現場にいたときに連れていってもらったとんかつ屋に久々に顔を出した話

1か月半ぶりに髪を切った。だいぶ伸びて整わなくなっていたので一刻も早く切りたかったので、非常に満足している。この髪型は想像よりも高くついている。この短さが実は厄介で、この長さ、この刈り込み具合をきちんと保とうとすると少なくとも1か月には1回切りに行きたいと思いっている。毛先だけを切ってふわふわさせてる適当なやつらにはこの気持ちはわからないだろう。一生そうやって遊ばせていればよい。

この床屋に出会ったのは現場に勤務していた時で、そのときは仕事帰りに5分ほど歩くだけだった。長く看板を構えているのだろうけれど少しも古さを感じさせない、焦げ茶色を基調とした床屋は細かいところまで手が行き届いた場所だけに許される清潔感に溢れていて、いつ前を通っても人が入っている。はじめてそこで髭を剃ってもらったとき、ここまで自分の顎はすべすべになるのかと驚いたものだった。

今はオフィス街に勤務している。と言っても何をやっているのかわからない会社が入る高層ビルとガラス貼りっぽい駅舎のあのどこででも見るようなオフィス街ではなく、そこから少し離れた、伝統系の企業が立ち並ぶオフィス街に勤務している。現場から職場までは電車で1時間以上はかかる。家からも1時間近くかかるけれど、あの床屋は本当に腕がいい上に、また時折は昔の現場の頃の苦難を思い出すことも人生には必要である、という理由をつけて勤務先や家の周りの新しい床屋を探さずにそこに通ってしまう。通うからには現場の頃の思い出と対話しようと最初の頃は意気込んでいたものの、そこの床屋のマスターと何となく音楽の話や筋トレの話をするために仕方がなく行っているんだ、社会性を保つための1時間だと割り切るようになっている。

深酒をした翌日は、なぜか感性が極めて研ぎ澄まされている。聴き取れなかったパーカッションのパートや、歩道橋から見る街の風景に刺すような鮮やかさを見つけることができる。そして例によって昨夜は深酒をしてしまい、床屋で横になっている間も回復しなかったので、なぜか現場にいた頃のことがそのままに思い出された。そして現場にいたときに連れて行ってもらったとんかつ屋のキャベツがとてつもなく食べたくなった。

なぜとんかつではなくキャベツなのか。現場の昼食は出入りの仕出し屋の弁当だが、食は士気の要とはよく言ったもので、冷えた冷凍野菜のおひたしばかり食べていると心が本当にひもじくなる。このひもじさについては改めたい。ひもじさに耐えかねると人は寛大になるのか、連日のおひたしに耐えかねた上司は時折、とんかつを買って差し入れてくれた。タッパーに入った大量のとんかつに特製ソースをかけて弁当の白米と一緒に口に運ぶと、まだ熱いとんかつから染み出す脂と冷えた米が最高に贅沢な気分にさせてくれる。そして何よりこの差し入れの付け合わせのキャベツは、みずみずしさに溢れていて、この脂の溶けだしたソースとの相性が格別なのである。そして不思議なことに、そうした楽しい思い出はメインよりもサイドディッシュと結びついていたのだった。

そこのとんかつ屋で一度現場の懇親会をしたことがある。説明が遅れたが、このとんかつ屋は街のとんかつ屋というような気さくな感じではなく、どちらかというと割烹然としている。いつも食べていた差し入れはこんなところで作られていたのかと驚いたが、それ以上に懇親会のコースは恐ろしかった。こんな美味しいものをこんな短時間で、味わうこともそこそこに食べて飲んでいては罰が当たるだろうと思うほどでもあった。

現場の最高責任者(統責と呼ぼう)、は、思えば破格な人だった。現場で何か市場価値のあるスキルが身に着いたかと言われれば皆無だと断言できるが、この人と同じ職場にいて、その仕事ぶりを間近で見るということは、他のところではあまり経験できないことではないかとは思う。この業界の人間は粗野で、無骨で、品がないと言われることが多いし、最近の私のふるまいの変化を思ってもそのことを否定するつもりはない。しかしこの人は、少なくとも人前では、そうした低俗さ、下品さと無縁だったと思う。それは何か理想に燃えていたとか、極めて高い徳と艱難辛苦で磨かれた人格を持っていたからとかではない。人を自分の意図通りに動かすことに長けていて、しかもそのやり方が徹底していたからだと今では思う。

