友人の楽器を一緒に選んだ

先日、友人が今住んでいる街の近所に越してきたというので久々に飲んだ。飲んだと言ってもガバガバとビールを流し込んでいるのは私の方で、むしろ相手は私に付き合って飲んでくれているんじゃないかと思うほど節度を守って飲酒していた。学生時代から非常に仲良くしてくれていて、今の私があるのは彼のおかげと言っても過言ではないと思うほどである。これは本当に。

新天地で彼は新しい仲間とともに楽器をはじめたいという。彼は昔バンドをやっていて、学生時代同じサークルの音楽仲間であったことを思い出した。彼との交友はサークルを離れてからの方が長い。聞くに今までやっていたことではなく、新たにベースをはじめたいという。私は学生時代の借りを少しでも返せるならと思って、力になれるよう尽力した。そして週末に、一緒に楽器屋にいくことになった。

楽器を誰かと一緒に選ぶというのはいつぶりのことだろう。思えば最初の楽器を買ってもらったのは父と一緒の時で、弦楽器のことは全くわからなかった父は店員の進められるがままに、予算と相談して決めていた。その次は中学の友人と。彼らは今は何をやっているのだろう。高校入学のお祝いで好きなものを買って来いと両親に言われてもらった札を握りしめて、そいつらがゲーセン代や酒をたかろうとしてくるのを振り切って、選んでもらった。渋谷のベース専門店で選んでもらったフェンダージャズベースで、それは今でも現役で活躍している。フレットは抜いて、ピックアップも変えてと大改造を加えヘルタースケルターのようになってしまってはいるが。そして最後に楽器屋で買ったのは、大学の入学祝いでだ。またしても父に来てもらって、そのときは私が欲しいと思っていたものを指定して買ってもらった。今、父の立場だったらどう思うのだろう。最初は何もわからず金額で楽器を選んでいたのに、数年の間に子供が音の良し悪しを語るようになったとしたらやはり嬉しいものなんだろうか。PUNPEEの夜を使い果たしての歌詞に出てきたオヤジのことを思い出す。

持論として、ある人にはその人が持つとサマになる楽器というのがあるように思う。そうでない楽器を買ったならば、それを相棒に選び続ける限り、その人はその楽器の求める像に近づいていくように思う。むしろ良い楽器とはそのくらいの力を持ったものだろう。同じ楽器で同じセッティングで弾いても、弾く人によって音は全く異なる。確かにこの人が弾くと楽器のポテンシャルは出せてるんだろうけど、どうしてかその人がその楽器を持つと収まりが良い、と思えてしまうようなものもある。私は父に入学祝いで買ってもらったその楽器に似合う人物になっているかというとどうだろう。こればかりは他の人に判断してもらいたいが、何より人の最初の楽器選びに付き合うというのはそのくらい重要なことに携わるということである。友人の結婚式の友人代表スピーチをやるよりも重い気持ちで、それでも友人の恋人を見に行くようなワクワク感をもって、その日になった。

もちろん楽器選びは一筋縄ではいかない。何種類もの楽器を何度も試して、それぞれの個性を把握して、それが演奏者のもつイメージとマッチするか考える。直感的なものほど言葉にすると逃れてしまうので、気に入った理由を問いただすにも問うほどにその本当の理由から離れていってしまうから、質問するにも、私が思った個性を伝えるのにも、細心の注意が必要だった。1時間ほど一緒に悩んだ挙句、回答を得ることができた。この選択は非常に良かったと思う。演奏者も、私も、非常に満足したと思っている。きっと他の人も友人が弾くのを見たら、納得すると思う。

私も最初に友人に選んでもらったとき、それでよかったのかどうしようもなく不安だった。楽器を選ぶとき、知識のある人はその知識から選びたくなってしまう。この仕様がこうだから、このモデルはこういう音を目指して作られているから、等々。楽器や製作者にまつわるストーリーはいくらでもあれど、それがその音を説明してくれるわけでは必ずしもない。今思えば当時の友人たちが賢明だったのは、そんなストーリーやらを一切排して、見た目、予算、私が持ってみてイケてるかだけで判断してくれたことだっただろう、頭ごなしの説明を受けた記憶はない。私も、今はどこにいるかわからない彼らにしてもらったことを、借りを返しても返しきれない友人に対してやることができたのだったらとてもよかったと思う。

 

話は変わってアニメ「少女☆歌劇 レヴュースタァライト」を2回ほど視聴する機会に恵まれた。このアニメについて深く立ち入った感想文はまた改めるとして、大変感動したのは、神楽ひかりについてのエピソードだった。以後、ネタバレ等々は一切配慮しないので悪しからず。

端的に言うと、舞台に立って輝くことを夢見て努力してきた彼女は、自分よりも優れた(とされる)人を目の当たりにしたとき、もう舞台に立つことにいかなる夢や感情も持ち得なくなってしまったのであった。

