雷鳴で目覚める

朝方ものすごい雷鳴で目が覚めた。目覚ましがなる前に起きれたのは久々だ。朝早くに起きて規則正しい生活を送るという,あれほど困難だったことは少しずつできるようになってきた。生活が送れているというこれほど嬉しいことはない。朝起きて部屋を片づけ坐禅を組み,コーヒー豆をミルで挽き,ストレッチをしてトースターで温めたクリームパンを食べるという優雅な生活を,どこまででも続けていきたい。方向はわからなくても,どこかに進んでいるという感覚を拾い集められる気がするからだ。

しかしこうしたことができるようになったときには,その終わりが近づいてきたということでもある。あれだけ長かった休みはもう終わろうとしている。カウントダウンが始まってしまうのだ。終わりが見えたとき,これまで過ごしてきた時間に無駄があったのではないかと,また少し不安になる。

無限に時間が与えられると,無限に何もしなくなる。怠惰な大学生活を悔やみきって学んだはずなのに,またそれを確かめることになった。終わりが見えたときに感じる後悔と焦りは,自分の余命宣告の瞬間にもう一度確かめることになるのだろうか。いや,御免だ。あまりにむなしい。焦ってやったって何もいいことなんてない。終わりがいつ来ようが後悔しないようにしたい。今日が最後の日と思え,みたいなことを言っていた大学生を鼻で笑った自分のことを思い出す。

この休みの間,ほぼ欠かすことなく身体を鍛えてきた。ジムに通い,ウエイトリフティングや水泳と,これまでの人生で一番といってもいいほど身体に気を配ってきた。おかげで何の影響かガチガチに固まっていた身体は柔軟性を取り戻し(不要なところまで柔軟になった,このことは飲み会ででも話そう),開脚しておなかを床に着けられるくらいまでにはなった。「学生時代運動何やってたの?」「お,土建屋っぽいねえ!」といわれてきたが,おかげで趣味が運動なもんでして,ということができるようになった。しかし土建屋っぽいねえって何だ,社会通念よりはるかにスマート,少なくともそんな偏見を振りかざすような奴らよりはスマートだと思うんだが。

身体を動かすほどに思うのは,背筋を伸ばした状態というのは不自然な状態なんじゃないかということである。常にどこかに力を入れていないといけない(もちろん修行すれば身体の緊張など不要であろうが)状態を最適状態とするのは,誰が言い出したともわからないことが自然と強制力を持つようになったという点で,とても神秘的だ。同僚は,立ち方が悪いと上司に言われて飲み会が丸々説教に費やされたという。くだらないなあと思いつつも,こんなところにまで見えない力が及んでいるのかと思うと偉大だなあと思う。自分の考えていることなんてほとんど伝わらないし,それが何かの道を示すことなんて到底無理だと痛感したからだ。

この休みの間に,できることは何でも試した。幅広く創作活動をしてみたり,読みたかった本を読み漁ったり,本当に手当たり次第なんでも試した。しかし残るのはあの慣れ親しんだ,時間が足りないという感覚と,何をやっても満足できないという枯渇である。つまるところ,時間や充足の枯渇は,時間にあふれていても,さらには誰からの承認も必要としない状況においてでさえも,感じられてしまうものだったのだ。もし無限に休みたい,南国に行ってずーーっとぼーっしたいと思うのであれば,行ってみるといいかもしれない。永遠にぼーっとしていられるほど鈍感ならば,今いるところでも十分ぼーっとできるはずだ。ではしないのは?

試しにはじめてみた水彩画。完全な自己満足としてスタートさせたが,何をやってもこれではないという感覚に襲われる。そして求めているのは自分のやっていることが正しいという承認であり,もっと時間があればもっとうまく描けるのにという言い訳がその内訳だ。しかして他人の承認を求めるならそれは自己満足というわけではなくなり,今ここに当時の状況を思い出しながら書いている本人ですらよくわからないような状態に陥っていく。

本当に,厄介なものだった。

私の家系はどうやら先々代のその前くらいまでは父方も母方もそれなりに裕福というか名士的だったらしく,どことなく名門としての価値を重んじていたのは今でもよくわかるし,その感覚は私にも受け継がれているようにも思う。しかしてその先々代くらいからいずれの家にも翳りが見え始め,今となっては名もない,しがない労働者としてみんなやっている。こうした没落というか,どことなく時代の流れに逆らえなかったのはどうしてかとふと考えるが,ある時から,学校の先生をしていた祖母はしきりに一つのことを繰り返すようになったことが思い浮かぶ。いわくマラソンは序盤から中盤のうちに先頭集団と第二集団に分かれるが,先頭集団についていれば実力以上の結果を残せることがある,だから先頭集団に何としても食らいつけ,死んでも食らいつけ,と。かつてそれはある程度成功した祖母の言葉だと思っていたのだが,もしかすると,それは離れていった背中を見ていくうちに痛感するようになった言葉かもしれない。

しかして先頭集団とはどこにいるのか。どこに居るのかもわからないほどに離されてしまったということかもしれないが。ただその先頭集団とやらには数多くの友人やお世話になった人がいるような気がして,友が皆我より偉くなんとやらという気持ちになっている。そして先頭集団は後ろを振り返ることがないから先頭たりえるのであって,きっとそのとき後ろに居る人たちが何を考え何に悩むかなんてことは気にしないのだろう。先々代の先代が将軍家と云々みたいなことを先々代が言い出したのは農地とかそういうのが無くなってその兄弟が地元を出ていったときからだった。走り続けていると,走らない人のことはわからない。3年後,5年後に会いたいと思われなくても,20年後,30年後にまた会いたいと思われるような人になっていれればと思う。誰を念頭に置いているわけでも,具体的な出来事があったわけでもない。ただ,社会復帰をするにあたって,何となく「もうこの人たちとはしばらく会わないだろう」と思うことが多くなるだろうなと思ってのことである。

しかして緊張しきった状態と真逆にある脱力しきった状態こそが本来の姿ではないのか。力を使わないために力をつけるウエイトリフティングをしている,矛盾だ。爆音でオールドスクールヒップホップを流しながら,バスケをやりたい。バスケが結局伸び悩んだのは,力んでいたからであり,些細なことで驚きすぎるからであり,そしてあまりにもまじめすぎたからかもしれない。つまりセンスがなかった。時間が無限にあるからラップだって始められる。歌の練習だってできる。そこでも感じたのは一切力が入っていない状態のほうが圧倒的にパフォーマンスが高い。追わなくなった時に初めて手に入るから,追うなとデートした女の子にフラれたときに母親に言われたことを思い出す。あの時飲んだのはバランタインファイネストだったが,めっきり飲まなくなってしまった。

ところで時間が無限にあるから何もしなかった,といったがあれは嘘だった。書いているうちに考えが変わった。いろいろしたけれどただ何もしなかったように思えるだけで,それは時間を言い訳にして得られなかった充足を望んていたからであり,その原因にあるのはつまるところ忍耐の不足だった。耐えなければならないということを学んだ,それだけでなんかしたと言える,言ってもよいではないか。わがままを通すには腕力が必要だが,腕力を使うと寄ってたかって袋叩きにあう。強いやつが多いが,自分はそれほどまでに強くない。だから力を抜かないといけない,追ってはいけない。