How to stay in harmony

 机にゆっくり座り、何かを考えながら書くという行動習慣が失われてから久しい。この習慣が失われてしまったのには理由があった。一つは職場が変わり、前よりも業務中に文章を書くようになったので何かを書きたいという要求が薄れたこと、一つは住む場所も変わり生活習慣が変わる時にそもそも書くことが組み込まれなかったこと、また一つは発信することが変わってしまったこともあるかもしれない。のんびりとnujabesを聴きながら白湯を飲み、ここ最近あったことをまとめてみる。

 直近も直近だが、先ほど、誰もがするように映画「ミッドサマー(Midsommar)」を観てきた。ただただ体力を消耗した。ホラーやらサスペンスやらと言われていたが、(もちろん常に手に汗は握ってたし、つらいと思う場面が続いて相当厳しかった)不思議と観終わった後に残されたのは爽やかな感情だった。自分が立っている現在地を別の視点から眺めることには心を軽くしてくれる力があると思っているが、この映画を観て、自分の立っている場所はいかに脆くて危ういものの上に、微妙な緊張と調和の上に成り立っているかということを考えさせられた。レイトショーだったのでシネコンから出る動線が、いつもの動線とは違った。そんな些細な変化一つでさえ、私はいらぬ回り道や、周りの人の話している内容に耳をそばだててしまう。いかに自分が、自分が考えたこと以外のものによって規定されているかを考えてしまう。映画が終わった後に食べようと思った蕎麦屋はやっていなかった。明日こそ蕎麦を食べたいと思いつつ、しかし明日、突然蕎麦が食べれない病気にかかるかもしれない。そのとき、一緒に悲しんでくれる人はどれだけいるだろうか。一人では抱えきれない悲しみや感情の塊を、生活は受け入れることはできないと思う。言葉にならないものや明晰に伝えられないものは、今、目覚ましよりも10分遅く起きて仕事に行き、土日に朝遅くまで寝る生活をしている限りでは、そうしたものはやり過ごすべきものになってしまい、いつの間にか醜いもののように扱うのが正しいように思えてしまう。

 子供が2歳近くになった同期の家に行って鍋を食べた。子供は無条件にかわいいが、言葉もこちらの常識も、こちらの楽しく鍋を囲みながら酒を飲みたいというような都合は一切通じず、無茶なことをしようとしては能わず突然泣き出す子供の姿には、驚いてしまう。私はただ泣く子供に合わせて一緒に声を出してあげたり、人生の早い段階で不条理を突き付けられたことに感謝しつつ、そのやるせなさを一緒に感じてあげて、酒臭い息を吹きかけつつ、つらいよなあと声をかけながら高い高いをしてあげることしかできなかった。一方で、アドバイスはいらないから聞いてくれ、俺のつらさを君も感じてくれ、と私がするには、もう、お金を払わないといけない年齢になってしまった。私だって報酬がなければ、他人のそうした感情を無条件に受け入れる余裕はないだろう。人とのつながりも、ギブとテイクで、自己の利益を最大化するように理性的に動く者同士でないと成立しなくなってきているように思う。無駄話や世間話が得意になったのも、きっと話をするとき、相手に求めることを意識したうえでしか話さないように訓練されたからだろう。昔、初対面の相手にどんな看板の色が好きかを尋ねて、呆れられたことがある。もうそんなしなやかな会話はどれだけ憧れても、自然とは出来なくなっているだろう。

 ここ最近、人は私のところにやってきては、大事にしていたものを奪っていった。もったいぶった言い方をしているが、思い通りにいかないことが続いた、という意味である。それは生活環境が変わったときに必ず経験することかもしれないし、周囲の人が一変したことによるのかもしれない。自分が身近な場所に近づくほど、身近にいたはずの人が遠く思えてしまう。学生の頃、あれだけ交友関係が広く、敵を作らないことを信条としていたのに、今となっては耐えられない連中があまりに多く、人との集まりやワイワイした場所にも出かけなくなっている。ただつまるところその原因は、どれだけ挨拶をできる人や騒げる人が増えたとしても、自分が日々を消化していく中で取りこぼしていった、自分一人では抱えきれない感情の塊のようなものを共有できる人は数名しかいないことに気が付いた、ということに尽きると思っている。この現状を変えたければ、自分の持てるものをただ与えることのみを積み重ね、救われるのを待つのが唯一の正解なのかもしれない。忙しくすることは醜い感情を一時的に忘れさせてくれることは知っているが、負債は雪だるま式に増えていくことは子供の頃に叩きこまれたりしなかっただろうか。

