時折思い出す

時折思い出すのは学生時代の冬に,本州の最北端を目指そうという無謀な思い付きから始まった旅行で出会った女性のことだ。冷え切った空気の中では対岸の北海道は手を伸ばせば届きそうなほどに近く見えて,むしろそれ以上を与えない厳しさがあったのを覚えている。雪の積もる漁船や防波堤に打ち付ける波の砕ける音と,その地を歌った演歌の記念碑から時折流れる豪奢なメロディは,それ以上に広がらない空間の奥行を彷彿とさせる緊張感に充ちていたように思う。

最北端という土地に惹かれてかこの地を訪れた文豪は多く,彼らと土地の小話を紹介する記念館が展望台の近くに建てられていた。そこの展示の内容をあまり覚えていないことから,展示そのものはごくありふれていたのだろう。文豪が愛用した椅子に腰掛けたり,文豪が囲んだ囲炉裏を仲間内で囲んでみて,追体験をしたということ以外何も感じないことを楽しんだのを記憶している。

しばらくするうちにその記念館の管理人とその娘と思しき人が出てきて,暖かいお茶を振る舞ってくれた。管理人は老婆というほどではないが,目の周りや手首には皺が深く刻まれていて,白髪染めでは隠し切れない年齢を感じさせる昔話めいた印象を覚えた。その比較においてか,もう一人は年齢を感じさせず,どこか同じ世代に属するのかもしれないと思わせるような女性だった。もちろん年齢は推定より遥かに上だっただろうが,どこか彼女にあった魅力に惹きつけられるようにしてか,我々はその二人との話を楽しんだ。おそらく緊張に充ちた空間の場違いさを共有できる数少ない共犯者のように思えたからだろう。緊張に充ちていたその土地は,若さや活力といったものと無縁の空間だったからだ。

私たちがどこからきて,どんな目的があって,何歳であるかという話になると,管理人は冗談めかして,彼女を嫁にもらってくれないかと我々に言った。売れ残った,行き遅れた,こんな田舎だから若い人もいない,というようなことを言って,優秀で若いあなたたちに連れて行ってもらったほうがよいというような話になった。優秀かどうかはさておき,みたいなことを言っては笑い,きっといい人がいるはずだ,お姉さんはきれいだし魅力的だから,とお茶を濁すようなことを言って記念館を後にしたような気がする。もちろんそれ以来,その記念館を訪れたことも無ければ,その後の生活においてその経験が話題に上ったことも無い。なんならその管理人と娘の顔すら詳細に思い出すことはできない。ただ不思議と,記念館で受けた印象だけは,思い出のフィルターを通して美化されたとはいえ,かろうじて記憶に残っていた。そして今,何故かその記憶が再構成されては現れる。あれほど閉ざされ,緊張に充ちた世界において,彼女は,何を考えて我々のようなものを迎えたのだろうか,という疑問が頭をよぎる。

劇場に行って,予告編の全く本筋と関係のないフレーズが,目的の映画そのものよりも印象的に思い出されることがある。こうしてまさに横にならんとしているときにも,外から救急車の音が聞こえる。誰かが倒れたのだろう。その誰かを車に載せて,車を運転して,診て,その誰かは生きるなり,死ぬなり,何らかの経験をしているのだろう。自分が自分の意図通りに読み解くことができる対象は少なく,対象は絡み合っている。一つ部品を外してみてもある対象が機能していたとして,ではその部品が当初から不要なものなのかどうかというのは,別の問題のように思えてきて,追究すべきことのように思えてきた。こうしたことに気づくのは,いつだってまとまった時間が無くなるということがわかった時であり,明日からの労働に備えなくてはいけない。