今日はめっちゃ社会が動いていた

今日は自分でも信じられないくらい社会が動いていた。すごい速さで動いていて、思わず熱が胸に騒いでしまった。家に帰って豚足をゆでてみたが一ミリもおいしくない。豚足にゴマダレをつけて白酒で、と思っていたがそんな気分にもならなかった。明日は寿司屋で貝の刺身でもつまんだあとに劇場版ヴァイオレットエヴァ―ガーデンでもレイトショーで観たいと思う。最近貝の刺身が一番おいしい。貝の刺身を食べると昔見た景色を思い出す。北海のグレーの海や、ギリシャの緑の海、小笠原で見た黒と言ったほうがいいような深い海。そんな風景というよりは時間かもしれないが、思い返してはインターネットの海に溶けだしたいという自分勝手な思いが波のように押しよせては引いていく。

かつて上司だったけれど今は仕事のカウンターパートになった人がハラスメントで懲戒をくらい、近々いなくなるそうだ。今朝執務室に来ていたその人はなぜかいつもよりも小さく丸まっていた。声をかけようとしたら、いつもへらへらしている人事たちに個室に連れていかれる場面に出くわしてしまった。その人は人間として最低だったと思うし、許すことはできないと思う。私の同世代の人は何人もその人に叩きのめされ、立ち直れなくなった。私の心身のバランスが崩れるきっかけを作った人はこの人であった。心身は相互に連関しないということをその人は教えてくれた。これほど心身二元論とかそういう現代文の適当なキーワードについて丁寧に説明してくれることはなかった。ところでその人が作る決算書類は思わずため息が出てしまうほど美しかった。もし数字には意味があるから価値があるのだというのであれば、その人が作る数字はどこをとっても相互に関係し、全ての数字が他の数字を説明していた。私が聞きたいと思っていたことはすべて、その人ではなくその人が作る書類のほうが雄弁に語っていたのだった。価値ある数字という我々が追い求めている模範のようなものを難なく作ることのできる人だったと思う。

もう一度言うが、私はその人のことを許すことはできないと思う。今でもあの時を思い出したいとは思わないし、詳細に思い出そうとするとどうしても唇が震える。それらを全て水に流して日々の仕事を一緒にしようとするほど、その当時のことがフラッシュバックし、私が患ったものの本質はPTSDのようなトラウマによる障害だったと気づかされた。そして今日、これまで心の底ではきっと待ち望んでいたであろうことが起こり、しかもそれに立ち会うことができた。しかしどうして心は晴れないのだろう。詳細を聞いたとき目前の仕事に一切集中することができず、思わず笑顔になってしまったが、さりとて今の私が抱える業務と問題は一ミリも変わってくれなかったし、私が自席でかなり大きな声で独り言をつぶやいたとしても、私に同情してくれる人は誰もいなかった。

しかしその事情を知る人に話をすると誰もが、今まで言えなかったことを容赦なく語りだした。噂には聞いていたでしょ、いずれこうなる運命だった、あらあなたはあそこの生き残り、もっと早く罰せられてくれていれば……私もこうして脚色を交えながらもここで話しているから同罪ではあるけれど。判決が確定し自分に危害が加わらないことがわかったときの悪口ほど楽しいことは無い。そして噂は千里を走り、風をあつめてあることないこと交えながら伝わっていくのだろう。現場を知ることが貴いのは、現場がそれらの怪しい情報を一切ものともせず確かな体験を与えてくれるからだろう。私はかつての同僚、私よりもかろうじて確かに心身を保ったもののその人との勤務によって20kg近い体重変動があった同僚に思わず連絡を取りたくなったが、潔白というよりも自分の保身から、打ち込んだ内容を消しては打って、打っては消してを繰り返した。結局連絡することもなく、それとは全く別件で今の上司と自分のキャリアについて話した。私はこの業務に向いていないし、もう成長の幅がなくなってきて、端的に言えば荒れていると伝えたが、それならこの仕事をあなたの10倍以上やっている私はどうなるんだと一蹴された。どこまでいっても自分のことは自分で決めないといけない。

やらなければいけないことがあったのに、先輩が空港の閉鎖によって職場に帰ってくることができなかった。それで私や、私の上司のイライラも募った。刃物を持った人が空港にいたから閉鎖になったそうだ。執念は人を巻き込む。今就活で、人を巻き込んだ経験はありますかと聞かれたならそう聞いた面接官に思いっきり書類を叩きつけ、椅子ごとひっくりかえしてやるだろう。そしてお前が怒り、お前が私について語り、それを上司や同僚や恋人や恋人がその両親に話しそれがインターネットの片隅を賑わせるのなら、これ以上に人を巻き込んだ経験はないだろう。何の話がしたかったんだっけ。理不尽に何かに巻き込まれた人は騒ぐことができても騒ぎをコントロールすることはできないということだっけ。祭りか?