 端的に言うと、仕事は出向を命じられ、全く違う場所で仕事をしている。きっと出向元には絶対にいない顔立ちや体型をしている人に混じっていると、別の惑星に来たように思う。全く勝手のわからない惑星に連れてこられて、遥か遠くに母なる地球を見ながら、一人で何も実ることのできない広大な荒地を耕している。私を送り出した場所は遥か遠くに輝いていて、そこで起きていた嫌なことや現実はすべて、その中に都合よく消えてしまった。島流しがかつて、死罪に次ぐ重い刑であったことが今ではよく理解できる。存在を断たれ、苦しみを自分ひとりで支えるという一見かっこよく、誰もが憧れるようなことも、もう耐えられなくなっている。誰にも感じていることを伝えられない、という字義通りの孤独に耐えられなくなっている。漫画「宝石の国」では、アドミラビリス族というウミウシみたいなやつらのうち、罪人が、種の存続のため、生贄として差し出される描写があった。差し出される罪人の片目からは、恐怖とも怒りともつかない、ただただ力強さ、意志を感じたことを思い出す。もしくは、その眼差しを常に背負うことを受け入れることでしか、コミュニティは維持できないのかもしれないが、この論はまた今度展開したい。

 先述の映画で、決して決定的に重要ではない場面で、"How to stay in harmony"というセリフがあって、なぜかそれが頭に残っている。一つの例でしかないが、後輩が職場を辞めたり、同期で一番威勢が良かったヤツが辞めたりと、誰もが何かを考えているなあと思うことが続いている。きっとそこで、私の考えていることを述べたところで伝わらないだろうから、ただ私は、彼彼女が考えたことを共有してやることしかできない。どこかそういう微妙なバランスの上で多くのことが成り立っているように思うから、彼彼女も、私も、それで救われると良いなと思っている。

ゴルフコンペで最下位だったのが地味に響いてる

ゴルフは好きでも嫌いでもなく、誘われたらコンペに参加するけれど自分からは進んで練習しないし、そのスタンスを崩して上達しようとも思っていない。しかし先日のようにゴルフをしたら全員が自分の半分くらいのスコアで、高いレベルで競い合っているのを見たりすると人並みに自分が惨めに思える。特に皆に注目される第一打はひどくて、全身が完全に硬直してしまってだいたいがおむすびころりんのような弾道を描く。そんなときのなんとも言えない、笑うにも笑えないような微妙な空気感を楽しむのがゴルフだと本当に割り切れているつもりではあるが、それでも一人でぬかるむ坂道を走りながらボールを探してるときとかは、どうして人生はこうも不如意に溢れているのだろうと突然感傷的にもなってしまう。これこそが本当の自分で、熱意を持てないし変えようともしないから誰からも見向きもされず底辺をはいずりまわっているだけなのでは、と頭をよぎるけれど、最下位の最終成績表を受け取ると、左肩あたりの筋肉の嫌な硬直を感じる。人生は厳しい、頑張れ、負けるな、諦めるなと私がおむすびころりんする度に先人たちは声をかけてくれるが、しなくてもいい深読みばかりするスキルだけが上がっていく。

最近の人生はあまりに不如意に溢れている。順調にいろいろと行っているように見えるだろうし自分でも順調ではないとは思わないが、それでも自分ではどうしようもないことが多くなってきた。別に取り立てて意識する必要のない小さなことが積みあがっていくうちに、気づいたときにはもう取返しのつかない状態になっていると感じることが多い。引越の準備をしていてかつての手帳や考えを書き留めていたノートを見返したが、あまりの自分の愚かさに悲しくなったことはさておき、なぜかそこには真摯さがあったように感じた。ここ最近とても生活するのが楽になった気がしたのだけれど、それは真摯さを切り捨てたからかもしれない。ある時点で何かが完成してしまった気がする。そしてそこに入っていなかったものはたぶんこの先もどうしようもできないようなものである気がする。腹が立ってもそれを反省して何かを変えようと努力することも無くなった。朝起きれば何も気にならない。頑張れなくなったことの結果を引き受けているだけなので、それを変えたいのなら頑張らなければならないが、縛られすぎている。

アニメ「まちカドまぞく」を見た。ストーリーどうこうよりもそこで表現されていた間の取り方やかわいらしさと美しい人間関係にただただ涙していた。ひたすら吉田優子ことシャミ子を応援していた。かつてだったらこの手のアニメに気を留めることはなかったように思う。登場人物の成長に自分を重ねたり、自分の考えを代弁してくれるもの、思わず誰かに技法の巧みさを話したくなるようなアニメを中心にえり好みしてみていたが、なぜかそれらに向き合うのも腰が重くなってきた。縛るものに導かれて視点が変わってきたのだろう。頑張れシャミ子、と天の声と一緒に口にするたびになぜか心が締め付けられた。(これは私の気持ちの表明であり、とてもパーソナルな部分を開陳している。とても恥ずかしい。)共感を求められることはあっても共感をしてもらえることはなくなってきた。できれば共感したいと思うときくらい自分に選ばせてほしい。いろいろ書いてるけど今日は筆が進まない。睡眠が足りてない。ものすごく疲れているはずなのに全く疲れているように思えない。近々倒れて臓器の何かがふっとぶんだと思う。まあそんなもんだろと思わないとやっていけない。

