飲み込むような時間の力に思いを馳せ、こんなフィクションをでっちあげたくなるほどに今日久々に食べたとんかつは美味だった。こんな架空のおっさんと一緒に仕事ができたことこそが現場にいた最大の成果なわけがなく、最大の成果はこのとんかつ屋に出会えたことだろうと思い、すべすべになった顎を撫でていたら今日が終わっていたのである。

書く

文章を書くということが久々だ。個人的につけていた日記はあるがそれすらもあまり書かなくなっている。連日の労働先での飲みを終えて、何も振り返っていなかったということをふと思い出す。

あることがあって何かが決定的に変わるなんてことはない。変わる客体もなくなったように思う。毎日は単調だ。同じ人と顔を合わせて、決まったルーティンとちょっとした刺激的な出来事に触れれば、時間なんてあっという間に経つ。反抗期を経験しなかったことが今になって恨めしい。私というある程度確かだと思うべきものが何もないままここまできてしまっている。さなぎの中の柔らかい部分のまま外に出ている。思えば昆虫はすごい。あんなプニプニしたものがどうして確かなものになるのだろう。誰かに教えてほしい。しかしそれを教えてくれる人など見渡してもいない。そんななかに私はいる。そんななかにこれまでいた。

毎日が本当に単調でそれを恐ろしく思っていた。本質的なことを何もすることがないまま毎日が過ぎていき、年を取るということが怖くて仕方がなかった。怖かった。この怖さに蓋をすることは野暮だと思うまでに至った。だからあえて言うが、怖い。

誰もに理解されるような何かを作りだすことが怖い。そんな何かを作り出すことができるわけもないがそれを試みることが怖くなった。素直に試みようと思った時期があったからなおさらそう思うようになっている。理解されたくないが理解されたいというどうしようもない矛盾がある。根本的にマゾすぎて理解されないことを欲している。

それが今や素直に自己を開示することが労働であってもよいと思うようになった。労働先での話し方や、個性というものが確立してきた。確立しない、どうでもよいという無気力な人という形で私があるようになった。ただそうすることで前より人が私に話してくれるようになった。前よりも多くの人に気にかけてもらえるようになった。何か理想があってそれを実現しようという力は消え失せた。そんな根本的なことができるなら誰だって悩んでいない。この悩みは行き場のないエネルギーに由来する。

燃え尽きた人間というのが随所で話題になる年頃になった。出世や貢献に邁進する人たちがまぶしく思える。違う、目の前の困難に率直に反応できる人たちがまぶしい。これをしなければ、と思うとき、確かな自分を皆は確かめているのだろう。私には確かめられない。誰かがきっとやってくれる、誰も解決できなかったことは私にもきっと簡単には解決できない。私はいつだって試験勉強をするときも解答に頼ってきた。私一人でできることなど何もない。あることを私一人で成し遂げたと言い切るほどのエネルギーもない。言い切るエネルギーがあるなら他人にまぶしさなど感じはしないだろう。

私はこうして考えたことをまとめることそれ自体に喜びを見出していた。しかし喜びを感じること自体に揺らぎが生じている。どうして書くのか?どうして自分を開示したいと思うのか?そう思いながらもこの文章を書いているのはどうしてか?根本的に逃れられない何かにつながれているように思う。この何かを明らかにしたいというのがせめてもの願いではあるが、そんな願いを実現しようとも思わない。

過度の一般化や感想文を止めるつもりはない。それを辞めるということは、確かな自分を証明するようなことでしかないような気がするようになった。私だってまわりに強いことを言いたい。私だってある原因に基づいて結果を予測したい。しかし私もわからなければ原因も結果も何を指すのかわからない。ただあるのは漫然と続く毎日の出勤といおかずみたいなイレギュラーである。私はその中で生きていて、その中に生きている人たちとそれとない会話を交わし、それとなく理解しあう経験を共有している。

そしてそれは幸せなことでもある。生きることが楽になったとき、本質的な悩みは失われいる。本質的なものがわからなくなって、わからないこともどうでもよくなったとき、目の前の出来事が重要なことのように思えてきた。そしてなおさらわからないことはどうでもよくなってくるのであった。

みのまわり

この連休は多くのことが立て込んでしまい、未だに整理のつかないことになっている。

当たり前にあると思っていた自分の席が無くなってしまったこと、あるいは自分の席は今でも当たり前にあるのに捉え方が変わってしまったということのどちらかなのだろう。何かをしようとするほどに出遅れていってしまうような泥沼にはまってしまった。旧友や家族へのまなざしを見直し、考え直す中で、それに基づいて動こうとするほどに遠ざかってしまう。思い浮かぶ人や言葉を取り巻く状況を一度すべて外して、直接触れようとするほどに拒絶されてしまう。この拒絶はかつて私が考えることを止めて、自分に張り巡らせて距離を保とうとしていたものの反作用のようなものなのだろうか。かつて当たり前に接していたものとの距離が測れなくなっている。

