何を思ったかこのブログをおよそ2年ぶりに開き、かつてどのようなことに悩んでいたのか読み返してしまった。今となってはそのような悩みに満ちた言葉も出来事も持ち合わせていなく、世界というものは限られた語彙であればあるほど、かえって正しく描写することができて、また、社会なるものも語彙が少ないほど正しく運用できるのではないかとの思いを抱くようなブログ記事だと思った。この2年間もまた様々な変化があり、私も様々なことを考えるようになった。もっといえば、特段大きな変化がなくとも2年程度は過ぎていくということが分かった。

人が生きる時間のなかでは画期となる出来事があり、その画期と画期の間において何が起こっているのかを分析することができるとしたら、そのような画期がなかったのがこの2年間ということもできるかもしれない。一方、今日、このブログに立ち返ったのも確かに大きな画期ともいえるようなものがあったからで、具体的には社会人になり10年近くが経つ中で後輩たちから向けられる目線に同情と警戒が混じるようになったのと、また信じられないことに、ささやかな昇進があったからだ。

業務が立て込み、日々下っ端働きをさせられている中で、下っ端だけの宴会があったときに爆発した。仔細をここに書くのもはばかられ、伝え聞いた出来事を思い返すだけで筆が重くなるが、どうやって供養すれば良いか分からないままかなりの時間が経っている。これを機に、もう二度と自由に酒を人前で飲むことは無いだろうと思うに至った。そのことがどうというよりも、自分の中にそのような獣性があったことが信じられないといったほうが良いかもしれない。かつては許されていたことが、今となっては許されなくなりつつある。自分の言動が様々な意図に縛られるようになった。後輩からの目線は、そんな私に対する同情に溢れている。

そのようなことがありながらもささやかな昇進が行われ、安いことにそれなりにやる気が出ている。別になんらかの功績があったわけではないが、一律の昇給に乗れていること、また、そうした昇給で自分が少し心躍り忠誠心が高まっているという事実自体が少し嬉しい。今となっては家庭を覗いた社会的なつながりも職場しかなくなった。メンバーも数年変わらず、ホモソーシャルで、マッチョな職場で、再下っ端をやり続けているが、それでもつながりがあるということが幸せなことのように思う。もし私が通勤途中に倒れたら、彼らはきっと駆けつけてくれるだろう。たとえそれが管理者としての責務によるものだったとしても、そのような仕組みがあること自体に人間の創造性を感じ、一人で興奮している。これはささやかなもので、もっと大きな奇蹟にここ最近気づくことが多いが、ここで書くようなものでもないだろう。

さて、そうしたときにどんなことが今、記録に値するのだろうか。自分の感情は、ある程度諸事象の中で読み込むことができるようになった。一方で事象の記載はこのような不特定多数の場でするようなものではない。何より守秘義務を負っているから。いや、かえってこうしたくだらない義務のようなものが現在の自分を形作っているということこそが、今、記載するに十分な内容なのではないか。今、私はプルースト的な発見をした。見出された時。

近年の主要な関心事は、いつかボーカロイドに歌わせて、アルバムとしてまとめたいと思っているが、制作スケジュールは延期に次ぐ延期を重ねており、ついぞプロトタイプだけが積み重なっている。ずばり上述のようなテーマで、このような時代において、どのように生きるべきかに正面から考えたいと思っている。例えば原始的な哲学(そんなことを言っていいのかわからないが)は多分に処世術的なものを含んでいたが、そのような素朴な処世術的なものが今日において改めて問われなおしても良いのではないかと考えている。よくわからないが、AIや通信技術の革新、いわば人間が作り出し、共存していく必要のある技術はもはやかつてとは比べ物にならないほどに発展しており、そのような条件下で人間として正しく生きるとはどのようなことなのか、また、その意義はどのようなものなのかについて、改めて問い直されても良いのではないかとも思っている。一方で、それは人間としての生き方にフォーカスをあてる以上、どこまで革新的な議論ができるか分からないものでもあるとも思うが。具体的には、自己のイメージの拡張。自らのイメージを自らでコントロールできないことは、生きるうえでどのような影響があるのか。恒常的な怒りへの曝露。AIにより怒りに満ちたエコーチェンバーに長時間晒された人間にとって、平静とはどのような状態を指すのか、等。関心ごとは多々ある。これらがアルバムとしてまとめるころには、一方で、もうアルバム等作らなくても大丈夫な精神状態にあるような気もするが、そのような心配が現実になりつつある。根源的な制作欲求ーー私においては制作物を通じて社会的に認知され、名声を得ることとということかもしれないがーーへの向き合い方については、未だなお謎が多いのだろうか。