集合住宅の1階のロビー

小学生の頃職員の集合住宅に住んでいて、エントランスになっている1階のスペースで集まっては遊んでいた。集合住宅だからできる遊びにも限界があっていつしかそれはカードゲームになって、エントランスの人が出入りするところでカードを広げてゲームしたり、携帯ゲーム機で何人かで遊んでいた。通り過ぎる大人たちは近頃の子供たちは走り回ったりして遊ばない、ゲームばっかりしている、活気がないから挨拶もできないということを態度で私たちに示した。折しもゲーム脳というような言葉が流行しはじめたときではあった。

集合住宅の壁に向かってボールを蹴っていると、一番端に住んでいた上田君(仮名)の親が出てきて、ボールを蹴っていた私たちを部屋に入れて外から蹴られるボールが室内にどう響くか感じなさいと言って怒ってきた。しかし私たちはそもそもそんなボールの音は気にならないから、上田君の家にあるゲーム機でずっとゲームをしたり、上田君が一生懸命作ったプラモデルを見せてもらったり、上田君が時折気に入らないことをすればプラモデルを壊して遊んだりしていた。なんなら家でゲームをするために壁に向かってボールを蹴ったこともあった。むしろプラモデルを壊したときの上田君のリアクションのほうが学ぶところが多かった。上田君の家で読ませてもらった世界の偉人伝のマンガは忘れられない。特にベートーヴェンが聴力を失ってもなお音楽を作り続けたシーンは今も印象に残っていて、模範にするべきだと思っている。端的に言えば当時の私、私たちには取り立てて恐れるべきこともなく、ただ同じようなメンバーで同じような場所で同じ用なことをずっとやっていただけだった。しかしそれは不思議と楽しいことであった。上田君にとっては最悪だったと思うが、上田君とはその後も彼が引っ越すまで変わらぬ付き合いがあったから許されていると思っている。

今日、私は相手方との飲み会で他愛もない話をしながら芋焼酎のお湯割りを飲んでいた。博多料理のもつ鍋屋でもつ鍋も頼まず、いろいろな居酒屋にあるメニューの変奏曲のようなものをあてに、楽しくワイワイやっていた。前日後輩たちの会に招かれて参加したが結局何一つ自分が本当に楽しい話題も、相手が楽しそうにしている話題もないまま解散し、後輩に対して変な気を遣うようになってしまった自分の情けなさにも気が滅入ってしまった。ここに居る人たちはきっと前日に私が感じたようなやるせなさをどれだけ経験してきたのだろうという文脈こそがその人たちのする話を魅力的にするのであって、話それ自体に魅力を求めることは間違っているのだろうとも考えた。私は下らぬ考えようもないことを考えながら、静かに今日を終えた。

小学生の頃だったら怒られたようなコミュニケーションしかしていない。別に取り立てて異常な危機が起こるわけでもなく、互いの悪口を言い合いながらも絶対に超えてはならない一線は皆が尊重しあっている。誰もが出入りするような大きな通りの目立つところにある飲み屋で前回と大して変わらない飲み物を飲みながら、いつまでも同じように話を続ける。小学生の頃は何が楽しいかなんて考えていなかった。振り返るとそれの方が自然であって、どうやったら楽しいか、素晴らしいか、格にふさわしいか、そんなことを考えている方が不自然なのだろう。だらりと伸びる5時のチャイムまでの時間がこのまま続いていけばいいのになと思う気持ちと、そうじゃないチャイム、例えば戦闘開始のチャイムのようなものをどこかで待ってしまう気持ちがある。誰かに何かいってもらうのを待ってみるが、誰も言わない以上は自分が言われたことを思い返しながらやっていくしかない。そのときになってはじめて家に上げてくれた上田君の家族のことを思い出す。

風が意味を持ちはじめた

タイトルのとおり風が意味を持ちはじめた。たぶんもうこの生活も長くない。年内か年明けにはこれまでの人生で二番目に長く暮らした場所を去ることになるだろう。どこに行くかは検討はついているけれど、決定はされない宙ぶらりんの状態が続いている。私の気分もそれに伴って乱高下し、無駄な出費と無意味な節制を行ったり来たりしている。端的に言えば異動が近い。異動が近い気がする。