実家から今の家に帰るときに持たされた服は、私が転勤する前に実家に置いていったものだった。旧友と語り合えると思ったことは今現在いる私の周りの人と話せないことだった。どこかで時間や相手の認識が止まっている。見ていたのは幻想だと言われるまで気づかなかった。そのことを頼りにこうして考えをたどるほどに、思いもよらないほど大切だったものが多くあったことに気づかされる。今いるところは決して仮の場所ではなく、ふとした一瞬や当たり前を実は心から愛していたのではないか。

見たくないからと遠ざけてきたものを見せられている。結論には一切の反対はないことも、そこに至るまでには遠ざけていたものと向き合わなければならなかった。一方で遠ざけたものは今の私に対する鏡のようにもなっていて、何を持っているのかを見せてくれはした。いつか使うだろうと思っていたものや当たり前に必要と思っていたことにかかるいつかや当たり前は、きっともう実現されないから、荷を見直さなければならない。

それからの話

厳しかった風邪から回復した。そのときわかったのは自分はどれだけ空腹や酔いというものを無視して飯を流し込み,酒を飲んでいたかということだった。部屋にはすさまじいまでの食事の香りが溢れていた。空腹になってまず鼻に付いたのはそのやり場のない香りだった。余っていた食材の多くを捨ててしまった。絶品に思えた蛸とジャガイモのアヒージョも捨ててしまった。しかしまたホタテのバター炒めを作っている。ワインを開けて早く飲み切らなくてはと焦っている。どれだけ同じ過ちを繰り返すのか。

映画「リズと青い鳥」を見てからというものの本当に語るべきものがすべてなくなってしまったかのように思えた。そこで私の言おうとしたこと,言いたかったことはすべて言われつくしてしまったかのように思えた。追い打ちをかけたのは,中学生くらいの時から好きだったバンドの新しいアルバムがリリースされ,その作品が聞き始めた頃ではとても想像しなかったような地点に到達していたことがあった。さらには今年注目の自分よりも若いトラックメイカーたちのデビュー作品に出合い,私の問題意識を浮き彫りにするかのような完成度の作品(すなわち,自分のやろうとしていたことがすべてやられてしまったことでもあった)が世に放たれたこともあった。やっと問題意識を見つけたのに,別の人が突然やってきてすべてを刈り取っていってしまったということもあった。それが見つかったから問題意識が浮き彫りになったというほうが確かなのは承知している。

労働はもう特筆することもなく,淡々と続いている。復帰したときよりも担当業務が増えた。専門性が高いから参入障壁も高いとされているその業務も本質はチェスボクシングで,相手の意図をさも自分の意図のように解釈しつつそれが暴走をしないように牽制を怠らないことでしかない。ゴチレースであるともいえる。ある予算の枠の中で諸条件を鑑みつつその予算をオーバーしないようにアドバイスするのである。最大の違いはその失敗が直接自分には降りかからないというところにあるが,すでにその時点で組織労働者の論理に陥っている。

淡々と続く労働だけでなく,諸々に対してもう何も感じなくなりつつある。嫌なことがあってもたいていのものがそういうものと思うようになってしまった。そうすると突然すべてが楽に思えた。自分の居場所はここにはない,自分の大事にしていることはここにはない,ということがわかった時,どれだけ身のこなしがしなやかになったかわからない。今日確認した書類があった。その書類は営業が5分で作成したものだった。内容は半日かけて作られたものと遜色がないどころか,5分で雑に作られたものの方が出来が良いと思えてしまったことに驚いた。時間をかけるほどより良いものができるという世界に居るどころか,どれだけ適当にやり,それっぽい印象を抱かせられるかでしか評価される世界にいないということに少しめまいがしたけれど,どれだけのことがそうでないのだろう。どこにも大事にしているようなものはないならそれなりにやっていくしかない。

だから残念ながら労働はくだらないことの延長で,何かを成し遂げるというようなものとはほど縁遠いことだと思うに至った。確かに前線に立つことが多くなると,必然的に嫌なことも増えてくる。自分はもう悩まないだとか克服しただとか大きなことを言っていながらも,労働風情の嫌なことでまだ悩んでいるということに気づく。ただもしも料理中に包丁で手を切ったり,トイレで用を足しているときに物が想像と違う動きをしたのであれば,それは嫌な気持ちになる。文句の一つでも言いたくなる。労働での文句もその延長にしかないことのように思えてきた。