それに関連して、折しも友人の退職エントリーに類するものを見かけた。多くの退職エントリーにあるような現実への反発や自分の正当化はなくて、憎しみや負のエネルギーに触れることについて訥々と語られていた。私もふとそのことについて考えてしまった。憎しみや負のエネルギ―は恐ろしくて、扱い方を間違えると一瞬で奪われてしまう。自然相手のスポーツでもしているように、それらと対峙することは緊張感に溢れているから、緊張が切れると一瞬で足元をさらわれてしまう。すると足がつく場所まで流されていく他はなく、つまりどこまでも自分もその人を憎み続け、その感情の流れが穏やかになるまで待つほかはないのだろう。傷は治っても傷跡は消えることはない。私が今日感じたものはすっかりなくなったはずのものがまるであるかのように感じられる、いわば幻肢痛で、傷は治っても傷跡は消えないという母の教えのとおりのことだった。友人が受けた傷の深さを思った。そして数万人の計画を無為にしてしまうような人の執念を思った。今日生きる意味を私が探している間にも周りにはとんでもないエネルギーがうごめいていて、エネルギーとともに生きている人がいて、私はその事実にまた頭がクラクラするような気がした。ここで書いたことはすべて一つのことからおこっているはずなのに、そのことに迫ろうとするとどうしてこうも届かないのだろう。

豊饒の頃には

快速列車が停車する駅からタクシーで20分ほど山を登ると、急に視界が開ける瞬間がある。遠景に団地群が見えて、バカでかいクリニックやよくわからない熱帯魚屋さんが車道沿いに現れる。やけに白みがかった戸建ても敷地を持て余した施設のすぐ近くにポツリとたっていたりする。どこにでもあるような開発された街の香りとでもいうのだろう。歩いている人はあまりいない。寂しさにも似た静けさは車内からも明らかで、かつてここに何かを作ろうとした先人たちの挫折に思いを馳せざるを得ない。ここに何かを建造したとして、何かが変わるのだろうか?自分のしていることに価値や意味はあるのか?私も後世に笑われるのだろうか?揺れる車内にいると、もう何度考えたかわからないことをいつものように考えてしまう。

何度やっても同じ運賃を払い事務所に着くと、ここも負けず劣らずの重苦しさに包まれている。何をしても無為に終わり、耐えることが目的となった人たち――私も含めてがここには集まっている。藁をも掴もうとする人たちの強欲を見ても何も感じないようにしている。ここは常人がいる場所ではない。このゲートをくぐると誰もが何かに憑かれたように醜くなるだけである。彼らがこのゲートを出たとき、例えば家に帰ったら帰った先できっとそれぞれの役割を演じている。そう信じている。なけなしの脳みそで思考したことを信じることが自分を保つことであるだろうが、それ以外にも自分が自分であることを確かめるための瞬間は確かにあって、それはここに来るとわかる。何も言わずに机に電卓と伝票を広げ、症例から聞きたいことを機械のように引き出す。たとえ機械的でも、そのプロセスを回す瞬間は、私は紛れもなく私である。プロセスさえ踏めれば、どこかの誰かが言ったように私は、望みとあればどこへでもかけつける話し相手で、道化で、詐欺師なのだ。そんなわけあるか。

実は(誰のせいでか)事務所に閉じ込められていたので、まだ一度も現場を見たことがないから、案内してもらえないかとお願いした。それではこちらへと言われ案内された車は身を折りたんでも入れないほど狭く、洗濯物にでもなったかと思うほど揺らされた。壁でも登っているのではないかと思うほど急な斜面をタコメーターは2時くらいを指しながら登っていく。後ろからあがる砂埃で前が見えなくなるほどだったが、ここ最近雨が降らないからこの砂が大変なんですよ、どれだけ水を撒いても焼け石に水でねと運転をする役職者に言われる。山の頂上についたときには、その見晴らしの良さよりも砂埃にむせかえってしまった。何十台という重機が地面を掘っている。金脈でもあればよいのになと思うが、掘るほどに出てくるのは想定外の岩ばかりで、想定外の岩は金と時間と希望をヒルのようにうごめきながら私たちから吸い尽くしていく。

この砂埃だと口をハンカチで覆うほかにないが、そこで作業する人たちは一切そんなそぶりを見せない。全く日焼けしていない青白い肌の私たち(その日、私は上司と来ていた)はここでは見られる対象だった。私たちは来た道を車で戻る。ふと気づくのは、私たちが仮設道路を通るとき、誰もが道を開けて直立してくれることだ。私たちが車を降りるとき、誰もが作業を一度止める。私たちはエアコンの効いた車内から軽く会釈をする。私たちを案内したおんぼろ車はたった1時間程度の巡回で砂塵にまみれた。公道に出るための車両洗浄スペースに車をつけると、車以上に砂塵にまみれた壮年の男たちが車に高水圧の水をかけていく。水が車体を削り取る、耳に詰まったような音を反響させる車内から彼らを見た。私は何をしに来たのだろう。雷に打たれているような音が車内に響き渡るが、私は相変わらず後部座席で小さくうずくまりながら、上司と偉い人の世間話を聞いていた。