賃金労働者の哀しい性で人事の話くらいしかオリジナリティを発揮する場がない。願わくば人事の論評を偉い人に対してしながら九州と北海道を往復し続ける賃金労働者でありたい。その昔三国志にはまっていたとき、偉い人のところに行って「こいつは○○だ!」って適当な(失礼)大喜利をして生計を立てていた人たちがいたことを知って、私の将来のなりたい仕事(なりたい仕事という表現自体が噴飯物であるが当時の私と私を取り巻く環境ではそれが限界だったことはここで弁明させてほしい。偉大になるためには尊敬される職業に就き有無を言わせぬ財産を築かなければならないといい聞かされて貴重な青春時代を職業訓練に捧げてきたのだ、このことを話すとき私は本当に悲しい気持ちになるし、これほど気持ちよいこともないからぜひとも私が耄碌しても職業訓練の話は?と聞き続けてほしい。同じことを答え続けたい。)の上位にそれはランクインしたが、周囲の猛反発にあった。けれど実感としてはみんな本当はそれになりたかったのではないかと思わないでもない。どこででもそうだと思うがどうして人について話すときみんな本当に表情が豊かになるのだろう。それで生計を立てられたら最高ではないか?疲れるとは思うけど。

角煮は何度作っても味が定まらなければ煮え具合も決まらない。そもそも製法を毎回変えているし、一度も計量をしたことがないからだ。ある時は黒糖だけで煮詰めてみたり、またあるときは泡盛で煮るからとコロコロ変えているから知見が蓄積されない。しかしそれでよいと思う自分が強すぎる。どうして角煮を極める必要があるのか?誰が角煮から偶然性を排除した?角煮のように長時間煮ることが必要な料理(そもそも長時間煮るということに囚われている時点で私は既存の角煮を超えることができないと思う。イノベーションとはまさにこうした暗黙の了解を壊すことを意味するのだろうから「いや角煮ってそもそも」と口を開いた瞬間にはイノベーティブな何かにはどれだけ努力しても届かないところに連れていかれてしまう。もちろん角煮にイノベーションを求めるのか?ということはここでは議論しない。イノベーティブであるか否か等の評価は結果たる成果物によってしか生まれないから、私は結果を出すことに注力する。一の太刀みたいなものだ。)は時が仕事をするのであって私にできることは助走レーンを作ってやることくらいだ。時間がしっかりしていれば私がどれだけポンコツでも適当にいい感じにうまくやってくれるはずである。けれど私は弱いから先人の歩んだ道が知りたくなって蘇東坡のウィキペディアのページを読んだ。この人も異動が大変だったんだな~~~~という気持ちになり、うまい東坡肉が食べたくなった。私には中心でおらつきたい気持ちが相応にあると同時に、光の当たらないところに行って静かにしていたい気持ちが同じだけある。ちなみに唐突に喧嘩を売るがどちらか一方だけの奴は私は勝手にうんこ野郎認定している。その理由は各自考えていただきたい。そして今、私の異動先は知らないところで決まっているんだろうけれど、告げられるまではわからないから私は宣告の日までどちらにもなりうるし、なんにでもなれる。ただ何かを選び取る気力があるかというと、気持ちがあるだけである。ただ今は、こうして自分の生活が何も決められないし何もわからないなあああという時間を大変愛おしく思っている所存であります!!!!――きっと満足のいく角煮が出来上がるには人生をもう何週かしてこんなことで迷わないようにならないといけないのだろう。ところで蘇軾さんは地方にぶっ飛ばされたとき悩んだのだろうか、中央に戻れと言われたときいろいろ考えたのだろうか。今となっては誰も立証できないようなすべてがふわふわした問いはきっと老酒で何時間も煮込んでできたものなのだろう。私が考えたわけではなく何となくやっているうちに自然と辿りついていたことにしておきたい。今は結果だけに責任を負えばいいような気がするから、それと使命感でどれだけでも動けるような気がする。

今日はめっちゃ社会が動いていた

今日は自分でも信じられないくらい社会が動いていた。すごい速さで動いていて、思わず熱が胸に騒いでしまった。家に帰って豚足をゆでてみたが一ミリもおいしくない。豚足にゴマダレをつけて白酒で、と思っていたがそんな気分にもならなかった。明日は寿司屋で貝の刺身でもつまんだあとに劇場版ヴァイオレットエヴァ―ガーデンでもレイトショーで観たいと思う。最近貝の刺身が一番おいしい。貝の刺身を食べると昔見た景色を思い出す。北海のグレーの海や、ギリシャの緑の海、小笠原で見た黒と言ったほうがいいような深い海。そんな風景というよりは時間かもしれないが、思い返してはインターネットの海に溶けだしたいという自分勝手な思いが波のように押しよせては引いていく。