人の仕事の進め方への悪意や悪口の多くも,変化のないこの澱み切った組織を維持するために必要な循環・濾過装置のように思えてきた。私たちは言語のやり取りでしか互いを確かめられない。ここでの言語とは部長はうなぎが好きだとか,A係員は酒癖が悪いと言ったようなことで,そのコミュニティでしか通じないような言葉である。これらの言葉が無くなったとき,私たちの間で何がやり取りされるのだろう。仕事?事業?そんな大きなこともつまるところは同じような問題意識を共有している人たちの間でしか通じるものではなく,その意味では互いを確かめるための言語でしかない。

そう捉えたときどれだけのことを人は話すことができるのだろうか。もう何かを批判することも何かについて熱く語るということもできなくなっている。語るということへのエネルギーを補給する場所がないことを感じる。その根底にあるのは興味が無くなったということよりも,問題意識を共有できる人が本当にいなくなりつつあるということでもある。最近考えているようなことを率直に伝えられるような人が本当にいなくなっている。そして彼らもきっとどこかでいなくなっていく。より問題意識を広くすればよいといえるかもしれないが,広い問題意識を持ちうるような人が近くに,毎日過ごす職場のような距離感のところにいればそもそもこのような問題は起こらない。ただ,どこにも属さずに宙に浮いてしまって,恥じらいを忘れてしまった私の思考がふわふわと漂っているようにしか思えなくなりつつあることに気づいてしまったのである。

労働が多くの人に居場所を提供してきたのはコミットするだけで問題意識を提供してくれるからだ。恋愛の話がこのくらいの年からなくなってしまったのはもうそこには共通の問題意識を提供してくれるほどのゆとりやあそびがなくなってしまったからだろう。しかしかつての私も含めて労働や恋愛に大きな意義を見出そうとする人が多いのはこの問題意識による連帯こそを見出していたのだろう。この連帯が全く途切れてしまった,宙に浮いた状態ほど気持ちの悪いものはない。どこかに着地したい。問題意識を共有できない人には容赦のない制裁が今でも下されている。それによってしか連帯を共有できない。互いに大事な時間を何かに捧げているという感覚ほど甘美な共犯関係はない。多くの場合,組織のための組織とでもいうような連帯を得るための努力こそが組織であるための第一優先事項であり,その場合,目的や実現結果の如何は付随的なものでしかない。

今日ひたすら仕事でイライラしてしまった。ろくな引継ぎも受けていないのに報告すれば批判めいたことを言われる,突然使用が変更して指示のないままもやっと対応をせざるを得ない,そうしたことが続いたとき,私はどうしてこんなことをやっているのか問いかけられたような気がした。そしてそんなことには悩まなくなったとわかったからこそ,悩まずに適当にやりすごそうとしてしまっていることに漠然とした焦りを感じてしまった。しかし大きな声でイライラしているということを言ってしまったほうがそれを隠している人よりも賞賛される。隠匿と規律は美徳ではない。ただこうして騒ぐことで互いのバランス関係に揺らぎが生じ,その揺らぎこそがバランス関係を確かめる力になっている。私はその意味では非常に重要な役割を果たしたように思える。

しかして悲しいのはこのような自分の思索をまとめ,何かを言ったような感覚になったところで明日を真剣に生きる力は一切沸いてこないことである。ここ最近創作活動を始めた。曲を作ること,小説を書くこと,いろいろと試している。それは世界や同じような境遇の人に充てて,その人たちに認めてもらうためにやろうとしていた時は一切進まず,ただ自分のこの宙に浮いてしまったものをどこかにまとめようと思って行っているものである。誰に読まれたり聞かれたりしなくてもよい。もうそういうことに価値は見出せなくなっている。ただそれは偏屈になっているのではなく惑わされなくなったということであってほしい。そしてこれだけいろいろ言ったところで明日の真剣な力にはならない。その力がある人達を見るとき,悲しいけれど嫉妬するようになった。何を目指しているのか?何になろうとするのか?そのような問いに真っ向から答えられなくなりつつある。このような問いは潜在的に誰かを傷つける。なぜなら求められている答えは問題意識を共有する人にしか届かず,それ以外の人には凶器のような鋭利さをもっているのだ。そしてこれだけ人がいる中でどれだけ問題意識が共有されるのだろうか。問題はリズと青い鳥でふと湧き上がって提起したことに戻っているように思う。

身体の重み

大騒ぎしているが胃腸炎で3日ほど地獄を見ている。ただの胃腸風邪,食あたりといわれればそのとおりだが,正直ここまでつらいとは思わなかった。

バンドの練習の最中に突然体が重くなり,演奏の最中にも関わらずトイレに駆け込まなければならない状態に陥った。全身がしびれてどうするにもなく,とりあえず家に帰ったら最後だった。もうそこからベッドとトイレの往復だった。確かに死ぬかもしれないと意識した。死ぬかも,とは言い過ぎかもしれない。腹の中に常に緊張が漂い,39度近い熱にうなされると,ただベッドの上にうつむせに寝転がり,長く当たるには冷たいエアコンを避けるようにブランケットを被るが,熱で同じ姿勢をしばらく保っていられなかった。思い出すだけで苦痛が蘇る。