私は通勤用のスラックス5着で1週間を回している。朝は一番左から取り、帰宅したら一番右にしまう。自分の行動によって曜日を定義することができるというささやかな喜びを味わいながらも、次の作業を考えてるうちに1か月が経ってしまう。時間が早く感じられるのは変わりばえのしない日常の中に自分がいるからだろう。だから想定外に出くわすと、まずいらだってしまう。奥に詰めろ、電車の乗り方も知らないのか君は何年社会人やってるんだ、とかつて言われたようなことをそのまま言いたくなり、私も晴れて次の世代にバトンを託していく世代を代表する優秀なランナーの一人になれたのだと思い、何とか自分を肯定してみる。はじめての現場見学に膝から崩れそうになる疲労を感じつつ、仮設事務所の便所の窓から外をのぞくといつもの水田が見える。水田は私が想定した通りのプロセスで実りを迎え、まさに収穫されようとしているところだった。水田が実ることにはすべてが終わっているだろうと思ったこともあったが、実際は何一つ手についていない。それでも稲は自然と収穫の時を迎える。そしてそれを、私が全く知らないところで全く知らないように生活をしている人が収穫するのだろう。私は何かを再び信じるには、自分の大切なものを奪われすぎたように思う。豊饒の頃にはまた会えるのだろうか。私がどうなっていてもきっとまた来年も実りを迎えてくれるだろう。この文章は既にその稲が刈り取られる前から書き始めていたものである。収穫は私の文章の完成を待ってはくれなかった。

君の担当プロジェクトは燃えているかい?

野暮だ。何とでも言ってもらってよい。ただでさえ頭は朦朧としているのに、酒を流し込んで今この入力画面に向かっている。一人で外で飲むのは金曜日だけにしている。いつも行くファミレスでは顔をすっかり覚えられ、「以上でご注文はお揃いでしょうか」という確認事項も私だけ省略される。なぜなら私はフルコースのように追加注文をしていくからで、そのことが店で共有されているからだ。足取りもおぼつかない状態で商店街を歩けばマックの前に無造作にとめられている自転車のサドルの上に座ってスマートフォンをいじる私服の女子高生や、コンビニの前で帰るだの帰りたくないだの押し問答を繰り返すだらしないスーツを着た男とお姉さんがいて、どれもがまるで嘘のように思えて通り過ぎる。牛乳を買うために寄ったスーパーでは家にあるにも関わらずワインを買ってしまう。そうでもしないと自分を保てないから――このような恥ずかしい自分の弱さを嬉々としてアニメの曲をもじった題名の下で話そうとしてしまう自分があさましい。しかしどうしてもこのことは話したい、話さないと収まらないのだ。プロジェクトが炎上するとはどういうことか、そこにはどんな人がいるのか。私がこれから話すことは客観的な事実ではないかもしれないが、私がどう感じたかだけは事実である。リアルなものは、体験したということそれのみだから――。

炎上。いくらでも事例はあるが、私のケースについて説明する。再三触れているように私は請負業に従事しているが、請負業とは人にやれと言われたことをきちんとやれるかどうかがすべてだ。むしろそれ以上はない。それをどんな人がやろうか、やりながらどんなことを考えるか、どれだけ成長したか、そんなことはどうでもよい。聞いてない。請負業とは、人にやれといわれたことをきちんとやれるか、それに尽きる。できることがあるのだから、もちろんやれないことだって世の中にはある。けれどどうだろう、どれだけできることとできないことを人は判別できるのだろうか。分別のついた大人だったら自分の経験を振り返り、自分の強みと弱みを分析し、ふざけんな、ぶっ殺すぞ。そんな人間はいない、少なくとも俺の周りにはいない、できることだけやっていたらできることしかできないままだ。幸いにして人は、誰だって新しい景色を見ようと最初の一歩を踏み出すことを夢見る。もし月に行くことができたら、もし仕事を変えたら、もしこの人に好きだと伝えたら――世界はifに溢れていて、誰だってそこにある可能性を信じてみたくなる。そしてそれができることは人間の最後の尊厳かもしれない。しかし間違いとは、そこで最初の一歩を踏み出してしまうことともいえるだろう。

そして踏み出してしまうと後ろには引き下がれない。たとえそこで誰も想定しなかったようなことが起こってもだ。ルビコンを渡ったら戻れない。いや、引き下がることはできるだろうけれど、それには先立つものが必要になる。マネーだ。マネーがあればなんだってできるが、世にいう取引社会においては違うかもしれない。できると言ったことをできないということは、とんでもないほどの信頼と信用を失うことになる。考えてもみてほしい、あなたに「任せてください」といってきたヤツが突然「できなかった、そもそもコンディションが悪かった、今日は本気が出ないんだ、金ならやる」と言い始めたとき、あなたは許すことができますか?少なくとも私は許せない。そして私と私の関わる人達は不運にもそれで許されない側の人間に回ってしまったのだ。

