豊饒の頃には

快速列車が停車する駅からタクシーで20分ほど山を登ると、急に視界が開ける瞬間がある。遠景に団地群が見えて、バカでかいクリニックやよくわからない熱帯魚屋さんが車道沿いに現れる。やけに白みがかった戸建ても敷地を持て余した施設のすぐ近くにポツリとたっていたりする。どこにでもあるような開発された街の香りとでもいうのだろう。歩いている人はあまりいない。寂しさにも似た静けさは車内からも明らかで、かつてここに何かを作ろうとした先人たちの挫折に思いを馳せざるを得ない。ここに何かを建造したとして、何かが変わるのだろうか?自分のしていることに価値や意味はあるのか?私も後世に笑われるのだろうか?揺れる車内にいると、もう何度考えたかわからないことをいつものように考えてしまう。

何度やっても同じ運賃を払い事務所に着くと、ここも負けず劣らずの重苦しさに包まれている。何をしても無為に終わり、耐えることが目的となった人たち――私も含めてがここには集まっている。藁をも掴もうとする人たちの強欲を見ても何も感じないようにしている。ここは常人がいる場所ではない。このゲートをくぐると誰もが何かに憑かれたように醜くなるだけである。彼らがこのゲートを出たとき、例えば家に帰ったら帰った先できっとそれぞれの役割を演じている。そう信じている。なけなしの脳みそで思考したことを信じることが自分を保つことであるだろうが、それ以外にも自分が自分であることを確かめるための瞬間は確かにあって、それはここに来るとわかる。何も言わずに机に電卓と伝票を広げ、症例から聞きたいことを機械のように引き出す。たとえ機械的でも、そのプロセスを回す瞬間は、私は紛れもなく私である。プロセスさえ踏めれば、どこかの誰かが言ったように私は、望みとあればどこへでもかけつける話し相手で、道化で、詐欺師なのだ。そんなわけあるか。

実は(誰のせいでか)事務所に閉じ込められていたので、まだ一度も現場を見たことがないから、案内してもらえないかとお願いした。それではこちらへと言われ案内された車は身を折りたんでも入れないほど狭く、洗濯物にでもなったかと思うほど揺らされた。壁でも登っているのではないかと思うほど急な斜面をタコメーターは2時くらいを指しながら登っていく。後ろからあがる砂埃で前が見えなくなるほどだったが、ここ最近雨が降らないからこの砂が大変なんですよ、どれだけ水を撒いても焼け石に水でねと運転をする役職者に言われる。山の頂上についたときには、その見晴らしの良さよりも砂埃にむせかえってしまった。何十台という重機が地面を掘っている。金脈でもあればよいのになと思うが、掘るほどに出てくるのは想定外の岩ばかりで、想定外の岩は金と時間と希望をヒルのようにうごめきながら私たちから吸い尽くしていく。

この砂埃だと口をハンカチで覆うほかにないが、そこで作業する人たちは一切そんなそぶりを見せない。全く日焼けしていない青白い肌の私たち(その日、私は上司と来ていた)はここでは見られる対象だった。私たちは来た道を車で戻る。ふと気づくのは、私たちが仮設道路を通るとき、誰もが道を開けて直立してくれることだ。私たちが車を降りるとき、誰もが作業を一度止める。私たちはエアコンの効いた車内から軽く会釈をする。私たちを案内したおんぼろ車はたった1時間程度の巡回で砂塵にまみれた。公道に出るための車両洗浄スペースに車をつけると、車以上に砂塵にまみれた壮年の男たちが車に高水圧の水をかけていく。水が車体を削り取る、耳に詰まったような音を反響させる車内から彼らを見た。私は何をしに来たのだろう。雷に打たれているような音が車内に響き渡るが、私は相変わらず後部座席で小さくうずくまりながら、上司と偉い人の世間話を聞いていた。

私は通勤用のスラックス5着で1週間を回している。朝は一番左から取り、帰宅したら一番右にしまう。自分の行動によって曜日を定義することができるというささやかな喜びを味わいながらも、次の作業を考えてるうちに1か月が経ってしまう。時間が早く感じられるのは変わりばえのしない日常の中に自分がいるからだろう。だから想定外に出くわすと、まずいらだってしまう。奥に詰めろ、電車の乗り方も知らないのか君は何年社会人やってるんだ、とかつて言われたようなことをそのまま言いたくなり、私も晴れて次の世代にバトンを託していく世代を代表する優秀なランナーの一人になれたのだと思い、何とか自分を肯定してみる。はじめての現場見学に膝から崩れそうになる疲労を感じつつ、仮設事務所の便所の窓から外をのぞくといつもの水田が見える。水田は私が想定した通りのプロセスで実りを迎え、まさに収穫されようとしているところだった。水田が実ることにはすべてが終わっているだろうと思ったこともあったが、実際は何一つ手についていない。それでも稲は自然と収穫の時を迎える。そしてそれを、私が全く知らないところで全く知らないように生活をしている人が収穫するのだろう。私は何かを再び信じるには、自分の大切なものを奪われすぎたように思う。豊饒の頃にはまた会えるのだろうか。私がどうなっていてもきっとまた来年も実りを迎えてくれるだろう。この文章は既にその稲が刈り取られる前から書き始めていたものである。収穫は私の文章の完成を待ってはくれなかった。