どうしてこんな苦しい目に合わなくてはならないのだろうかと思ったが,今に始まったことでもないかとも思った。それは嘘で,とてもそんなことを考える余裕はなく横たわるだけだった。しかし周りではワールドカップや結婚式やいろいろなイベントで盛り上がっているがどこかこのベッドの上だけ取り残されたような感じがした。無人島に何をもっていくのだろうか。

 

感想:リズと青い鳥

リズと青い鳥」を観終わって駅ビルの空中庭園に出ると,晴れ渡った空の色が瞬きのうちに変わっていくような夕方の時間だった。彗星の尾のような飛行機雲が2本の高層ビルの間の空にカッターで切り付けるように描かれ,この劇的な光景を眺める買い物帰りの老夫婦や若いカップル,ほろ酔いの集団がひしめいていた。そして誰もが携帯やカメラなりを取り出してその一瞬を撮影しようとしていた。私も機内モードにしていた携帯を取り出して撮影しようとしたが,上手に撮れないので止めた。見ているものをそのままに残すことができなさそうだからだった。カメラはあまりに解像度がよくて気を使ってくれるから,何もかもを写し出してしまうからだろう。しかし何もかもを写すことができたからといって,それを理解して支配して所有することにはならないだろう。そのような意味では写真を撮ったところで私はこの印象をいつまでも残すことはできず,写真を見たところでもどかしくなるだけだろうと思った。自分が見ているものや理解しているもののリアリティが無くなっていた。周りにいる人たちの会話や動作のすべてが嘘のように思えた。

この衝撃を消化し,立ち直ろうとして1週間が経った。そしてこれを書き始めてから再度観に行った。だがまだ考えが全くまとまらない。しかしその中から少しでも浮かび上がる言葉を練り上げて,感じたものを伝えることができるなら,それをしなくてはならないように思う。何よりそれもこの作品が訴えていることのように思う。以下,適宜作品を参照するため未鑑賞の方にはネタバレに思われるところもあるかと思う。ただネタバレしたからって作品の鑑賞に支障が出るとも思わない。

 

 

 

本作の最初の音楽室での練習のシーンから明らかなように,登場人物間の会話は恐ろしいほどかみ合わない。ここでのかみ合わなさとは,あるセリフAの構成要素aに対して反論をするだとか,そのaを見落として議論を広げるとか,そもそもそのaを理解してないだとかではない。それぞれがそれぞれのモノローグを積み重ねているような意味でのかみ合わなさである。そのシーンでは,確かに傘木と鎧塚の間で交わされる言葉だけを聞いていれば何気ない日常の一場面を切り取ったものである。しかしどうしてかそれらの言葉の意味するところは互いに全く異なった受け取られかたをしていて,全く異なるものを意味している。冒頭から展開される,互いの分かり合えなさ,コミュニケーションの不成立には,顔を引きつらせるしかなかった。

どうしてコミュニケーションが成立していないことがわかるのだろうか。本作においてそれは言葉では示唆されない。それはむしろ登場人物の些細な視線の動きであったり,しぐさであったり,光の当たり具合といったものによってそれとなく示唆されるだけである。本作ではそれが極めて上手で,描かれているものの全てに登場人物の真意がちりばめられているように思えて,つい読み込んでしまう。紋切型の決まりきった表現というものは極力排され,研ぎに研がれた描写が連続する。観る前は,たった90分の短い映画に思えたが,そのあまりの表現の密度に信じられないほどの集中力を要する。張り詰めた緊張感がある。言葉数は少なくとも,信じられないくらい雄弁で,常に語りかけてくる作品だった。

こうした緊張感をもたらす描写の技法は後に譲るとして,コミュニケーションの不成立に話を戻したい。ところで言葉は,どのような前提に立つかによって受け取られ方や意味が全く異なってしまう。そのため交わされる少ない言葉の中で相手の発言の真意を理解するには推測するしかない。そして推測は想像力を動員して行われるが,想像力は個人的な経験に左右されるところが多いように思える。この推測は作品とそれを観ている私との間でも行われるが,ここでは登場人物間で行われているものにフォーカスしたい。