戦闘で一番難しいのは退却戦で、その退却の最後尾を務める殿はとにかく本軍を逃すという大命を負っている。使えない兵士はその場で捨てられ、救援や補給が望めなくても、それでも目的のため戦わなくてはならないのであれば、それは戦闘という非日常的な状態の中でも、極限的に非日常できあろう。目的のためならなんだって許され、達成したならば望んでいたものすべてを手にすることもできる革命的な状態ともいえる。この非日常的な状態をコントロールすることにこそ殿の一番の難しさがあるのかもしれない。なぜなら、非日常に浮足立っているならば、どんな力だって出せるかもしれないし、どんな些細なことでも躓くことがあるからだ。それが数日や数時間のことだったら確かに士気も上がったり勇気も湧いてくるだろうし、やり切れば報われるということが信じられるならむしろチャンスかもしれない。しかし今回の場合、残念ながら事業の性質から、この非日常的な状態は何年にも及びそうだ。何年間も、あなたが頑張れば頑張るほどそれは事業の失敗を脹らませるけれど、それでもあなたたちだけは頑張り続けなければならない、しかし支援はできる範囲でのみします、と言われ続けたらどうなるだろうか。簡単、人は発狂する。先がないという状態、希望を持てない状態にいる人は本当に容易に発狂する。そこにいる人はどこか遠い目をするようになる。俺の後ろに何か憑いているのだろうか、と思うほどに話をしていても目が合わなくなる。指揮系統が狂う。誰が何の話をして、誰が決定するのかが一切不明瞭になる。長と名の付く人が真っ先に帰ろうとし、打ち合わせや会議を平然とさぼることが当然のようになる。そしてやれと言ったことが、数カ月やられないままだったりもする。今日だって自分の父親くらいの年齢の担当者が会話の途中で突然わかんねえよと何度も何度もつぶやきながら目を押さえて震えていた。このような話はいくらでもしたいが、それ以上は事業に関わる話なので避けたい。

断っておくとこれは支援体制が悪いというわけではない。むしろ考えうる限り最善の支援体制は整っている。しかし、いやなことが起こっているところには誰だって目を向けたくない。もっと楽しくて明るくなるようなことばかりを考えていたい。いやなことに目を向けたというだけで100点をあげたいくらいだ、ましてやそれを解決することができたのなら、なんだってあげてもいいくらいだ――。何が言いたいかというと、他人の炎上は他人事でしかない。一緒にその重荷を負担してあげようという人ほど、重くなった時に荷物をすぐに離す。そしてプロジェクトの責任者からしてみれば、他人事としてしか考えていない人は一瞬で見抜けるのだろう。味方のはずの人を誰一人信じられない状態ほど苦しいものはない。私はそうした懐疑のまなざしを向けられた。私はそうした人を前にしてただその狂気の中に腕を突っ込んでかき回すことしかできず、その重荷を持たせてすらもらえなかった。

私はこのプロジェクトの責任者でもなければ、その当の実行部隊でもなくて、プロジェクトの完遂のために支援する部署の一つのうちの一人でしかない。何をして支援しているかというと、そうして発狂した人たちを見て、少しでも希望を持ち始めたら現実を見せることをしている。最悪と信じたくないことを見せ続け、やるべきことをやらせることでもらったお金で、先ほど述べたようにスーパーでワインを無造作に買っても平穏な生活を送ることができる。現実を見せることができたり、やるべきことをやらせるなんてのは小手先の技術でしかなくて、やっていくうちにどうとでもなり誰でもできるようになることのように思う。だからもらっているお金の9割くらいは、人の限界と向き合うことでもらっているような気がする。

限界を迎えた人には恐ろしい引力がある。こうして今文章を書かないといけないのも、全く飲みたくないのに酒を飲み、帰り道のすべてに意味を見出そうとしてしまったのも、こうした限界の人々に長時間触れたからだろう。これは仕事だと割り切って行っていても、ふとした拍子に自分のやっていることの暴力性や、遠い目の先にあるものを思い浮かべてしまい、どっと疲れる。溜息しか出ない。にもかかわらず、成果物が一切出なければ、状態が改善する見込みもない。自分だっていつ発狂するかわからないという恐れが常に付きまとう。炎上プロジェクトには悪い霊が憑くとよく言う。だから験を担ぎ、ひたすら祈る。皆で祈る。現実は冷静に分析し働きかけないと変わらないと言うが、分析する能力やそれを実行するにも自分が自分であることが必要だ。そして自分であることは、祈りでしか維持することができない。

道中、「仕事するうえで最強なのは、ばっくれること、とぼけること、そして何もしないことの3つだ」と上司と話していた。まじでそうっすよねとゲラゲラ笑いながら相槌を打っていたが、これは発狂した先ほどの人を思っての話だった。確かにその人は最強だった。もう誰にも止められない。誰もが狂うし、誰もを狂わせる。そしてそんな人に接することでまた狂う。こんな文章を臆面もなくさらすことができる。なぜなら何もかもが不確かになるからだ。このままいけば全日本くらい一瞬で恐怖と狂気に叩き落とせるのではないか?プロジェクトは、やって終わるならまだよいんだ。やるということができない状態が恐ろしいのだ。それでもプロジェクトは進まない。君の担当プロジェクトは燃えているかい?

