ゴルフコンペで最下位だったのが地味に響いてる

ゴルフは好きでも嫌いでもなく、誘われたらコンペに参加するけれど自分からは進んで練習しないし、そのスタンスを崩して上達しようとも思っていない。しかし先日のようにゴルフをしたら全員が自分の半分くらいのスコアで、高いレベルで競い合っているのを見たりすると人並みに自分が惨めに思える。特に皆に注目される第一打はひどくて、全身が完全に硬直してしまってだいたいがおむすびころりんのような弾道を描く。そんなときのなんとも言えない、笑うにも笑えないような微妙な空気感を楽しむのがゴルフだと本当に割り切れているつもりではあるが、それでも一人でぬかるむ坂道を走りながらボールを探してるときとかは、どうして人生はこうも不如意に溢れているのだろうと突然感傷的にもなってしまう。これこそが本当の自分で、熱意を持てないし変えようともしないから誰からも見向きもされず底辺をはいずりまわっているだけなのでは、と頭をよぎるけれど、最下位の最終成績表を受け取ると、左肩あたりの筋肉の嫌な硬直を感じる。人生は厳しい、頑張れ、負けるな、諦めるなと私がおむすびころりんする度に先人たちは声をかけてくれるが、しなくてもいい深読みばかりするスキルだけが上がっていく。

最近の人生はあまりに不如意に溢れている。順調にいろいろと行っているように見えるだろうし自分でも順調ではないとは思わないが、それでも自分ではどうしようもないことが多くなってきた。別に取り立てて意識する必要のない小さなことが積みあがっていくうちに、気づいたときにはもう取返しのつかない状態になっていると感じることが多い。引越の準備をしていてかつての手帳や考えを書き留めていたノートを見返したが、あまりの自分の愚かさに悲しくなったことはさておき、なぜかそこには真摯さがあったように感じた。ここ最近とても生活するのが楽になった気がしたのだけれど、それは真摯さを切り捨てたからかもしれない。ある時点で何かが完成してしまった気がする。そしてそこに入っていなかったものはたぶんこの先もどうしようもできないようなものである気がする。腹が立ってもそれを反省して何かを変えようと努力することも無くなった。朝起きれば何も気にならない。頑張れなくなったことの結果を引き受けているだけなので、それを変えたいのなら頑張らなければならないが、縛られすぎている。

アニメ「まちカドまぞく」を見た。ストーリーどうこうよりもそこで表現されていた間の取り方やかわいらしさと美しい人間関係にただただ涙していた。ひたすら吉田優子ことシャミ子を応援していた。かつてだったらこの手のアニメに気を留めることはなかったように思う。登場人物の成長に自分を重ねたり、自分の考えを代弁してくれるもの、思わず誰かに技法の巧みさを話したくなるようなアニメを中心にえり好みしてみていたが、なぜかそれらに向き合うのも腰が重くなってきた。縛るものに導かれて視点が変わってきたのだろう。頑張れシャミ子、と天の声と一緒に口にするたびになぜか心が締め付けられた。(これは私の気持ちの表明であり、とてもパーソナルな部分を開陳している。とても恥ずかしい。)共感を求められることはあっても共感をしてもらえることはなくなってきた。できれば共感したいと思うときくらい自分に選ばせてほしい。いろいろ書いてるけど今日は筆が進まない。睡眠が足りてない。ものすごく疲れているはずなのに全く疲れているように思えない。近々倒れて臓器の何かがふっとぶんだと思う。まあそんなもんだろと思わないとやっていけない。