傘木や鎧塚は対極の人物であるかのように描かれている。一人は後輩にも慕われ多くの人とも良好な関係を築く陽気な少女。もう一人は言葉少なく,人との間にはまず壁を設けてしまう内気な少女。彼女たちの在り方の違いは過去の出来事に対する態度に如実に現れるだろう。退部したことを過去のこととして気にかけたくない一人と,その退部が自分に黙って為されてしまったことを今もトラウマとして抱えている一人である。そんな二人は互いに互いを特別な関係だと思っている。一人は幼馴染である彼女のことを深く理解しているのは私だとして,もう一人は彼女こそ私の中心にある人だとして。本作は全編を通してこの特別な関係,すなわち「理解しあっている」とでもいうような関係が築かれていることが誤解でしかないことを描いていて,その極地は全体練習で鎧塚がソロを演奏する場面であると思っているため,そこに焦点を当てたい。鎧塚がソロを吹くのは随所にあるが,「ソロを吹く」といったら「そこしかないだろ!」という感じなのでそこに至るまでの過程は省略させていただきたい。

ところで表現したいものを表現するには表現する技術が必要である。イメージを実現させるにはそれぞれに実現させる方法があり,その方法の習得はそれなりに汗をかかないといけない。頭の中では名曲として在るものも,それが万人に伝わるようになるには,歌なり楽器なりを練習して演奏できるようにして,それが自分の頭の中に在るものと寸分たがわぬものにならないといけない。(得てしてその過程で当初あった輝きは失われてしまうのであるが。このことはまた改めたい。)しかし表現できるようになったとして,何よりも皮肉なのは,表現したいものを表現しても,それが必ずしも正しく理解されるとは限らないことである。

この皮肉は本作においても展開される。全体練習での鎧塚のソロは,表現するべきものが見えたからかその場にいた人たちを圧倒することができた。傘木は鎧塚のソロを前にして涙を流す。掛け合いのパートではとぎれとぎれの,やり過ごすような無表情なフルートの演奏が続く。しかしこの涙は鎧塚が伝えたかったことに反応しての涙であっただろうか。むしろそれは,傘木が当たり前のように思っていた鎧塚の像が一瞬で崩れたことへの反応だろう。ここで肝心なことは,彼女は鎧塚が表現しようとしていたことそのものは理解していないということである。それはその後に続く理科室(フグのいる部屋)でのシーンにおいて傘木が,鎧塚が表現したことそのものではなく,表現できるということを攻撃していることからも読み取れるだろう。その理科室において鎧塚は,傘木にこれまで口にしてこなかった思いの丈をぶつける。しかしここでも傘木は,鎧塚に対してかける言葉を持ちえなかった。

そもそもなぜ傘木の鎧塚の像は崩れたのか。傘木は,鎧塚が音大の先生から進路について声をかけられたことを知ったことに加えて,認めたくなかった鎧塚との演奏技術の差や選ばれなかったという事実を前に,選ばれた鎧塚との距離感を失ってしまう。この距離の喪失によって生じた緊張は,自分こそが鎧塚のことを本当に理解していて,自分こそが彼女にとって特別な存在であるということを自任していたことの裏返しであったことを明らかにする。だから鎧塚のソロは,彼女の真の理解者であるという自任があったからといって彼女との技術の差を埋めるものではなかったことを明らかにした。しかしこれは断じて鎧塚の表現したもの,鎧塚が伝えたかったことによって傘木が得た結論ではなくて,きわめて私的に導き出した結論である。だからその差を認めることこそが彼女にとっては一番の問題で,そのことがわかったときには明るく笑うことができたように思える。

 

このシーンをコミュニケーションの不成立の代表格として取り上げた。しかしこのシーンは本作のもう一つのテーマが一つの結論を得る場面でもある。鎧塚がソロで表現しようとしたものはなんだったのか。彼女が表現すべきものとして見出した結論はここまで述べてきたコミュニケーションの不成立に対する一つの答えであるように思える。

鎧塚にとっての傘木とは,彼女の中心にあるような人だった。自分が行いえない一切を彼女は実現し,あらゆるものをもたらしてくれるが,ある日突然姿を消してしまうような人でもあった。何より鎧塚とオーボエの出会いは傘木によるものであった。このようなかけがえのないものを大事にするにはどうするのか。鎧塚は徹底して傘木と共に居るようにする。鎧塚は傘木の希望こそが自分の希望で,傘木の失敗は自分の失敗であると信じている。

本作に登場する童話「リズと青い鳥」は独りぼっちで暮らす少女リズのもとに青い鳥が訪れ,彼女は鳥と楽しく暮らしたがある日その鳥を逃がす決心をするというものである。この童話に想を得た課題曲のうち,リズと青い鳥の別れを表現したとされる楽章が本作では取り上げられる。そこではフルートとオーボエはそれぞれリズと鳥を表しているとされ,傘木と鎧塚は二人の関係をそこに重ね合わせる。(大事なのはここでも傘木と鎧塚が決して同じ意味で二人を重ねているわけではないということである。)