残業50時間詩 1

その昔学校の先輩が世の中には社会をメンテナンスする仕事と社会を前に進める仕事の2つしかなくて、君はどちらに行くのかわかっているのかと言われたことがある。それは苦戦して内定をやっともぎ取り就職先を決めた私を祝う場でのことだった。こうしたことを言いきることのできる先輩だったからきっと今も大活躍されているのだし、社会を前に進められるのだと思う。先輩の名前を各所で見るとき、ふと私はそんな先輩の後輩であるということを誰かに言いたくなると同時に、そんなことでしか自分を語ることがなくなりつつあるという悲しさに襲われた。変わらないのはそんなことを言われたり、そんなことに気づいたときに飲むビールはおいしいんだか渋いんだかわからないというあいまいの極みみたいなところにあるということで、本当はおいしくって爽快の極みのようなビールを飲みたかったなあと酔いが醒めた頃に思うものである。

労働者としての価値ということを就職先を選ぶときに考えればよかったと思う。伝統的な家に生まれ伝統的な価値観の下で育ち伝統的な成功像を自然と追い求めたあまり、どうにもキャリアという観点から考えると派手で目立つようなものは一点もないレジュメが出来上がってしまった。2000年以上も輝き続ける履歴書に憧れたりもするが、自分の名前が歴史に残り、それが燦然と人類史の中で輝いている絵を本当に思い浮かべていたが、根拠なくそうしたことを信じることができたかつてが懐かしくもあり、恐ろしくもある。だから社会を前に進めるということを考えることはなかった。社会は自然と進んでいくものだと思っていた。そして社会には個人の強い思いや、理想や、夢に共感した人々がイキイキして活躍していて、その中心には優秀で有能で人徳に溢れた人がいるはずだった。しかしてそれはどうだっただろう。

私はどうやっても社会を守りパッチをあてていくことしかできないのだろう。いや守ることすらもできない。穴が空いたところを必死で穴が空いてますと叫び続けることしかできない。むしろ天井から水が漏れてきたら漏れてきたところにバケツをおいてずっと見ながら、いやあ漏れてますねえと言い続けることしかできない。なぜなら技術がないから。穴を埋める技術がなければ、漏水を止める技術がなければ、物を変えることができない。ところで私はその間ひたすら適当なことを言いながら相手の怒りが収まるのを待つしかないのだが、そんな人は決して私だけではないとも思う。私はふと映画タイタニックで沈没せんとする船の中で演奏を続けた楽隊のことを思い浮かべた。彼らにもしそこにいた乗客全員を救出することのできる技術があったら、助けただろうか、それとも楽器を弾き続けただろうか。自分にできることをやり続けるというのは確かにそうだが、それではいつまでもそのままだというのを何となく思ってしまう。そしてその感覚は内なる獣のように突然湧き上がっては今立っている場所を炎で燃やし尽くそうとしようとしてくる。

私だけではないだろうが、私のような技術のない人間は皆何をしているのだろう。決して世界中の人が換金価値の高い技術を持った天才イケイケ技術者だとは思わない。私よりきっとプログラミングが下手なプログラマーもいるだろうし、私より謝罪がうまいプログラマーだっているはずだ。技術を持っている人はプログラマーには限定されない。調理人だったり職人さんだったりもそうだ。確かに彼らは時間をかければその技術は磨かれるだろう。しかし私は時間をかけても謝罪までのもって生き方が上達するくらいだが、それだって作法が違うところに行けば全く通用しない。私は40年近くかけて完璧な謝罪をする偉い役員たちを見てきた。しかしもし彼らがシリコンバレーのクソイケイケ企業をファックしてしまったとき、同じマナーで謝罪するのだろうか。私はできるならそこで謝罪のプロトコルの通訳をして金をもらいたい。スターウォーズの時代でもプロトコルの通訳をする専用のロボットがいたのだから、きっとこの仕事はなくならないだろう。しかしてそんな仕事に今は就けず、貴重な時間を尊い労働時間に変えるしか金をもらうすべがない。そのほかないのだ。そしてそこには残念ながら志を金にかえるようなものはない。けれどきっと。私はそれを強く持ち続ける力がなかったのだろう。

会社のえらい人と飲みました

退職エントリーを書く人もいれば、退職しなかったエントリーを書く人もいる。私はそのどちらでもない。退職しようとしたこともあるけれど、退職しない理由を大きな声で話すこともできない。中途半端な覚悟しかないから、自分の居場所に責任を持てず無責任なまま漂っている。

しかしそんな私も会社ではそれなりに会社や会社での権威には従順にやっていて、というか会社での労働内容と折り合いをつけたという表現が正しく、中途半端だから中途半端な立場に居るというのが実情だ。何事もやりすぎはよくない、別に突出した才能なんてなくてもよいんだということを思うようになった。人外の知識を必要とされるから無限の時間を労働に費やす必要も無ければ、いかに手を抜くかだけで勝負が決まるというわけでもなく、適度にやっているのが一番というようなところに私も適応したのだ。

