囲いの中へ

日中はもっぱらポエムを書いているから,休んでいる間にやっていることとそんな変わらない。どうすれば働き方を変えることができるのか,どうすれば生産性を向上することができるのか。このことを議論するとき,多くの場合が個人の経験や,さらには仕事をするということへの価値観のようなものに自然と話がシフトしてしまうから,働き方そのものについて客観的に議論することは非常に難しい。そんなことを自分の席の周りの人たちが忙しそうに動き回る様子を見ながら考えて,適当なライターが書いたまとめ記事に毛の生えたようなレポートを調べてみて,そしてポエムを書き連ねる。しかしこういう作業は好きだ,いつまででも続けられる。できることならこうして何も生み出さない机上の空論をいくつも拵えて,それを並べて陶芸作品のように売っていきたい。確かな手触りの中で形を微妙に変えながら焼きあがったものは,その多くは使われていることすら鑑みられず生活の中に溶け込んでいく。

診察室に入るなり旧友に会ったかのような笑顔で私を出迎えてくれる医者は,高級時計をちらつかせながらもう少し様子を見ようかと言ってくれる。顔色がよくあまりにのびのびとしている私に,もう心配する必要はそこまでないでしょうと言ってくるのに,それでも薬を処方してくれるのは,陳腐ながら売人にクスリをねだる中毒者のような気分にさせてくれる。手軽な非日常体験だが,多くの出来事がこうした中毒とも依存ともいえるようなものをうまくごまかしているだけなのではないか。

と真理をついたとでも言いたげな開け広げな一般化と含ませたような言い方をしたのは,かつて工事現場に勤務していたときの上司に挨拶に行くからだった。いつしか工事現場というものは名前だけの実態のない存在になっていた。街の中に現れた箱のような仮囲いに掲げられた許可証の写しを見ることは習慣になったといえるが,その中のものについては,数字と契約書の窓から見えるだけだった。そして私はさらにそこから遠ざかっていた。展覧会で見かけた写真が切り取った,名前も場所も知らない街が突然目の前に現れたような気分になりつつ,仮囲いの扉を開けた。

なにせ私は工事現場では一番の頭脳派を自任していた。調べものや法令とか,そういった知恵的なものが必要になる場面にこそ私の真価はあると,トイレ掃除をしながらその自意識をそれとなく見せびらかしていた。決して現場の臨機応変の対応や責任者の決断といった偶発的なものに靡かない,確固とした体系の世界,いわば論理の世界にいるとでも思っていた。現場にいて,内勤を固持していた。しかし内勤に入ったときに責任者の決断や臨機応変の対応に焦がれるようになったのは,転向の実践だった。振り返るとあまりにおかしい。トイレ掃除をしたことを誇りに思い,現場的な何かを知ったつもりになり,時にはそのことにしがみつこうともしていた。現場で受けた傷や悩みはどこかで勝手に解決されたことになっていた。いつしか過去の経験を都合よく解釈することを当然のように思うようになった。説明さえしてしまえば別にその真偽は個人的な問題なのだからと言いながらも,扉から事務所に向かう階段は,かつて私がいつ怒鳴られるかわからない状況におびえつつ,サイズの合わない箒で毎朝掃いていたのと同じモデルだった。土埃にかすむ銀色の階段と,木目調の手すりは,その両者のミスマッチと同じように,実家に帰る時のような,私と私自身との微妙な距離感を思い出させた。

いつもより調子の良い表現が飛び出してくるのは,事務所の扉を開けたときに多くの人に暖かく迎えてもらえた感動が残っているからだ。天気がよかったというのもあるため,自分の単純さに改めて気づく。かつての上司は席を用意してくれて,ただ何ともない世間話をした。事務所のレイアウトがどうだ,私が導入を検討したウォーターサーバーは今も使っている,残業制度や時短はこんな感じでやっているというような話をして,私がろくろを回している間にはいろんなことが進んでいるということを実感する。そのとき,自分の経験を人に伝え,その人を変えようと試みることはあまりに傲慢で難しいという話は,文脈から切り離されてやけに輝いて思えた。

あまりに遊びが無くなっているという話になった。現実を想定の通りに実現しないといけないような潮流において,見えない何かと闘って現実と抗おうとすることを続けるのなら,倒れても仕方がないよなあというような話をして,弁論や理論の強さについて思いを馳せた。これらはいつか復権されるのだろうか。しかして復権はそのもののためにあるのか,それを用いるもののためにあるのか。力を抜けといわれて,ではどうやってと尋ね返す時点で,力を抜くことからは遥かに遠い地点にいる。もしすべてのことが体系化できるのなら,およそ考えうるものには答えが出ているだろう。それでもそれに満足できないと感じてしまうのなら,そこにはまだ遊びがあるのかもしれない。その遊びが無くなったとき,では私はどこに立っているのだろう。

囲いの中の世界は,やはりどこか現実離れしていた。今立っている場所と続いているはずの地面は座標軸で表現され,クレーンのアームはオペでもしているかのようにその地面に向かって伸びている。では医者は誰なのだろう。ふと高級時計をした主治医を思い出した。気づくのは私は問ばかり投げかけ,その答えや答えに至るまでの厳密さを一顧だにしていないということだ。だからポエムしか書けない。自分と違うものに対してその違いを正当化することはいくらでもできるだろうけれど,それに身をゆだねることはとても難しい。論述問題においては,必ず筆者の意見に反論しろといわれたことと,そのことはつながっている。反対は説明によっていくらでもできるが,それを受け入れることは説明とは何か違う原理が働いているような気がした。気がしただけだ。仮囲いを出るとき上司に「頑張れよ」といわれ,「それはうつ病者には禁句ですよ」と返したとき,たばこに火をつけながら返された笑顔の意味を考えるが,その時点でふりだしに戻りそうになったことに気づいて,音楽も聴かずに急ぎ足で市街地に向かった。