鎧塚には,すべてをもたらしてくれたが去ってしまうような傘木が青い鳥に見えた。だからこそ,青い鳥を手放したリズの気持ちが理解できない。「本番なんて一生こなくていい。」しかし練習に練習を重ねても揃わない傘木との演奏や,すれ違いが重なる中で高坂の言葉が突き刺さる。「先輩の今の音,すごく窮屈そうに聞こえるんです。」青い鳥を籠に閉じ込めておくことが,自分の大事な青い鳥を青い鳥のままにするのだろうか?こうした彼女の疑問は課題曲の解釈を通じて解けていく。青い鳥は,自分が逃がされることをどう考えただろうか?なぜ青い鳥は逃がされることを受け入れたのだろうか?先生との対話は彼女の思考を言葉にのせていく。

青い鳥がリズのもとを去ったのは,リズのことが大切だったからだ。大切だから,その決断に従ったのだ。しかしリズは,青い鳥が去った理由は推測によってしか知ることができない。リズが青い鳥に託した願いがそのままに届いたかどうかを知る手段はない。それは言葉にしても伝えきることのできないものだからである。それでもリズは届いたと信じることができる。それは届いていようといまいと,自分がそう思うのだからよいという決断であり,それ以上は立ち入らないという諦め,あるいは「私の愛の形」ともいえるだろう。このとき,他者とは,すべてを決して理解しえないものとして現れる。しかし,このことを認めることではじめて,他者が存在できるスペースが作られる。他者が存在できるのは,その存在をすべて理解しなくてよいと思えるときだけである。このときはじめて自分と他者をつなぐ可能性のある回路が立ち上がる。

そして鎧塚の世界は転回をはじめる。かけがえのない傘木は,どこまでも自分の思考が描き出した傘木ではなかったか。どこまでも一緒に居るとして,推測を積み重ね続けて傘木のことを理解しきろうとしても,本当の傘木をその末につかみ取ることはではないのではないか?彼女のことをすべて理解し,手元に置き続けることはできない。推測に推測を重ねて描いた相手の像は,どれだけ精緻に描いても推測をした自分が描いたものである。像と実際の相手との間に齟齬があったとしても,その像こそが好きなのであれば齟齬は問題にならないのではないか。ならばその像とは,未完成であってもよいのではないだろうか。

転回はさらに進む。このようにして自分以外の他者を認めたとき,自分は自由になれたと言えないだろうか?相手も自分と同じように自分を他者として認めてくれるのであれば,相手は他者である自分のことを理解しきることはできない。このとき自分を縛りつける者はいなくなり,何もかも自分で決定できるようになる。他者が自分とは関係なく存在するように,自分も他者と関係なく存在することができるからだ。そしてはじめて鳥として籠から飛び立っていくことができるのである。自分が進む進路が決定できるのである。このとき,籠の鳥を逃がすという行為は,自分の描いた像から本人を逃がすということだけでなく,推測を続け理解しきろうという執念に駆られたこれまでの自分をも解き放つことであるかもしれない。このことをおぼろげに悟ったとき,鎧塚のソロは卓越したものになったのではないだろうか。

だとすると最後の理科室のシーンにおいて吐き出された鎧塚の言葉は,別れの言葉だったといえるように思う。溢れた言葉には,完成させるために推測を続けることを求め続けてきた未完成の傘木の像に対する別れ,そしてその求めに忠実にあり続けようと自分への別れが含まれていたように思えた。(悲しいことに,このような結論を鎧塚が得たとしてもそれは傘木には正しく伝わっていない。)

では本作の着地点がこうした別れの末の悲惨な孤独を描くのかというと,結論はむしろその対極にあるように思える。どれだけ自分にとってかけがえのない人であっても,決して理解できないのが他者であり,その事実を受け入れるということは確かに過酷である。しかし一方で,自分がどれだけ推測を重ねて相手の像を描いたとしても,相手はそんなものとは無関係に居てくれる。このことは,何もかもが疑わしくなるような孤独の中においては,唯一感じ取ることのできるリアリティであり,暖かさであるかもしれない。傘木が鎧塚に対して繰り返した「ありがとう」はそうしたことに向けられたもののように思えた。そして全く分かりえない他者と偶然の一致を見る瞬間――ハッピーアイスクリーム!――は分かり合えない人間同士の手さぐりのゲームにおいて唯一リアリティを感じられるものであり,これ以上に嬉しくて暖かいものはないのではないだろうか。最後のシーンでは,鎧塚と傘木は何を食べようかと話しながら歩き,そして偶然本番に向けた思いの一致を見る。このとき共有された二人の喜びを見たとき,はじめて本作において描かれていたコミュニケーションが成立していないぎこちなさがなくなったように思えた。コミュニケーションは推測の末に手にする「理解した」という確信によって成立するのではなく,理解できないことを受け入れ,些末なことに喜びを見出したときにこそ成立するというのが,そこで私が得た理解だった。

 

