決して今このような文章を書いていてはいけなくてすぐ寝るべきなのだが、こういう時こそ書きたくなるから仕方がない。職場は大山場を迎えていて、これから数日は長い夜が続くだろう。タクシーが家に着くのと日が昇るののどちらが早いかを競った日が懐かしい。今はそうしためちゃくちゃな仕事が無くなってきた。効率化・合理化の末のドラマの無い単調な日々ではあったとは思うのだが。

 ここの仕事も残すところあと少し(と言ってももう少しある)になった。気が付けば私もかなりの古株で、かつて頼りになると思えた先輩たちよりも長くこの職場にいるようになっている。この狂った職場から一刻も早く抜け出したいとあがいたこともあったが、今となってはここから出たくないと思うようになっていた。親元に戻りたくない。今日、おそらく最後となる定期券の更新をしたが、そんな気持ちが多くを占めるようになっていて少し驚いた。

 驚いたということを着任したての同僚にぼやいた。気の抜けた返事がいつもどおり返ってきて私もはいはいとしか返さなかった。彼も彼で悩んでいる。悩みを掬いあげられない自分がもどかしくもあるが、できないこともある。きっと私がつぶれた時の上司たちもこうした気持ちだったんだろう。

 これだけ劣悪な労働環境なのに親元の金融機関に戻るのが嫌だと言っている人がいることが話題になったことがあった。その金融機関どれだけやばいんだよ、ということが趣旨だったと思う。確かに劣悪な労働環境出し、ひどい人間しかいないし、喜んで働き続けられるようなところとは思わないが、今となってはその人の気持ちに共感する。ここでの仕事はラクなのだ。忙しいし大変だけどラクだという矛盾する仕事がここにはある。ここにいる限り絶対に間違うことは無い。無謬の存在になれる。指示がない限り動かなくてよい。駆け引きというよりも小手先の細かいやり取り(大体は考えすぎで終わる)ばかりが行われる。分からなければ知りませんで通すことができてしまう。守られているからだろうけど、傭兵とはそういうもんだと割り切ることもできる。

 戻ったら嫌でもいろいろな責任やめんどくさい人事にまつわることとか派閥とかそういうものに巻き込まれるだろう。意図とは関係のない期待や勝手な行き違いにも悩むのかもしれない。ここに着任する前はどんなことに悩んでいたのだろう。これを成長と呼ぶのか物忘れと呼ぶのかは分からない。ミイラ取りがミイラになったと思う。同情されない時間が長すぎたし、共感を求めすぎていた。彷徨える魂。ここに供養を。