今日もその店に入るために、漢字一文字がかかれた暖簾から玄関まで概ね10mは歩いたし、値段を見たことがない日本酒の空き瓶が所せましと並べられた道中の石畳を見た。店の水槽には悠々と泳ぐ伊勢海老がいて、とんかつを揚げる音と豚ヘレブロックを捌く音だけが店内に充ちていた。私のほかには何人か女性の一人客がいて、忙しそうにスマホをいじっていた。

そして店内を見回すとやはりワインセラーがあって、統責が好きだったワインが所せましと並べられていた。統責はこの店に20年近く通っているらしく、曰くこの店は自分がここまで引き上げた、と。現場懇親会のとき、私は組織の最年少者として席中を回って酒を注いでいた。もちろんその度に礼儀作法やらなんやらをありがたく叩き込まれるのだが、その中でも副責任者は思い入れが強いので、私は意図せずとも避けてしまうふるまいをしていたようだ。もちろん副責任者がそれを見逃すわけもなく、私を捕まえ、さらには私と同年代の小僧を捕まえ、挙句の果てに主任を呼びつけ、教育は連鎖的に広がった。曰く、朝、副責任者よりも早く来てないから私は酒の注ぎ方一つをとっても間違う。それは主任も髭を生やして職場に来ているからだ、と。ちょうどそのとき横ではあわびのバターソテーの中にエリンギが混じっているかもしれないから、そのエリンギをみんなで見つけ出さないといけないよなあというやり取りがされていて、明らかにそこだけ空気が重くなっていたように思う。だからか、統責はそんな教育の現場まで足を運び、ワイングラスを自ら配っていった。そしてワインを注ぐと、ひたすらこの店の料理とワインがどうして合うのかというような話をして、他愛もないエリンギの話を松茸の話にすり替えて、自分の松茸の話をして、それは違うでしょうとこれも20年近く統責と一緒に現場を渡り歩いた事務担当者の言葉に一同が笑うと、副責任者を連れて別の席に移ってしまった。食事が終わると、統責は最後に一人ずつに感謝を述べた。そして暖簾をくぐってお開きになるや、何事もなかったように皆に背を向けて一人で帰っていった。

3年ほど経った記憶のため、美化されているのは仕方がない。それに仕事の話だから多少ぼかして書いている。しかしその3年の間に取り巻く環境も随分変わってしまった。人事の変更や制度の変更によって、急激に統責に風当たりが強くなっているそう。もはやこうした懇親会も開かれなくなったそうだ。そのことは先日、職場に研修で来ていた統責を見かけたとき、かつての落ち着いた印象に変化があったことに気づかざるを得なかった。統責のやり方についていけない人のあったことは当時から言われていたが、それでも無理をしてでもついていけば何かを見せてくれる、少なくとも美味い食事と酒を自腹でごちそうしてくれて、感謝される。それは不確実なことばかりが起こり、誰もが自律した個人では必ずしもない場所において、少なくとも確かなことの一つだった。そして統責はこの因果律が絶対であること、その結果として統責が与える報酬にはなんであれ絶対の価値があるということを人に信じさせることにかけては、これまで私が出会った人の中でも卓越していたと思う。

今のオフィスビルでの生活は、とても落ち着いている。めちゃくちゃなことを言う人もいなくなり、かつての荒んだ心はどこに行ったのだろうかと思うこともある。しかし今週は少しばかり厳しかった。業務量というよりも、精神的なプレッシャーを感じ続けることが多かった。つまり、いつなにが業務として発生し、それがそもそも解決するのかすらわからないような状況にさらされていた。結果としてそうした業務はなかったが、だから達成感も何もないまま、何かを成し遂げたのか、何かが進んだのかすらわからず、心の靄が晴れ切らないまま疲労だけが残されたのであった。

少なくともその食事会の翌日に誰もが疑いたくなるような業務が私に割り当てられたときの方が、気持ちは晴れ晴れとしていた。しかし統責のようなやり方も少しずつ排斥され、きっと今いるオフィス街もいずれガラス張りっぽい駅舎の中に取り込まれ、私だけでなく部署や部門や会社全体が何をやっているのかわからない会社になるのだろう。そんなすべてを飲み込むような時間の力に思いを馳せ、こんなフィクションをでっちあげたくなるほどに今日久々に食べたとんかつは美味だった。こんな架空のおっさんと一緒に仕事ができたことこそが現場にいた最大の成果なわけがなく、最大の成果はこのとんかつ屋に出会えたことだろうと思い、すべすべになった顎を撫でていたら今日が終わっていたのである。