という理解を言葉にするのは本当に苦しくて,立ち直れなくなった大きな理由であるように思う。ある作品を見てそれを理解し,気づいたことを語る作法を身に着けなかったこと,身に着ける努力を怠ってきたこと,そして技術を磨いてこなかったことには大きな後悔しかない。説明が悪くこじつけの暴論になるのは許してほしい。これでも努力した。しかしどうかもう少しだけ続けさせてほしい。上で触れなかった技法的なことや,印象に残ったことをとりとめもなく話す。

 

・メタ的な偶然の一致について

本作においてキーとなる上記のような転回(正しい理解かはわからないが)は各人において,傘木は失った鎧塚との距離感と向き合うこと,鎧塚はかけがえのない傘木という像と向き合うことによって,実現される。これは両者が示し合わせて,対話によって得た結論ではなく,事件とも言えない出来事からそれぞれが導き出した結果が偶然一致したものであるように描かれる。偶然の一致こそが共有できる喜びであるという点が上述ののような場面においてだけでなく,こうしたストーリー全体を構成する点においても成立しているのを見て(メタ的とでもいうんか?),声にならない声が出てしまった。特に楽譜に「はばたけ!」と鳥のイラストと共に書かれていたシーンとかはもうはああああとなるしかなかった。だって二人,あんだけ話してなかったのに至った結論が一緒だなんて。

 

・鎧塚を取り巻く人間関係について

本作において登場するオーボエの剣崎について,このような形で触れることしかできないのが残念である。しかし剣崎はこれから述べるように本作では決定的な役割を果たしているように思う。

まず何より,口数の少ない鎧塚の代弁者,時には写し鏡としての役割である。傘木を取り巻くフルートパートの後輩たちは,その後輩たちの間で成立し,完結していた。その輪の中では話されることは誰がそのことについて話をしていてもさして問題にならない。発信者が不在の言葉がただ積み重ねられていく。取り立てたオリジナリティはそこでは一切求められていない。剣崎が彼女たちに抱く印象はその輪の外にいる人のそれであるが,しかしそれは鎧塚が他人に対して感じていたことを代弁しているように思える。そして鎧塚と剣崎の間で交わされるやり取りは,鎧塚の変化をそのままに映しているようにも思えた。

第二に,鎧塚からすれば,剣崎との交流こそが傘木以外との交流であった。傘木が鎧塚との間に距離を見出すきっかけの一つとなったのは,鎧塚が築いていた他者との壁が割られつつあることに気づいたことである。独占しているはずの鎧塚がどこか遠いところへ行ってしまうのではないか,自分以外に見せる顔があるのではないかという不安を傘木にもたらしたのは剣崎であり,それはひとえに剣崎の不屈の働きかけによって行われた。(そう考えると剣崎が傘木に渡したゆでたまごは多義的である。しかしここらへんの論点は取っておきたい。)

最後に,本作においてここまで感情を直球に表明することのできる人がいただろうか。彼女がここまでコミカルに描かれてしまうのは,裏を返せば彼女ほど率直に感情を表明し,個性を持っている人が他にいないからかもしれない。そしてこのような率直で一方的な力がもたらす変化というのは,本作が描いているであろうコミュニケーションとはまた違ったものではあるが,見過ごすことのできないものであるようにも思う。

 

・音楽の喜びについて

上述のように剣崎が本作において果たした役割は圧倒的だと思っている。そして剣崎がもたらしたのは上述のような鎧塚の写し鏡としての役割だけでなく,音楽の喜びを伝えるという重大な役割があり,それを果たした。はじめて描かれる鎧塚と剣崎の合奏のシーンはあまりに幸せに満ちている。それは技術やら目標やら競技性といった難しいもの,さらにはそれが生み出すおぞましい人間関係を一切排した,未分化で,ただ音が重なる喜びに溢れているようだった。そしてそれは人の傷を癒す力がある(オーディションに落ちた剣崎を慰めたのはなんだったか)。周りにいる人と思わず歌いたくなるようなシーンで,本当に好きだった。

蛇足ながら高坂と黄前の合奏では決してそのような喜びは描けないように思えた。彼女たちの演奏には目標や意図があるだろう。「強気のリズだね」という発言にあるように,それは明らかに聞く人が感じることのできるものとして描かれている。そのようなとき上述のような喜びは背景に退いてしまうだろう。ところで本当に音楽を聞いて「おっ,怒ってるねえ」なんてわかるのだろうか?

