何度目かの

数えうる限り30回程度転職を検討して,そのうち本当に転職を決意したのは今回を含めて3回,しかしまたしても失敗を迎えようとしている。入社の時から一度も変わることなくここまで来てしまった。

経歴は価値を量る指標でしかなく,価値そのものは実際の働きから生まれる。どのようなことをしてきたかということは,目の前で成されたことを評価するための指標でしかなくて,成果がない限りその指標が持ち出されることはない。人を経歴で判断し,こうしたルートなら私も目指せるだろうと思ったこともあった。しかしそれはその経歴の中に生きる人の血のにじむような努力を全く無視することでもある。私の経歴をもってすればこのような可能性があったと想像することはどこまでも容易く,ではそれを実現しようとすることはどこまでも恐ろしい。何かになろうとすることは何かになりえた可能性を放棄することでもあるが,ではそれらの可能性をすべて残した結果というのは,見るも無残な不完全燃焼の汚物である。私はいつでも,弁護士になって月に云億の報酬をもらい,作家になって世界中の教科書に取り上げられ,書いた曲で世界のヒットチャートを席巻してカバーされ続けるようなアーティストになれるのだ。自分の可能性を確信した日にする決断といえば,晩酌をビール一本で済ませるべきかサラリーマンには高級とされるワインを開けるかの決断である。日々は過行く。

今は有名な起業家として活躍している学校の先輩に,社会をメンテナンスする仕事と社会を進める仕事があると言われた。それは事実で,成立したものにぶら下がっているだけの存在になることは,切り開く存在とは全く別物である。今の会社に入ることは何かを実現することと思っていた。しかしそれは今あるものがつつがなく回るよう維持することでしかなかった。当然ながらぶらさがり続けたからといってある日,突然切り開くことができるというわけではない。仕事をするとは,ある事象に対して取りうる解決策の集積を用いることでしかなく,その解決策そのものには価値判断は含まれない。価値判断は仕事をする人が行うものである。この仕事観も様々な領域を任すという言葉でごまかした,既存のものをメンテナンスするだけの事業における日々の仕事というところからしか考えられていないことかもしれない。人生や存在をかけてでも取り組むべき大問題も,解決して救うべき世界も,どこにもないのであり,あるのは当たり前のことを当たり前にやることでしかないのだ。

だとしたら最初に入る会社を誤ったように思う。誤りは,どのようなことをしてもその誤りに費やされた時間そのものを消すことはできない。その誤りがなかったと言えるのは,その経験によって何かを為しえたと言い切ることができる強い者だけの特権である。ある戦争におけるある戦場で戦うことになった二人の兵士がいる。その戦場は劣悪で,二人の兵士のうちどちらかは必ず死ぬと言われている。一方で戦争といっても,誰も死なない戦場だってあり,運悪く二人はたまたまそこに配属になった。いざ戦闘がおこると,やはり二人のうちの一人は運悪く敵の集中砲火を浴びて倒れた。一方でもう一人は,もう一人が集中砲火を浴びたおかげで,その戦闘を生き延びることができ,さらには一定の成果を挙げた。ところで倒れた兵士は一命をとりとめ,祖国の病院に運ばれてその戦場での体験を語ることができた。その兵士の語るところによると,その戦場では勝つための戦略がなく,戦う目的もなく,ただ兵士の気力と運によってのみ戦局が打破できると信じられていて,指示がないから倒れる兵士が相次いだのだと語った。そしてそれはその戦場だけでなく,全ての戦争を通して敗色が濃厚になりつつあるどの戦場においても蔓延している病だと語った。このとき,賞を与えるべきはどちらの兵士だろうか。自分が誤りだったと感じるのは,こうした問題が絡んだ場面に直面した時であった。はじめて正義とはどのような意味なのかを実感した。しかしてこの正義体系が全く異なる世界に飛び出すということは,その体系において活躍することよりも勇気のいることである。失敗が成功に代わるのは,同じ失敗に出くわしてそれを成功させたときである。

ロンドンに語学留学に行ったときのことだった。パブでしこたま酒を飲んだ後,語学学校の友人たちとヨーロッパ有数のクラブに行った。腹に刺さるような低音とおしゃれな人たちに感動しつつ酒を飲み,騒いでいたのを覚えている。

しかし酒の酔いと,衝動と情熱の渦のなかで自分だけ取り残されて選ばれないものの憂鬱はつのるばかりで,耐えられないほどに膨らんだ寂しさをかみしめていた午前三時過ぎに割れるように痛む頭をいなしてトイレに入った。トイレで用を足していると,入り口に座っていた黒人の男性に声をかけられた。その男性がいたことには全く気付かなかったが,恰幅の良さと,スリムなシルエットのジャケットで,気づかないほうが不思議だったかもしれない。曰く,こんな爆音にずっとさらされて何が入ってるかわからない酒を飲んで,自分たちのことで手一杯な人たちに囲まれて(彼はことにいそしんでいるようなトイレの個室を親指でさして笑った)いてはどうにもやってられないよなあ,と私が無意識に発していたであろう鬱屈した存在への欲求を感じ取っているかのように声をかけてきた。私は堰を切ったように話した。一緒に来た学校の仲間がそのままことを始めたということや,泥酔して吐しゃ物を垂れ流しているドイツ人が許せないだとか,そんなことを延々と話したように思う。その男性はにこにこと笑い,ときおりそうだよなあと相槌を打ちながら聞いてくれた。私は洗面所で手を洗いながら,トイレに入った時には全く気付かなかった,本当にずっといたのかと尋ねた。目的のない質問だったと思う。男性は愛想よくその理由は君が飲みすぎているからだと答えてくれた。いやあそうかもしれない,と笑いながら手を拭こうとすると男性は私に真っ白なタオルを渡してくれた。私は感謝を伝え,扉の向こうを指しつつ,こんなうるさいところに戻るのは御免だと伝えた。世界最高峰の低音システムも,そこに集まる最先端のおしゃれなロンドナーたちも心底どうでもよくなっていて,ただホームステイ先の家に帰って眠りたかった。男性はそんなこともあるさと私を励ましてくれた。そしてあの,日本では絶対にない,「会えてよかったよ」という文句とともに出された右手と固い握手を交わした後,男性は私に小銭の入った紙コップを見せた。「――チップは?」

今でこそこの経験は金を稼ぐことの意味を教えてくれたが,全人格を捧げてでも実現すべき大問題がこの世界にはあると思っていた時には,このとき払った1ポンドは,無駄な金にしか思えなかった。