技術屋はその技術でそれなりに食っていくことができるが、保証された技術のない事務屋は上司の肛門を舐めて得意先の局部を舐めるくらいしかできない。もちろん私にはそれなりの経験や知識や事務管理の能力が身に着いたと思うが、それでもそんなものは保証された技術ではない。だから時折、自分のレジュメはどうなるのだろうということを考えることもある。

事務屋としてこれからやっていくとなると、身につけなくてはいけないのは、明確な技術というようなモノではなく、人にいかに話させるか、人にいかにやる気を出してもらうか、人にいかにやってもらうかという力であるように思う。そしてこれを突き詰めると、別に事務屋には個性なんてなくてよくて、ただ何かをしようとしている人の鏡になれればよいのだろう。その人が考えていることや、考えに至らないものを的確に映す鏡としての能力があるほどよい事務屋なのかもしれない。

こうなると中途半端であることも、軸がないことも、自分では何ひとつできないことも、別に良いような気がする。かえってそちらの方がしなやかでよいのかもしれない。そしてこんなことを考える機会を与えてくれたということだけでも、まだ会社、むしろ自分の周りに居る人に受けた恩を返さなくてはと思う。それはその人に直接返さずとも、私と同じような立場の人に自分がされてよかったことをしてあげるということもある。どんな小さな手違いや失敗であってもキチンとどうすべきかを一緒に考えてくれ、無礼や癪に障るようなことを言っても正面から怒ってくれて、難しい問題でとても私の手に余るようなことでも私に相談してくれた偉い人達と飲んだ時に、そんなことを思った。

友人の楽器を一緒に選んだ

先日、友人が今住んでいる街の近所に越してきたというので久々に飲んだ。飲んだと言ってもガバガバとビールを流し込んでいるのは私の方で、むしろ相手は私に付き合って飲んでくれているんじゃないかと思うほど節度を守って飲酒していた。学生時代から非常に仲良くしてくれていて、今の私があるのは彼のおかげと言っても過言ではないと思うほどである。これは本当に。

新天地で彼は新しい仲間とともに楽器をはじめたいという。彼は昔バンドをやっていて、学生時代同じサークルの音楽仲間であったことを思い出した。彼との交友はサークルを離れてからの方が長い。聞くに今までやっていたことではなく、新たにベースをはじめたいという。私は学生時代の借りを少しでも返せるならと思って、力になれるよう尽力した。そして週末に、一緒に楽器屋にいくことになった。

楽器を誰かと一緒に選ぶというのはいつぶりのことだろう。思えば最初の楽器を買ってもらったのは父と一緒の時で、弦楽器のことは全くわからなかった父は店員の進められるがままに、予算と相談して決めていた。その次は中学の友人と。彼らは今は何をやっているのだろう。高校入学のお祝いで好きなものを買って来いと両親に言われてもらった札を握りしめて、そいつらがゲーセン代や酒をたかろうとしてくるのを振り切って、選んでもらった。渋谷のベース専門店で選んでもらったフェンダージャズベースで、それは今でも現役で活躍している。フレットは抜いて、ピックアップも変えてと大改造を加えヘルタースケルターのようになってしまってはいるが。そして最後に楽器屋で買ったのは、大学の入学祝いでだ。またしても父に来てもらって、そのときは私が欲しいと思っていたものを指定して買ってもらった。今、父の立場だったらどう思うのだろう。最初は何もわからず金額で楽器を選んでいたのに、数年の間に子供が音の良し悪しを語るようになったとしたらやはり嬉しいものなんだろうか。PUNPEEの夜を使い果たしての歌詞に出てきたオヤジのことを思い出す。

持論として、ある人にはその人が持つとサマになる楽器というのがあるように思う。そうでない楽器を買ったならば、それを相棒に選び続ける限り、その人はその楽器の求める像に近づいていくように思う。むしろ良い楽器とはそのくらいの力を持ったものだろう。同じ楽器で同じセッティングで弾いても、弾く人によって音は全く異なる。確かにこの人が弾くと楽器のポテンシャルは出せてるんだろうけど、どうしてかその人がその楽器を持つと収まりが良い、と思えてしまうようなものもある。私は父に入学祝いで買ってもらったその楽器に似合う人物になっているかというとどうだろう。こればかりは他の人に判断してもらいたいが、何より人の最初の楽器選びに付き合うというのはそのくらい重要なことに携わるということである。友人の結婚式の友人代表スピーチをやるよりも重い気持ちで、それでも友人の恋人を見に行くようなワクワク感をもって、その日になった。