 

・アンサンブルについて

というわけで音楽に絡む話を少ししたい。

モノローグを積み重ね,そこに何らかの調和を読み取らなくてはならないというのが本作の特徴だとすれば,暴論ながら,それは吹奏楽の合奏シーンにおいて極地を迎えているように思えた。音楽を奏でることは,指示されたものを再現するということと,指示されていないものを表現することから成る。前者は楽譜で示された音階等であろうが,一方で後者は,例えば楽譜では指示できないもの,例えば「強く!」というのはどのように身体や楽器を操作するのか,というようなもので,得てしてそれは再現と比べても演奏者の経験に委ねられている点が多い。このことは滝先生が指摘するとおりである。

だからこそ,「ブレーキをかけた」演奏や,「本気の」演奏という考え方がまかり通る。演奏では,個人の経験や「思い」をぶつけるようなことができると思われているのである。そしてそれが本当にできるか否かについてはきっと膨大な研究があると思うので,それらを参照いただきたい。一演奏者としては,感情を表現するにはそれらを表現する技法の集積があり,それらをその都度引き出しから選んで組み合わせているだけなのではないかと思っているので,もし本当に「憂鬱なように!」といわれたら何も弾かないし,「強く!」といわれたらゴリラのように手を叩くのが感情のままに楽器と向き合うということではないかと思うが,これ以上はここではやめておきたい。

一方で,複数の演奏者間で思いや経験を一つの方向に向かせるということはできるように思う。例えば「春の陽気のように楽しく」といえば,演奏者間で大体はおんなじようなイメージが出来上がるだろう。しかしイメージがある程度共有できたからといって,それを表現する方法というのが一致するとは限らない。だからリズと鳥の別れを表現するシーンにおいて,オーボエとフルートが全くかみ合わないということもままあるように思う。そして一演奏者の経験からして,そのかみ合わなさは,イメージと表現する方法のすり合わせによってしか解消できないように思う。だからこそ,「互いの音を聴くように」「問いかけるように」「応えるように」(という表現にしておく)と滝先生が言ったのは,本作で描写されている以上にコミュニケーションが全く機能していないだろうこと示すリアルな表現だったように思う。

しかしどれだけ打ち合わせとかですり合わせたところで,決してすべての技法やイメージを共有し統一させることなんてできるはずはない。だからこそ,そのような意味ではアンサンブルは,どれだけ突き詰めたとしてもモノローグの積み重ねでしかない。ところで本作においても明らかなように,アンサンブルには良い/悪いという評価基準がなんとなくながらも,当然のようにある。そして得てして良いと言われることが多いのは,そうしたモノローグが一致を見るときのように思える。(ところで,練習はこうした偶然を起こす確率を高めるものなのではないか?)何十人がいるのにまるでたった一つの音を奏でているように聴こえるときとかは,誰の耳にも「良い!」と聴こえることが多いのではないだろうか。このことは,本作で描いていたコミュニケーションのあり方と一致しているようにも思える。

合奏はそれぞれがそれぞれに解釈して発信しているモノローグがあるだけなのに,偶然の一致によって生まれる良いアンサンブルを見出したり,それぞれの心情というものを投影して読み取ってしまう。このような不思議な力とでもいうような働きとコミュニケーションという領域は,相性がいいように思えた。だから全体練習のシーンとかは唸り号泣し,終わった後はただ笑っていたように思う。

 

・コミュニケーションの土俵

本作を振り返ったとき,人は当然のように自分と同じ前提や土俵に立って話をしているだろうという前提を私が無意識のうちにしていたことが明らかになった。私が何かについて誰かと話をするとき,当然のように何か対象を選択し,そのことについて話している。その対象が明示されなかったとしても,その対象を前提として論を展開してしまっている。けれど,そういった共通のものを共有できる人というのはどれだけいるのだろうか。むしろ,どういったものなら人と了解なく共有することができるのだろうか。説明不足や多くを語らないという言葉でやり過ごしてきたが,もっと本質的なところを私は捉えていなかったのではと反省するところが多い。

しかし恐ろしいのはこうしたコミュニケーションの不成立に充ちている日常こそが本来的な生活であり,ある言葉に対して適切な返答があり,そうした対話による会話を成立させれば何かにたどり着くことができるということは,空想の,自分の描いた像でしかないのではないかということへの確信を強めざるを得なかった。賃金労働者として多様な人と関わるようになりしばらくが経つが,これまで思っていたような対話は数える程度しかなかった。共通の前提に立って何かについて議論をすることが至上であるという様式のコミュニケーションを周囲の人に強いていたのではないかということについて顧みざるを得なかった。

 

 

もうここまで述べたので無駄だと思うが,本作はあまりに奥が深い。というのは,私が理解したように思えることは膨大な中の一部でしかないように思うし,さらにはある事を表現する技法のあまりの豊かさとその洗練具合には,ただただ感動しかなくて,どのワンシーンを取っても一晩を明かせて語ることができるような気がする。無限の読み方ができると思うし,書くほどに力が及ばないとしか思わなかった。そして今私がしたいのはこの作品についてただ多くの人の話を聞いて,小さな一致を見て,ハッピーアイスクリームといいたいというだけである。むしろそれ以外のことに為すべきことがあるのか。

以上,本当にお付き合いいただき感謝している。