かつて上司だったけれど今は仕事のカウンターパートになった人がハラスメントで懲戒をくらい、近々いなくなるそうだ。今朝執務室に来ていたその人はなぜかいつもよりも小さく丸まっていた。声をかけようとしたら、いつもへらへらしている人事たちに個室に連れていかれる場面に出くわしてしまった。その人は人間として最低だったと思うし、許すことはできないと思う。私の同世代の人は何人もその人に叩きのめされ、立ち直れなくなった。私の心身のバランスが崩れるきっかけを作った人はこの人であった。心身は相互に連関しないということをその人は教えてくれた。これほど心身二元論とかそういう現代文の適当なキーワードについて丁寧に説明してくれることはなかった。ところでその人が作る決算書類は思わずため息が出てしまうほど美しかった。もし数字には意味があるから価値があるのだというのであれば、その人が作る数字はどこをとっても相互に関係し、全ての数字が他の数字を説明していた。私が聞きたいと思っていたことはすべて、その人ではなくその人が作る書類のほうが雄弁に語っていたのだった。価値ある数字という我々が追い求めている模範のようなものを難なく作ることのできる人だったと思う。

もう一度言うが、私はその人のことを許すことはできないと思う。今でもあの時を思い出したいとは思わないし、詳細に思い出そうとするとどうしても唇が震える。それらを全て水に流して日々の仕事を一緒にしようとするほど、その当時のことがフラッシュバックし、私が患ったものの本質はPTSDのようなトラウマによる障害だったと気づかされた。そして今日、これまで心の底ではきっと待ち望んでいたであろうことが起こり、しかもそれに立ち会うことができた。しかしどうして心は晴れないのだろう。詳細を聞いたとき目前の仕事に一切集中することができず、思わず笑顔になってしまったが、さりとて今の私が抱える業務と問題は一ミリも変わってくれなかったし、私が自席でかなり大きな声で独り言をつぶやいたとしても、私に同情してくれる人は誰もいなかった。

しかしその事情を知る人に話をすると誰もが、今まで言えなかったことを容赦なく語りだした。噂には聞いていたでしょ、いずれこうなる運命だった、あらあなたはあそこの生き残り、もっと早く罰せられてくれていれば……私もこうして脚色を交えながらもここで話しているから同罪ではあるけれど。判決が確定し自分に危害が加わらないことがわかったときの悪口ほど楽しいことは無い。そして噂は千里を走り、風をあつめてあることないこと交えながら伝わっていくのだろう。現場を知ることが貴いのは、現場がそれらの怪しい情報を一切ものともせず確かな体験を与えてくれるからだろう。私はかつての同僚、私よりもかろうじて確かに心身を保ったもののその人との勤務によって20kg近い体重変動があった同僚に思わず連絡を取りたくなったが、潔白というよりも自分の保身から、打ち込んだ内容を消しては打って、打っては消してを繰り返した。結局連絡することもなく、それとは全く別件で今の上司と自分のキャリアについて話した。私はこの業務に向いていないし、もう成長の幅がなくなってきて、端的に言えば荒れていると伝えたが、それならこの仕事をあなたの10倍以上やっている私はどうなるんだと一蹴された。どこまでいっても自分のことは自分で決めないといけない。

やらなければいけないことがあったのに、先輩が空港の閉鎖によって職場に帰ってくることができなかった。それで私や、私の上司のイライラも募った。刃物を持った人が空港にいたから閉鎖になったそうだ。執念は人を巻き込む。今就活で、人を巻き込んだ経験はありますかと聞かれたならそう聞いた面接官に思いっきり書類を叩きつけ、椅子ごとひっくりかえしてやるだろう。そしてお前が怒り、お前が私について語り、それを上司や同僚や恋人や恋人がその両親に話しそれがインターネットの片隅を賑わせるのなら、これ以上に人を巻き込んだ経験はないだろう。何の話がしたかったんだっけ。理不尽に何かに巻き込まれた人は騒ぐことができても騒ぎをコントロールすることはできないということだっけ。祭りか?

それに関連して、折しも友人の退職エントリーに類するものを見かけた。多くの退職エントリーにあるような現実への反発や自分の正当化はなくて、憎しみや負のエネルギーに触れることについて訥々と語られていた。私もふとそのことについて考えてしまった。憎しみや負のエネルギ―は恐ろしくて、扱い方を間違えると一瞬で奪われてしまう。自然相手のスポーツでもしているように、それらと対峙することは緊張感に溢れているから、緊張が切れると一瞬で足元をさらわれてしまう。すると足がつく場所まで流されていく他はなく、つまりどこまでも自分もその人を憎み続け、その感情の流れが穏やかになるまで待つほかはないのだろう。傷は治っても傷跡は消えることはない。私が今日感じたものはすっかりなくなったはずのものがまるであるかのように感じられる、いわば幻肢痛で、傷は治っても傷跡は消えないという母の教えのとおりのことだった。友人が受けた傷の深さを思った。そして数万人の計画を無為にしてしまうような人の執念を思った。今日生きる意味を私が探している間にも周りにはとんでもないエネルギーがうごめいていて、エネルギーとともに生きている人がいて、私はその事実にまた頭がクラクラするような気がした。ここで書いたことはすべて一つのことからおこっているはずなのに、そのことに迫ろうとするとどうしてこうも届かないのだろう。