もちろん楽器選びは一筋縄ではいかない。何種類もの楽器を何度も試して、それぞれの個性を把握して、それが演奏者のもつイメージとマッチするか考える。直感的なものほど言葉にすると逃れてしまうので、気に入った理由を問いただすにも問うほどにその本当の理由から離れていってしまうから、質問するにも、私が思った個性を伝えるのにも、細心の注意が必要だった。1時間ほど一緒に悩んだ挙句、回答を得ることができた。この選択は非常に良かったと思う。演奏者も、私も、非常に満足したと思っている。きっと他の人も友人が弾くのを見たら、納得すると思う。

私も最初に友人に選んでもらったとき、それでよかったのかどうしようもなく不安だった。楽器を選ぶとき、知識のある人はその知識から選びたくなってしまう。この仕様がこうだから、このモデルはこういう音を目指して作られているから、等々。楽器や製作者にまつわるストーリーはいくらでもあれど、それがその音を説明してくれるわけでは必ずしもない。今思えば当時の友人たちが賢明だったのは、そんなストーリーやらを一切排して、見た目、予算、私が持ってみてイケてるかだけで判断してくれたことだっただろう、頭ごなしの説明を受けた記憶はない。私も、今はどこにいるかわからない彼らにしてもらったことを、借りを返しても返しきれない友人に対してやることができたのだったらとてもよかったと思う。

 

話は変わってアニメ「少女☆歌劇 レヴュースタァライト」を2回ほど視聴する機会に恵まれた。このアニメについて深く立ち入った感想文はまた改めるとして、大変感動したのは、神楽ひかりについてのエピソードだった。以後、ネタバレ等々は一切配慮しないので悪しからず。

端的に言うと、舞台に立って輝くことを夢見て努力してきた彼女は、自分よりも優れた(とされる)人を目の当たりにしたとき、もう舞台に立つことにいかなる夢や感情も持ち得なくなってしまったのであった。

この感覚がどの程度一般的な共感を得られるのかわからないが、少なくとも貴重な青春の時間を楽器というものに費やしてしまった私は、どうして貴重な時間を音楽に費やすのかわからなくなる瞬間に多く見舞われた。なんで練習し、なんでこんなアンサンブルばかり繰り返すのか、どうしてこの音を弾かなければならないのか。確かに練習すれば技術を身につけられ、何者かになれるかもしれないが、逆に練習すればするほど、そうした目に見える成果を全て差し引いても残る、自分は演奏者としてどうありたいのか、何になりたいのかという問いは深く突き刺さるようになっていた。私にとって楽器を練習することはいつの間にか楽しいくて自由になれる時間から、いろいろなところで逃げ続けてきた、自分の存在を定義することと同義となった。それは自分との格闘で、微塵も面白くなかった。そしてそんなことに悩んでいるとき、卓越した音楽家に出会うと――ここでの卓越とは演奏技術であったり、演奏、つまり「輝いている」ということ――一瞬にしてこれまでのキャリア、それだけでなく自分に価値などないように思えてしまう。キラめきが奪われてしまうのだ。そしてそれは何度もあった。こと、楽器を選んでくれた友人が今や第一線のミュージシャンとして活躍しているというニュースを全くの人づてに聞くようなことがあれば。

学生時代を終えて出会った音楽家の多くは、音楽家として悩んでいるようなことも無ければ、迷うこともなかった。彼らの多くは楽器を演奏すること自体が楽しくて仕方がないという人たちだった。しかしどうにも楽器を演奏すること自体に私は楽しさを見出せなくなっていて、最高だと思えたいつかのライブ、最高に充実していたいつかのバンド練習、最高だったいつかのバンド仲間のようなことばかりを思い浮かべながら彼らと演奏していた。だから純粋に楽しそうに楽器に触れ、疑いなく進む彼らを見るのは苦しかった。屍のように演奏を続けていたと思う。ファーストコールになれなかったのもそうしたことがあるからだろう。

 

会計を済ませた後、私はその友人と新しい楽器をもってスタジオに入って、大まかな弾き方を教えることにした。教えるということは、自分が自然にやっていたことを言語化することであり、個人的な経験を他人が追体験できるようにすることだと思う。ベースの持ち方、右手左手の置き方から教えるとき、私はあまりに多くのことを無意識のうちにやっていたことがよくわかった。その短い時間の中でどれだけのことが彼に伝えられたかわからないし、体系だっていない経験的技術を伝えるしか私にはできないから、決して良いインストラクターではなかったと思う。よく付き合ってくれた。

ベースは他の人と合わせてこそその楽しさが発揮されると思う。だからベースの操作に関する技術的な話だけではなく、とりわけアンサンブルの楽しさを伝えたいと思った。だから私がドラムをたたき、ベースは単純な2音をそのドラムに合わせて弾くという反復練習をした。これは想定したよりもよい練習だった。私も非常に楽しかったし、友人も次第にノってきてくれて、その時間を楽しんでくれたように思う。練習後に水を飲みながら、まだ自分には、少しでもそうした楽しさを伝えることができるのだと思ったとき、ふつふつと暖かい感情が湧いてきた。はじめて自動車学校で車のアクセルを踏んだとき、はじめての自炊で煮物を作ったときのことを思い出した。もちろん、友人に選んでもらったベースで彼らと一緒に演奏をして、ベースの楽しさを知ったときのことも。