この感覚がどの程度一般的な共感を得られるのかわからないが、少なくとも貴重な青春の時間を楽器というものに費やしてしまった私は、どうして貴重な時間を音楽に費やすのかわからなくなる瞬間に多く見舞われた。なんで練習し、なんでこんなアンサンブルばかり繰り返すのか、どうしてこの音を弾かなければならないのか。確かに練習すれば技術を身につけられ、何者かになれるかもしれないが、逆に練習すればするほど、そうした目に見える成果を全て差し引いても残る、自分は演奏者としてどうありたいのか、何になりたいのかという問いは深く突き刺さるようになっていた。私にとって楽器を練習することはいつの間にか楽しいくて自由になれる時間から、いろいろなところで逃げ続けてきた、自分の存在を定義することと同義となった。それは自分との格闘で、微塵も面白くなかった。そしてそんなことに悩んでいるとき、卓越した音楽家に出会うと――ここでの卓越とは演奏技術であったり、演奏、つまり「輝いている」ということ――一瞬にしてこれまでのキャリア、それだけでなく自分に価値などないように思えてしまう。キラめきが奪われてしまうのだ。そしてそれは何度もあった。こと、楽器を選んでくれた友人が今や第一線のミュージシャンとして活躍しているというニュースを全くの人づてに聞くようなことがあれば。

学生時代を終えて出会った音楽家の多くは、音楽家として悩んでいるようなことも無ければ、迷うこともなかった。彼らの多くは楽器を演奏すること自体が楽しくて仕方がないという人たちだった。しかしどうにも楽器を演奏すること自体に私は楽しさを見出せなくなっていて、最高だと思えたいつかのライブ、最高に充実していたいつかのバンド練習、最高だったいつかのバンド仲間のようなことばかりを思い浮かべながら彼らと演奏していた。だから純粋に楽しそうに楽器に触れ、疑いなく進む彼らを見るのは苦しかった。屍のように演奏を続けていたと思う。ファーストコールになれなかったのもそうしたことがあるからだろう。

 

会計を済ませた後、私はその友人と新しい楽器をもってスタジオに入って、大まかな弾き方を教えることにした。教えるということは、自分が自然にやっていたことを言語化することであり、個人的な経験を他人が追体験できるようにすることだと思う。ベースの持ち方、右手左手の置き方から教えるとき、私はあまりに多くのことを無意識のうちにやっていたことがよくわかった。その短い時間の中でどれだけのことが彼に伝えられたかわからないし、体系だっていない経験的技術を伝えるしか私にはできないから、決して良いインストラクターではなかったと思う。よく付き合ってくれた。

ベースは他の人と合わせてこそその楽しさが発揮されると思う。だからベースの操作に関する技術的な話だけではなく、とりわけアンサンブルの楽しさを伝えたいと思った。だから私がドラムをたたき、ベースは単純な2音をそのドラムに合わせて弾くという反復練習をした。これは想定したよりもよい練習だった。私も非常に楽しかったし、友人も次第にノってきてくれて、その時間を楽しんでくれたように思う。練習後に水を飲みながら、まだ自分には、少しでもそうした楽しさを伝えることができるのだと思ったとき、ふつふつと暖かい感情が湧いてきた。はじめて自動車学校で車のアクセルを踏んだとき、はじめての自炊で煮物を作ったときのことを思い出した。もちろん、友人に選んでもらったベースで彼らと一緒に演奏をして、ベースの楽しさを知ったときのことも。

 

劇中で神楽ひかりは、失意の中で再び舞台に上がる理由を見つけることができた。そして彼女はその理由を実現することができた。その過程は作品本編を見ていただくかその他の知者を頼ってほしい。おそらく立ち入った感想文は書けない気がする。ただ、楽器を弾く理由を奪われ、それでも何となく弾かなければならない状況にあり、かつ弾かないといけないと思ってしまう状態の苦しみは、その苦しみを知らない人にどう説明すればいいのかわからない。自分でもわからなかった。そしてそこから再生することの喜びも、再生に向けた理由を見つけたときの喜びも、この作品では本当によく描かれていて、共感と感動なしには観られなかった。この週末の短い時間は、私にこの作品のこと、私が楽器に対して抱いていた苦しみから再生する方法を間接的に授けてくれるには十分だった。

週末の話とも、感想文ともつかない中途半端なものになった。自分を作品の登場人物に重ねようとしているようにしか思えないと言われたら反論ができない。しかし今一度楽器を持ち、自分に向き合おうと思えた瞬間があったことは確かである。音楽関連で心が昂ったのはいつぶりだっただろうと思うほどだった――と書ききったことできちんと練習します宣言もできたわけだし、よい週末でした。