豊饒の頃には

快速列車が停車する駅からタクシーで20分ほど山を登ると、急に視界が開ける瞬間がある。遠景に団地群が見えて、バカでかいクリニックやよくわからない熱帯魚屋さんが車道沿いに現れる。やけに白みがかった戸建ても敷地を持て余した施設のすぐ近くにポツリとたっていたりする。どこにでもあるような開発された街の香りとでもいうのだろう。歩いている人はあまりいない。寂しさにも似た静けさは車内からも明らかで、かつてここに何かを作ろうとした先人たちの挫折に思いを馳せざるを得ない。ここに何かを建造したとして、何かが変わるのだろうか?自分のしていることに価値や意味はあるのか?私も後世に笑われるのだろうか?揺れる車内にいると、もう何度考えたかわからないことをいつものように考えてしまう。

何度やっても同じ運賃を払い事務所に着くと、ここも負けず劣らずの重苦しさに包まれている。何をしても無為に終わり、耐えることが目的となった人たち――私も含めてがここには集まっている。藁をも掴もうとする人たちの強欲を見ても何も感じないようにしている。ここは常人がいる場所ではない。このゲートをくぐると誰もが何かに憑かれたように醜くなるだけである。彼らがこのゲートを出たとき、例えば家に帰ったら帰った先できっとそれぞれの役割を演じている。そう信じている。なけなしの脳みそで思考したことを信じることが自分を保つことであるだろうが、それ以外にも自分が自分であることを確かめるための瞬間は確かにあって、それはここに来るとわかる。何も言わずに机に電卓と伝票を広げ、症例から聞きたいことを機械のように引き出す。たとえ機械的でも、そのプロセスを回す瞬間は、私は紛れもなく私である。プロセスさえ踏めれば、どこかの誰かが言ったように私は、望みとあればどこへでもかけつける話し相手で、道化で、詐欺師なのだ。そんなわけあるか。

実は(誰のせいでか)事務所に閉じ込められていたので、まだ一度も現場を見たことがないから、案内してもらえないかとお願いした。それではこちらへと言われ案内された車は身を折りたんでも入れないほど狭く、洗濯物にでもなったかと思うほど揺らされた。壁でも登っているのではないかと思うほど急な斜面をタコメーターは2時くらいを指しながら登っていく。後ろからあがる砂埃で前が見えなくなるほどだったが、ここ最近雨が降らないからこの砂が大変なんですよ、どれだけ水を撒いても焼け石に水でねと運転をする役職者に言われる。山の頂上についたときには、その見晴らしの良さよりも砂埃にむせかえってしまった。何十台という重機が地面を掘っている。金脈でもあればよいのになと思うが、掘るほどに出てくるのは想定外の岩ばかりで、想定外の岩は金と時間と希望をヒルのようにうごめきながら私たちから吸い尽くしていく。

この砂埃だと口をハンカチで覆うほかにないが、そこで作業する人たちは一切そんなそぶりを見せない。全く日焼けしていない青白い肌の私たち(その日、私は上司と来ていた)はここでは見られる対象だった。私たちは来た道を車で戻る。ふと気づくのは、私たちが仮設道路を通るとき、誰もが道を開けて直立してくれることだ。私たちが車を降りるとき、誰もが作業を一度止める。私たちはエアコンの効いた車内から軽く会釈をする。私たちを案内したおんぼろ車はたった1時間程度の巡回で砂塵にまみれた。公道に出るための車両洗浄スペースに車をつけると、車以上に砂塵にまみれた壮年の男たちが車に高水圧の水をかけていく。水が車体を削り取る、耳に詰まったような音を反響させる車内から彼らを見た。私は何をしに来たのだろう。雷に打たれているような音が車内に響き渡るが、私は相変わらず後部座席で小さくうずくまりながら、上司と偉い人の世間話を聞いていた。

