集合住宅の1階のロビー

小学生の頃職員の集合住宅に住んでいて、エントランスになっている1階のスペースで集まっては遊んでいた。集合住宅だからできる遊びにも限界があっていつしかそれはカードゲームになって、エントランスの人が出入りするところでカードを広げてゲームしたり、携帯ゲーム機で何人かで遊んでいた。通り過ぎる大人たちは近頃の子供たちは走り回ったりして遊ばない、ゲームばっかりしている、活気がないから挨拶もできないということを態度で私たちに示した。折しもゲーム脳というような言葉が流行しはじめたときではあった。

集合住宅の壁に向かってボールを蹴っていると、一番端に住んでいた上田君(仮名)の親が出てきて、ボールを蹴っていた私たちを部屋に入れて外から蹴られるボールが室内にどう響くか感じなさいと言って怒ってきた。しかし私たちはそもそもそんなボールの音は気にならないから、上田君の家にあるゲーム機でずっとゲームをしたり、上田君が一生懸命作ったプラモデルを見せてもらったり、上田君が時折気に入らないことをすればプラモデルを壊して遊んだりしていた。なんなら家でゲームをするために壁に向かってボールを蹴ったこともあった。むしろプラモデルを壊したときの上田君のリアクションのほうが学ぶところが多かった。上田君の家で読ませてもらった世界の偉人伝のマンガは忘れられない。特にベートーヴェンが聴力を失ってもなお音楽を作り続けたシーンは今も印象に残っていて、模範にするべきだと思っている。端的に言えば当時の私、私たちには取り立てて恐れるべきこともなく、ただ同じようなメンバーで同じような場所で同じ用なことをずっとやっていただけだった。しかしそれは不思議と楽しいことであった。上田君にとっては最悪だったと思うが、上田君とはその後も彼が引っ越すまで変わらぬ付き合いがあったから許されていると思っている。

今日、私は相手方との飲み会で他愛もない話をしながら芋焼酎のお湯割りを飲んでいた。博多料理のもつ鍋屋でもつ鍋も頼まず、いろいろな居酒屋にあるメニューの変奏曲のようなものをあてに、楽しくワイワイやっていた。前日後輩たちの会に招かれて参加したが結局何一つ自分が本当に楽しい話題も、相手が楽しそうにしている話題もないまま解散し、後輩に対して変な気を遣うようになってしまった自分の情けなさにも気が滅入ってしまった。ここに居る人たちはきっと前日に私が感じたようなやるせなさをどれだけ経験してきたのだろうという文脈こそがその人たちのする話を魅力的にするのであって、話それ自体に魅力を求めることは間違っているのだろうとも考えた。私は下らぬ考えようもないことを考えながら、静かに今日を終えた。

小学生の頃だったら怒られたようなコミュニケーションしかしていない。別に取り立てて異常な危機が起こるわけでもなく、互いの悪口を言い合いながらも絶対に超えてはならない一線は皆が尊重しあっている。誰もが出入りするような大きな通りの目立つところにある飲み屋で前回と大して変わらない飲み物を飲みながら、いつまでも同じように話を続ける。小学生の頃は何が楽しいかなんて考えていなかった。振り返るとそれの方が自然であって、どうやったら楽しいか、素晴らしいか、格にふさわしいか、そんなことを考えている方が不自然なのだろう。だらりと伸びる5時のチャイムまでの時間がこのまま続いていけばいいのになと思う気持ちと、そうじゃないチャイム、例えば戦闘開始のチャイムのようなものをどこかで待ってしまう気持ちがある。誰かに何かいってもらうのを待ってみるが、誰も言わない以上は自分が言われたことを思い返しながらやっていくしかない。そのときになってはじめて家に上げてくれた上田君の家族のことを思い出す。