 

劇中で神楽ひかりは、失意の中で再び舞台に上がる理由を見つけることができた。そして彼女はその理由を実現することができた。その過程は作品本編を見ていただくかその他の知者を頼ってほしい。おそらく立ち入った感想文は書けない気がする。ただ、楽器を弾く理由を奪われ、それでも何となく弾かなければならない状況にあり、かつ弾かないといけないと思ってしまう状態の苦しみは、その苦しみを知らない人にどう説明すればいいのかわからない。自分でもわからなかった。そしてそこから再生することの喜びも、再生に向けた理由を見つけたときの喜びも、この作品では本当によく描かれていて、共感と感動なしには観られなかった。この週末の短い時間は、私にこの作品のこと、私が楽器に対して抱いていた苦しみから再生する方法を間接的に授けてくれるには十分だった。

週末の話とも、感想文ともつかない中途半端なものになった。自分を作品の登場人物に重ねようとしているようにしか思えないと言われたら反論ができない。しかし今一度楽器を持ち、自分に向き合おうと思えた瞬間があったことは確かである。音楽関連で心が昂ったのはいつぶりだっただろうと思うほどだった――と書ききったことできちんと練習します宣言もできたわけだし、よい週末でした。

どうしようもない疲れ

久々に更新する。この時間にこうして家にいて、自分の時間が持てるということに感謝したい。

かつてどのようなことを思って記事を更新していたのだろう。記事を書くとき、確かに誰かを想定していた。それは自分と同じような境遇の人だったり、育ちや価値観が近い人だったり、要するに今いる場所に満足がいっていないような人たちだ。彼らを勝手に同志と思い込んで、その人たちに見てもらえるようなことを書こうとしていたところはある。彼らの目は、確かにあった。

ところがここ最近、自分の居場所に満足しないということがめっぽう少なくなってきた。労働先や労働内容やそのほかの対人関係は比較的恵まれていて、安定している。自分ができなかったことが少しずつできるようになっているし、新しい世界が見えているような気がするし、自分は自分だけのものではないというように思うようになっている。間違っている、直さなくてはならないのは世界ではなく、自分であることの方が多いことに気が付いたのだ。

けれど、時折どうしようもなく疲れてしまうことがある。まるでかつていろいろなものに不満をぶつけ、それらを変えようと努力しようとしていた自分の思考の残渣が毒のように体内をめぐる瞬間があるからだろうか。これでよいのか、とも思わず、しかし、これでいいんだとも思えないような中で、深い溜息しか出てこないような瞬間がやってくる。

先日、労働先の後輩と話をした。後輩は、幹部に自分のプロジェクトをこっぴどくダメ出しされ怒られたとき、ものすごく怒ったし、ダメだったということに落ち込んだといっていた。ところがである。昔はそこから何としてでも立ち上がって頑張ると思えたそうだが、今は、その勢いのあまり眠れなかったり、自分の時間を削ろうとは一切思えなくなったということだった。そしてそのことに気が付いたときどうしようもなく無気力になり、それからもどうしようもなく疲れてしまって何もしたくなくなる瞬間があると言っていた。いやあ俺もそうだよ、と言いながら、こんな話ができる人が近くにいたことに感謝しあった。多くの人たちは、そんな悩みを抱えたことがないように振る舞う。いや、悩んでいるのかもしれないが、私たちよりよっぽどうまい気晴らしの方法を知っているのだろう。少なくとも、同僚とは愚痴を、信頼しあえる仲間や恋人と話し、酒を飲み美味いものを食べ、ゆっくり休めばそんな悩みは得てしてなくなってしまうということを実践しているのだろう。確かに私もこうして後輩と美味いものを食べながら話をしたら、そんな後輩の悩みも、それに少し動かされた私のことも、どうでもよくなってしまった。

後輩はあまりの疲労に直面したとき、思わず転職のエントリーシートを記入したと言っていた。けれど文字を書くほどに世話になった人たちの顔や、挨拶をどうするかということばかりが浮かんだという。転職活動は転職サイトに登録した瞬間とエントリーシートに入社前の経歴や資格の欄を書いた瞬間が一番楽しい。そこから先はその期待のツケを払うことばかりだろう。私も、この労働先を離れようとするほどに、離れることができなくなるのだろう。自分のことよりも先に今いる場所の人の顔が浮かんでしまう、これはもう企業戦士市場で価値がないことの証左だろう。ここから深い溜息が出始めるのかもしれない。自分を構成するものが、あまりに広がっている気がする。そしてそれでよいと思うようになった。自分が自分であると信じられる奴は俺を置いていってほしい、できればそっとそのまま私をそこに置いておいてほしい。願わくば歩道の外の雑草の繁みにでも置いておいてほしい。

どうしようもなく年を取りつつあるように思う。自分を認めてもらおうと努力し邁進できる人たちがまぶしい。そして素直にそのまぶしさを見れるようになってしまった。後味が悪いだろうか、確かにね。