私は通勤用のスラックス5着で1週間を回している。朝は一番左から取り、帰宅したら一番右にしまう。自分の行動によって曜日を定義することができるというささやかな喜びを味わいながらも、次の作業を考えてるうちに1か月が経ってしまう。時間が早く感じられるのは変わりばえのしない日常の中に自分がいるからだろう。だから想定外に出くわすと、まずいらだってしまう。奥に詰めろ、電車の乗り方も知らないのか君は何年社会人やってるんだ、とかつて言われたようなことをそのまま言いたくなり、私も晴れて次の世代にバトンを託していく世代を代表する優秀なランナーの一人になれたのだと思い、何とか自分を肯定してみる。はじめての現場見学に膝から崩れそうになる疲労を感じつつ、仮設事務所の便所の窓から外をのぞくといつもの水田が見える。水田は私が想定した通りのプロセスで実りを迎え、まさに収穫されようとしているところだった。水田が実ることにはすべてが終わっているだろうと思ったこともあったが、実際は何一つ手についていない。それでも稲は自然と収穫の時を迎える。そしてそれを、私が全く知らないところで全く知らないように生活をしている人が収穫するのだろう。私は何かを再び信じるには、自分の大切なものを奪われすぎたように思う。豊饒の頃にはまた会えるのだろうか。私がどうなっていてもきっとまた来年も実りを迎えてくれるだろう。この文章は既にその稲が刈り取られる前から書き始めていたものである。収穫は私の文章の完成を待ってはくれなかった。

君の担当プロジェクトは燃えているかい?

野暮だ。何とでも言ってもらってよい。ただでさえ頭は朦朧としているのに、酒を流し込んで今この入力画面に向かっている。一人で外で飲むのは金曜日だけにしている。いつも行くファミレスでは顔をすっかり覚えられ、「以上でご注文はお揃いでしょうか」という確認事項も私だけ省略される。なぜなら私はフルコースのように追加注文をしていくからで、そのことが店で共有されているからだ。足取りもおぼつかない状態で商店街を歩けばマックの前に無造作にとめられている自転車のサドルの上に座ってスマートフォンをいじる私服の女子高生や、コンビニの前で帰るだの帰りたくないだの押し問答を繰り返すだらしないスーツを着た男とお姉さんがいて、どれもがまるで嘘のように思えて通り過ぎる。牛乳を買うために寄ったスーパーでは家にあるにも関わらずワインを買ってしまう。そうでもしないと自分を保てないから――このような恥ずかしい自分の弱さを嬉々としてアニメの曲をもじった題名の下で話そうとしてしまう自分があさましい。しかしどうしてもこのことは話したい、話さないと収まらないのだ。プロジェクトが炎上するとはどういうことか、そこにはどんな人がいるのか。私がこれから話すことは客観的な事実ではないかもしれないが、私がどう感じたかだけは事実である。リアルなものは、体験したということそれのみだから――。

炎上。いくらでも事例はあるが、私のケースについて説明する。再三触れているように私は請負業に従事しているが、請負業とは人にやれと言われたことをきちんとやれるかどうかがすべてだ。むしろそれ以上はない。それをどんな人がやろうか、やりながらどんなことを考えるか、どれだけ成長したか、そんなことはどうでもよい。聞いてない。請負業とは、人にやれといわれたことをきちんとやれるか、それに尽きる。できることがあるのだから、もちろんやれないことだって世の中にはある。けれどどうだろう、どれだけできることとできないことを人は判別できるのだろうか。分別のついた大人だったら自分の経験を振り返り、自分の強みと弱みを分析し、ふざけんな、ぶっ殺すぞ。そんな人間はいない、少なくとも俺の周りにはいない、できることだけやっていたらできることしかできないままだ。幸いにして人は、誰だって新しい景色を見ようと最初の一歩を踏み出すことを夢見る。もし月に行くことができたら、もし仕事を変えたら、もしこの人に好きだと伝えたら――世界はifに溢れていて、誰だってそこにある可能性を信じてみたくなる。そしてそれができることは人間の最後の尊厳かもしれない。しかし間違いとは、そこで最初の一歩を踏み出してしまうことともいえるだろう。

そして踏み出してしまうと後ろには引き下がれない。たとえそこで誰も想定しなかったようなことが起こってもだ。ルビコンを渡ったら戻れない。いや、引き下がることはできるだろうけれど、それには先立つものが必要になる。マネーだ。マネーがあればなんだってできるが、世にいう取引社会においては違うかもしれない。できると言ったことをできないということは、とんでもないほどの信頼と信用を失うことになる。考えてもみてほしい、あなたに「任せてください」といってきたヤツが突然「できなかった、そもそもコンディションが悪かった、今日は本気が出ないんだ、金ならやる」と言い始めたとき、あなたは許すことができますか?少なくとも私は許せない。そして私と私の関わる人達は不運にもそれで許されない側の人間に回ってしまったのだ。

戦闘で一番難しいのは退却戦で、その退却の最後尾を務める殿はとにかく本軍を逃すという大命を負っている。使えない兵士はその場で捨てられ、救援や補給が望めなくても、それでも目的のため戦わなくてはならないのであれば、それは戦闘という非日常的な状態の中でも、極限的に非日常できあろう。目的のためならなんだって許され、達成したならば望んでいたものすべてを手にすることもできる革命的な状態ともいえる。この非日常的な状態をコントロールすることにこそ殿の一番の難しさがあるのかもしれない。なぜなら、非日常に浮足立っているならば、どんな力だって出せるかもしれないし、どんな些細なことでも躓くことがあるからだ。それが数日や数時間のことだったら確かに士気も上がったり勇気も湧いてくるだろうし、やり切れば報われるということが信じられるならむしろチャンスかもしれない。しかし今回の場合、残念ながら事業の性質から、この非日常的な状態は何年にも及びそうだ。何年間も、あなたが頑張れば頑張るほどそれは事業の失敗を脹らませるけれど、それでもあなたたちだけは頑張り続けなければならない、しかし支援はできる範囲でのみします、と言われ続けたらどうなるだろうか。簡単、人は発狂する。先がないという状態、希望を持てない状態にいる人は本当に容易に発狂する。そこにいる人はどこか遠い目をするようになる。俺の後ろに何か憑いているのだろうか、と思うほどに話をしていても目が合わなくなる。指揮系統が狂う。誰が何の話をして、誰が決定するのかが一切不明瞭になる。長と名の付く人が真っ先に帰ろうとし、打ち合わせや会議を平然とさぼることが当然のようになる。そしてやれと言ったことが、数カ月やられないままだったりもする。今日だって自分の父親くらいの年齢の担当者が会話の途中で突然わかんねえよと何度も何度もつぶやきながら目を押さえて震えていた。このような話はいくらでもしたいが、それ以上は事業に関わる話なので避けたい。

断っておくとこれは支援体制が悪いというわけではない。むしろ考えうる限り最善の支援体制は整っている。しかし、いやなことが起こっているところには誰だって目を向けたくない。もっと楽しくて明るくなるようなことばかりを考えていたい。いやなことに目を向けたというだけで100点をあげたいくらいだ、ましてやそれを解決することができたのなら、なんだってあげてもいいくらいだ――。何が言いたいかというと、他人の炎上は他人事でしかない。一緒にその重荷を負担してあげようという人ほど、重くなった時に荷物をすぐに離す。そしてプロジェクトの責任者からしてみれば、他人事としてしか考えていない人は一瞬で見抜けるのだろう。味方のはずの人を誰一人信じられない状態ほど苦しいものはない。私はそうした懐疑のまなざしを向けられた。私はそうした人を前にしてただその狂気の中に腕を突っ込んでかき回すことしかできず、その重荷を持たせてすらもらえなかった。

私はこのプロジェクトの責任者でもなければ、その当の実行部隊でもなくて、プロジェクトの完遂のために支援する部署の一つのうちの一人でしかない。何をして支援しているかというと、そうして発狂した人たちを見て、少しでも希望を持ち始めたら現実を見せることをしている。最悪と信じたくないことを見せ続け、やるべきことをやらせることでもらったお金で、先ほど述べたようにスーパーでワインを無造作に買っても平穏な生活を送ることができる。現実を見せることができたり、やるべきことをやらせるなんてのは小手先の技術でしかなくて、やっていくうちにどうとでもなり誰でもできるようになることのように思う。だからもらっているお金の9割くらいは、人の限界と向き合うことでもらっているような気がする。

限界を迎えた人には恐ろしい引力がある。こうして今文章を書かないといけないのも、全く飲みたくないのに酒を飲み、帰り道のすべてに意味を見出そうとしてしまったのも、こうした限界の人々に長時間触れたからだろう。これは仕事だと割り切って行っていても、ふとした拍子に自分のやっていることの暴力性や、遠い目の先にあるものを思い浮かべてしまい、どっと疲れる。溜息しか出ない。にもかかわらず、成果物が一切出なければ、状態が改善する見込みもない。自分だっていつ発狂するかわからないという恐れが常に付きまとう。炎上プロジェクトには悪い霊が憑くとよく言う。だから験を担ぎ、ひたすら祈る。皆で祈る。現実は冷静に分析し働きかけないと変わらないと言うが、分析する能力やそれを実行するにも自分が自分であることが必要だ。そして自分であることは、祈りでしか維持することができない。

道中、「仕事するうえで最強なのは、ばっくれること、とぼけること、そして何もしないことの3つだ」と上司と話していた。まじでそうっすよねとゲラゲラ笑いながら相槌を打っていたが、これは発狂した先ほどの人を思っての話だった。確かにその人は最強だった。もう誰にも止められない。誰もが狂うし、誰もを狂わせる。そしてそんな人に接することでまた狂う。こんな文章を臆面もなくさらすことができる。なぜなら何もかもが不確かになるからだ。このままいけば全日本くらい一瞬で恐怖と狂気に叩き落とせるのではないか?プロジェクトは、やって終わるならまだよいんだ。やるということができない状態が恐ろしいのだ。それでもプロジェクトは進まない。君の担当プロジェクトは燃えているかい?